自分が作っている「自分の教育観の棚卸し」マガジンについて記事にしてくださった方がいらっしゃった☟
それきっかけで自分でそのマガジンを見返してみると、ただただ376本の記事を垂れ流していただけで、全く体系的にまとめきれていないことが分かったので、この土日を使って自分の教育観を整理してみた。
自分が考える教育的信念
☆子どもからの「見て!」には絶対に応える
子ども達にこれまで何度、「キーくん、見て!」と言われたことか。
自分の描いた絵、木に登った姿、発見した何か面白いもの、工作物、家から持ってきたお気に入りのモノなどなど、子ども達は何でも見てもらいたがる。
で、子ども達が「見て!」って言うのは、好きな人にしか言わないんですよね。そのことをなんとなしに感づいたので、「キーくん、見て!」と言われたら、どんなに忙しくても一回作業をストップして見ますし、その際は何か一つリアクションを大げさにすることを心がけてましたね。
やっぱり、無視されたら嫌な気持になると思いますし。
で、このリアクションの参考にしたのが自分のお父さんの姿ですね。
2歳か3歳の頃にお父さんと二人で家の近くを散歩してた時のビデオがあって、それを見てると、僕とお父さんが用水路に行って、僕が「見て~」って言いながら用水路の側に立って、わざと足を用水路側に入れようとすると、お父さんが「あぁ~、やめて~落ちるよ~」ってリアクションしてくれたんですね。で、その様子を見た小さい頃の自分が面白がって、また同じことを繰り返して、お父さんもまたリアクションしてくれたんですよね。
その経験があったんで、大人になった自分はしっかりと子どもの「見て!」に反応して、リアクションして楽しませようと思ってます。
☆子ども達に自由を与えることが出来る少人数体制でやりたい
子ども達の人数が多いにもかかわらず、大人の人数が少ないと、どうしても大人が子ども達を”管理する”方向に行ってしまいがちになると思う。管理するってなると、精神衛生的に良くないと思うんですよね。子ども達が言うことを聞かなかったらイライラするだろうし。
個人的には逆に、「子ども達が従ってくれる」感じも嫌なんですよね。自由が好きなので、子ども達を支配するのはあんまし好きじゃない。
なので、先生1人に対して大体子ども5人っていう体制の森の幼稚園が良いんです。それくらいの規模だったら、子ども達一人一人と狭く深い関係を築いたうえで、互いに話し合って、それぞれの意見を尊重し、個人やグループとしての行動を決めることが出来ます。そこに”自由”を感じられるので好きです。
☆自分のどの行動が、子どもに対して多大な影響を与えるかどうか分からないから、子どもといる時は常にその時のベストの自分を出す
大人が言った何気ない一言がその子どもにとっては一生心に残っているという事例は、よくあることだと思います☟(良い思い出も悪い思い出も…)
だからこそ、「職業」として子ども達と接する自分の場合は、常に自分のベストを出し続けたいと思うのです。子ども達の前では自分をさらけ出して、全力でぶつからないといけないなと思います。なぁなぁな気持ちで、相手の人生にかかわるなんて出来ないです。ましてや、仕事としてやるんですから。
自分自身をぶつけた結果として、「Führe sie nicht den leichtesten Weg, aber den schönsten.(子ども達を最もラクな道ではなく、最も素敵な道へと導く)」ことを達成出来たら、最高だと思ってます。
というか、子ども達に対して大人は、自分の歩んできた道しか教えられないと思うので、自分自身が素敵な道を歩んでないと、子ども達を素敵な道へと導くことはできないと思っている。
自分が素敵な道を歩んでいるかどうかはさておき、出来ることといえばただただ自分自身を出すことであると思うし、そういう風に全力で向き合ってくれる大人の存在が、子ども達にとっては嬉しいのではないかと思う。
個人的には教育も芸だと思っている。教育にはその人の個性が出るので。それで、自分が崇拝している立川談志曰く、
ということなので、やっぱり、自分を出していかないといけないのだなと思うのです。自分を出さないといけないからこそ、普段から精進を重ねて、子どもに見せれるような自分を作っていかないといけないのだと思います。
何も努力してないありのままの自分を見せたところで「芸」にはならない。
