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【エッセイ】解読不能な石板(700字)

今朝、いつもよりも早く家を出てカーラジオをつけると、NHKのラジオ深夜便のワンコーナー「絶望名言」の安部公房の再放送が流れていた。安部公房は実にすばらしい方である。

素晴らしく良い回だった。若者風に言うと神回である。

絶望名言のすばらしい内容は私などが解説するよりは実際に聴くのが一番いい。40分ほどあるがぜひ聴いて欲しい。必ず損はしない人生の40分になる。今日、いつもより早く起きて職場に向かおうと思わなければ絶対に出会わないラジオだった。こんなことは私の人生でたまに起こる。

さて、私の家は山奥にある。ラジオすら受信がままならない。都市部に出るまでの間、ラジオの音がブツブツ途切れて所々聞き取れず、しかもここ聴きたい!