あと、やっぱり子ども達は”その人”を要求してると思うんですよね。例えば、子ども達から「キーくん、鬼ごっこしようよ」と言われた時に、『ごめん、今忙しいから出来んわ…。他の先生に質問してみたら?』って返すと、「え~、じゃあ、いいわ」ってなることがあるんです。
なので、子ども達から求められてるという意識は常に持っておいて、子どもと関わる時は全身全霊で臨みたいと思っている。
で、子ども達と接する時に、子どもを楽しませたいと思うのであれば、絶対に「自分が楽しむ」ということが必要かなと思ってます。「自分が楽しむ=相手を楽しませる」の法則です。
自分が楽しむことによって、自分の創造力をいかんなく発揮することが出来ます☟
これら二つの言葉は至極名言だし、相手を楽しませる為にも、常に自分の心の中に留めておきたい☟
自分が楽しんで相手を楽しませるを体現していたのはジーンケリーだと思う。彼が楽しく踊っている姿を見だけで、コチラは楽しくなる。エンターテイナーとして、個人的な理想像☟
相手を楽しませる為に、自分から楽しむのは50%くらい大事なイメージで、残りの50%は、そこに没頭せずに周りが見えているかどうかが大事になると思う。つまり、相手を楽しませる為に”熱い自分”で頑張りつつも、それに熱中することなく冷ややかに周りを見ている”冷めている自分”を共存させることが重要になる。
この精神バランスが結構難しいんですよね。まだまだペーペーなのでこれから経験を積んでいって慣れていきたいと思う。
☆「小さい頃の経験がその子の一生を決めるみたいな論調」には傾倒したくない
ノーベル経済学賞を受賞したジェームズ・ヘックマン教授が、著書 『幼児教育の経済学』 の中で、教育投資の効率が一番良いのが幼児教育であると明らかにし、5歳までの教育がその子の人生を変えるみたいな論調が結構盛んになった。
確かにそうかもしれないが、個人的には、「人間はいつでも変われる」と思っている(人との出会いや周囲の環境の変化によってどうにでも転がるのだから当然)ので、幼児教育に期待し過ぎないようにしようと思ってます。
あと、森の幼稚園と一般の幼稚園出身の子ども達を比較した研究結果で、前者の方が様々な分野で優れていることが報告されているけど、だからといって、全ての子ども達が森の幼稚園に入園すれば良いのにとは思っていない。
子ども達を見ていると、外で遊ぶのが好きな子もいれば、中で静かに遊ぶのが好きな子もいるので、その子に合った教育環境に行けるかどうかが勝負だと思います。論文の結果ばかり見て、目の前の子どもを見ていないという状況は避けていきたいと思う。
☆教育とは『”今日”を”育”てる、つまり、今日育』である。
「教育とは何か?」という質問に対して、「文字通り、先生が生徒に”教”えて、生徒を”育”てるのが教育」や「生徒と先生が”共”に”育”つで、共育」という回答が一般的かなと思う。
個人的には、教育を仕事(プロ)として行うのだから、自分なりの教育観を持ちたいなと考えていた。そして、自分のこれまでの経験を踏まえて、自分なりに出した答えが「今日育」である。
自分の感覚としては、
今日の積み重ねで出来た過去は、今の自分を支えてくれる。
今日を育てた先にある未来が、今の自分を導いてくれる。
みたいな部分が少なからずある。よって、
子ども達の今日を育てることが出来たら、子ども達は過去の自分に支えられて、未来の自分へと前進していけると思っている。
じゃあ、具体的に「今日育」ってなんやねん?となるので、次の章で説明します。
自分が考える”今日育”の目標
☆お前にあげたいものは香りのよい健康とかちとるにむづかしくはぐくむにむづかしい自分を愛する心だ。
個人的には「健康」と「自分を愛する心」を手に入れることが出来たら、今日育は成功だと思う。その2つの土台があれば、後はその子自身が好きなように自分の人生を築いてくれると信じている。
この考えに至ったきっかけが、自分が大学生の頃に読んだ詩である☟
また、自分の好きな漫画である「赤ちゃんと僕」にも、「健康な体と精神を養う」という言葉が出てくる。
これを無理やり詩にかこつけると、
健康な体=香りのよい健康
健康な精神=かちとるにむづかしくはぐくむにむづかしい自分を愛する心
という風にピタリと一致する!笑
では、「自分を愛する心」とは何か?「愛する」とは何か?
個人的にはこの言葉を定義に使いたい☟
つまり、自分を愛する心とは、「自分に何かを与えたい」ということである。
「何か」とは何か?まぁ、それは人によって違うのであろうが、
個人的には生きる意味を、「誰かに生きる勇気を与えるために生きてるのよ、誰かに勇気をもらいながら。(宇宙兄弟)」と解釈しているので、
「何かとは、『生きる勇気』である!」と答えたい。
で、生きる勇気って、先述した
今日の積み重ねで出来た過去は、今の自分を支えてくれる。
今日を育てた先にある未来が、今の自分を導いてくれる。
みたいな感じで、過去と未来によって作られるモノじゃないかなと思うのです。
過去というのは、「挑戦、成功、失敗、努力、頑張り、没頭」みたいなイメージ。そういう経験が、今の自分を後ろから支えてくれるのではないかと。
未来というのは、「夢、目標、理想、憧れ、好奇心、想像力」みたいなイメージ。そういう情熱が、今の自分を前へと導いてくれるのではないかと。
で、その過去と未来を作るのに、森の幼稚園ってメチャクチャ良いんじゃね?と個人的に思っているわけです。
なぜ森の幼稚園なのか?
森の幼稚園は、子ども達が挑戦できる環境を備えていて、様々な体験を与えてくれるし(過去を形成する)、子ども達の好奇心と想像力を刺激して、絶えない情熱を与えてくれる(未来を形成する)んですよね。
これによって、「自分を愛する心」が育まれるかなと思ってます。
あと、「健康」という面でも言わずもがな、自然環境に触れることによる免疫システムの強化や外遊びによる身体操作能力の向上などが挙げられます。
ここで一応、森という環境における心理的な効果をご紹介☟
*カテドラル効果
・天井の高さは、人間の心理に影響するという法則
・低い部屋は細部に向かう思考を活性化し、綿密な作業に適している
コンビニやファーストフードなど目的が明確で滞在時間が短い店舗に向く
・天井の高い部屋は抽象的思考や創造性を活性化させる
住宅リフォーム店やカジノなど想像力を働かせて滞在時間の長い店に向く→森の中で想像力が活性化される理由
*緑色が持つ色彩効果
・心や身体の疲れをいやす。
・疲れた目を休ませる。
・鎮静作用で緊張を緩和する。
・リラックスの作用がある。
・穏やかな気持ちを与える
→緑色が人に良い理由
*バイオフィリア効果
・人間が自然と交わりたいと望む本能的、また遺伝的な欲求のこと
・1980年代にハーバード大学の生物学者エドワード O.ウィルソンが提起
・自然との触れ合いを通じて、ストレスの軽減、社交性や問題解決能力の向上、生理的機能の安定、健康の改善等の効力が期待される
・自然を感じられるオフィス環境(バイオフィリックデザイン)で働く人の方が、そうでない人に比べ、幸福度15%、生産性6%、創造性15%高いという調査結果
→自然が人間にとって良い理由
*森が神経面に与える影響
・聞く、見る、嗅ぐ、味わう、触れるといった五感を使える☞シナプスの構築に対して最も適した環境
・森の中での活動☞木登り、ジャンプ、バランスなど運動能力の向上
・森の中にある多種多様な遊び場や道なき道☞交渉、議論、検討、決断、戦略などの機会
・森の中にある葉っぱや棒など☞想像力、コミュニケーション能力などの涵養
・森の中で起こる日々の変化や四季の移り変わり☞柔軟かつ創造的な対応を習得
・直接的な体験☞重力、静力学、関連性、対立、矛盾、原因、原則、自然に対する配慮を学ぶ
*森が健康面に与える影響
・日光浴による骨の強化、免疫力の増進や殺菌作用
・体内のガン細胞を識別し、破壊するナチュラルキラー細胞の活性化
・最高血圧・最低血圧の低下、脈拍の減少等の自律神経系の改善
・アレルギーに抵抗する免疫システムの獲得
*森が精神面に与える影響
・ストレスホルモンの減少
・日光浴による気分を高揚させるホルモンの増加
・副交感神経活動の高まりと交感神経活動の抑制
・自然の中での遊びがADHSを長い間やわらげる
・温度、湿度、風、輻射熱などにおいて都市より快適
あと、森の幼稚園での「遊び環境」も子ども達に対して様々なメリットを与えていると思う☟
・登降園や食事以外はすべて自由遊び☞子ども達のやる気を促進し、集中力を高める。遊びが創造性と探究心の源であり、遊ぶことで集中力や創造力が養われる。心身の安定や心の安らぎなどにも関与するセトロニン(通称「幸せホルモン」)の分泌機能が高まる。脳内シナプスの回路を形成し、思考力や言語能力を司る大脳新皮質を成長させる。
・森には危険がたくさん☞子ども達はルールを守る必要性を知る
・遊具が少ない☞我慢をしたり、一緒に使ったりすることを学ぶ。森の中にあるモノを使って、想像力豊かに遊ぶ。
・異年齢保育☞お兄ちゃんやお姉ちゃんとしての自覚が社会的行動へとつながる。異年齢交流による社会性の涵養。
・子ども達が協力して遊ぶ☞コミュニケーション能力や問題解決能力を磨く。コミュニケーション能力の向上。認知判断能力(優先順位付け、スケジューリング、予測、委譲、決断、分析)の育成 。
・周りの自然環境への興味☞好奇心を育てて、創造的な思考を養う。子どものあらゆる感覚が刺激され、環境への適応力や子どもの個性を伸ばす。
こういう素晴らしい環境を森の幼稚園は子ども達に提供しているので、一般の幼稚園出身の子ども達と比較した時に、良い結果が出るのは、自分にとっては何ら不思議ではない☟
自分にとって子どもの存在とは
☆子どもは人生に『彩り』を与えてくれる存在
何でこの絵本がビビッときたのか自分なりに分析すると、自分が子ども達と交流していた時に感じていること、つまり、「子どもの存在自体が周りをイキイキとさせてくれる」ということを、これまでになく美しく描いているからだと思います。
子どもと接することで、子ども達から様々な色を受け取って、自分の人生が色鮮やかな彩溢れるモノになっていく感覚があります。子ども達を相手に働くというのはとても楽しいですし、もし給料がもらえないとしても、自分は森の幼稚園の先生になりたいなと思っています。
この絵本では、子どもから大人への色付けが描かれていましたが、個人的にはその逆のこともやっていきたいなと考えています。子どもと一口に言っても様々な子どもがいますから、最初のエリーゼみたいに灰色の子どもがいたっておかしくありません。そんな子どもに出会った時に、エミールのように色付けしてあげるのが大人の役目ではないかと思います。
☆尊敬する気持ち
個人的には子どもは全然好きじゃない。好き嫌いじゃなくて、自分の人生に彩りを与えてくれる存在なので、有り難いというか、尊敬している気持ちが強い。
あと、一生懸命遊んでる子ども達の姿も素敵だなと思うんですよね。で、個人的には、何かに一生懸命に取り組む人は信頼できると考えているので、子ども達に対しては安心して接することが出来るんだと思います。
自分が森の幼稚園の先生をやるというのは、森の中でイキイキと遊ぶ子供たちの姿に感銘を受けているので、その環境を先生として守っていきたいっていう思いが強いです。子ども達に無限の可能性と成長のチャンスを与えることが出来る森の幼稚園は、子ども達にとって最高のおもちゃ箱だと思っているので、自分が森の幼稚園の先生になって、子ども達がそのおもちゃ箱で遊べる環境を作って守っていきたい。
☆「子どもらしい子ども」は「大人らしい大人」に育つ
子どもの時は、「今」や「自分」のことを考えがちだし、何か一つのことに熱中する感じが多いかなと思ってます。
それが成長するにしたがって、「過去・未来」や「他人」のことに思いを馳せれるようになったり、マルチタスク的な行動がとれるようになってくるイメージがあります。
そういう風に、最初は自分中心だったのが、徐々にその範囲が広がって物事を考えられるようになるのが、「大人らしい大人」って気がするのです。
つまり、「子どもらしい子ども(=今や自分のことを考えがち、熱中しがち)」が成長する過程で「大人らしい大人(=過去・未来、他人について考えることが出来て、マルチタスクが可能)」に育つのではないかなと思っています。
一方で、これが反対になると結構キツイのかなと思います。つまり、「大人らしい子ども」は「子どもらしい大人」になるのではないかということです。
子どもの時に、他人の事ばっかり気にしたり、過去や未来の事を考えて今を大切にできなかったり、何でもかんでもやらされたりして、子どもらしくいられずに、やけに大人びた振る舞いしてしまう「大人っぽい子ども」は、その反動で、大人になってから、今の事しか考えない、自分の事しか考えない、一つのことに固執してしまう「子どもっぽい大人」になってしまうのかなと思います。
なので、個人的には子どもが子どもらしくいれる環境が大事かなと思っています。
上記の考えは、「上手にそして巧みに遊ぶ幼児は、その素質と能力の圏内でも上手にそして巧みに学習するだろうし、そして立派なひと・人間になるであろう」というフレーベルの文章を読んだ時にふと思ったのです。
自分にとっての仕事の条件
☆自分の知っている人を笑顔にしたい
☆相手の笑顔を直接見たい
☆充実感のある疲れが欲しい
☆人の心の中に生きれるような深い関係性を築きたい…かも…
上記のような気持ちはあるんですけど、一方で、早く忘れて欲しいという矛盾した気持ちを抱えているのです…笑☟
☆「早く終われ~」とは思わない
☆キーくんであり続けられたら最高
☆尊敬する人達と一緒に働きたい
☆自分自身に対して「責任」と「期待」を感じられる仕事をしたい
☆子ども達がその人を先生と認めた時に初めて、その人は先生になれる
「先生」という資格は、幼稚園で働く為に必要な資格であり、その資格を持っているからといって、子ども達の先生になれるかといったら別問題かと思う。やっぱり先生とは子ども達が「この人は先生だ」と認めてくれた時に初めて先生になれるのではないかと思う。
だからこそ、子どもとは何か、教育とは何か、学校とは何かみたいな問いに対してきちんと自分なりの意見を持っていたいと思うし、9月から始まるAusbildungでしっかりと教育学を勉強して、知識を身につけていきたいと思う。
教育関係で好きな言葉
☆情熱を持って前進‼
☆いつも子供を守ろと保育園に対し苦情を言ってきますけどね、これだけは言っときます。子どもは見るもの・聞くもの・手で触るもの、なんでも体験した事を吸収するんです。学習能力が凄まじいんですよ。その能力を止めてしまうのは、いくら親でも許しませんよ。(赤ちゃんと僕)
☆失敗するのが当たり前。成功したら男前。失敗は頭の上ではなくて、足下に置いていく。
☆どれだけ熱心に応援しようとも、それを仕事にしている人間には敵わない(仕事か趣味か:田中慎弥)
☆好きにならなきゃ好きな理由はわからない。だったら、直感を信じてみませんか?理想と違うからとか、条件が合わないからとか、そんなの時間のムダ。人生は一度きりなんです!ガッツいていこう!!
☆ひな…よくやった!!
☆学校だけが世界じゃないんだ
☆俺は自分の手で足で考えて動いて、自分の人生を手に入れたいんや!
☆自由は秩序を作り、強制は無秩序を作る。(ファーブル:昆虫の行動研究の先駆者)
☆若人よ、自分にとっての幸せとは何か、それを問うことこそが前向きな悩み方だ。自分にとっての幸せをつねに問い続けるのさえ忘れなければ、人生は有意義なものになる。
☆よい大人=『経済的独立+自分に居心地のいい人間関係を自力で開拓+「自分が選んだ」と自分に言い聞かせる姿勢』(by 中島義道)
☆若い時の辛労、買うてもせよっ。立て茂雄、ホレ、お前の足はそのためについとるんだよ。
☆自分に対して嘘をつかないこと
個人的に心がけていること
☆子どもと接する時は機嫌良く!
「所詮子どもだから…」みたいに思ってる部分が心の中にはあるので、子どもから何か不愉快なことを受けても、真に受けずに対応してます。笑
子ども相手に自分の感情を害されるってのが、大人としての自分の感情コントロールがまだまだかなと思ってしまう。
常に変わらず、70%くらいの良い気分を維持出来たら良いと思うし、それぐらいだったら、好きな音楽を聞けば自然とそうなっちゃうタイプ。
音楽は心の栄養素だと思っているので、仕事始める前に音楽を聴くのは個人的には大事な習慣。
あと、叱るってのも個人的にはキャラクター的にあんまし向かない感じ。なので、叱る場面に出くわした時は、そうならない為にはどうするべきかを考えて、2回目を阻止しようとするタイプ。
どうしても叱らないといけない場面では、叱るのが得意な先生にバトンタッチしてます。それも結構抑止力になるので、”チームプレイ”という形で結構良いと思う。
先生1人で20人の子ども達を見ないといけない状況だと、その1人の先生が、叱る役割とかの全ての役割を担わないといけないので大変だけど、森の幼稚園は1グループに3人ぐらいは大人がいるので、適材適所ということで、各々が得意な事をやれば良いという環境が出来ているので良いと思う。
☆子どもの選択余地が残っているような大人の決め方
大人が枠組みを決めて、詳細は子ども達に決めさせるって感じ。
☆相手の感情を理解していることを伝えてから、自分の考えを言う
このやり方は有効過ぎる…☟
☆オウム返し
最高のオウム返しが載っている漫画がコチラ☟
ドイツの森の幼稚園で実際に自分がやったこと
ドイツの森の幼稚園で戦う為の準備
☆悪い天気など無い。悪いのは服の着方だ。
☆なぞなぞやジョーク、童謡、マジック、工作のアイデアを知っておくと、子ども達とコミュニケーションが取れる
雑感
☆学校とは「思い出作りに最適な場所」。「様々な基準(=嫌な事や好きな事)を知る場所」。
☆森の幼稚園とは「子ども達にとっての最高のおもちゃ箱」。
☆先生の役割とは
☆世界の多様さに目をみはること。それが外国語学習の一番に楽しいことではないでしょうか。
☆ドイツの仕掛け絵本にハマったきっかけの絵本「In meinem kleinen Herzen(私の小さな心の中)」
☆日本の森のようちえんに対して触れた記事☟
☆20代までにしておきたいこと
☆勉強は自分の認知特性に合ったやり方でして欲しい☟
☆勉強をきっかけに「考える人」になって欲しい…☟
☆考えることが出来ないと、「騙され」て、「狂う」ことになる☟
https://note.com/kikun_waldkita/n/n0a2be0f09480?magazine_key=mb15e8979c2e0
終わりに:信念は自分を導くコンパス
長々と書いてきましたが、自分の信念って、自分を支えるための物なので、別に相手が自分と同じ考えじゃないといけないとは思っていないです。信念は相手を巻き込むものじゃなくて、自分自身を奮い立たせるというか、辛い時に戻ってエネルギーを貰えるものだし、日常的に自分のやるべきことを示してくれるコンパスみたいなモノ。そのコンパスを他人に見せて、一緒に同じ方角へ行こうとはしないです。その人にはその人のコンパスがあるので。
ただ、自分の信念と近い信念を持っている人と出会えるのはとても素敵な事だと思うし、自分の経験で言うと、森の幼稚園は自分の信念を実現できる場所だし、森の幼稚園で働いている人達に似たような信念を持っている人が多かったので、自分は森の幼稚園が良いなと思っているだけ。
PiA-Ausbildungで大変なこともあるだろうけど、辛い時はこれらの信念を思い出して、しっかりと乗り越えていきたいと思う。というか、「ユメで見たあの場所に立つ日まで 削れて減りながら進む」わけですから、ラクして先生になれるなんて1nmも思ってないし。
夢追い虫として、情熱を持って前進するのみです‼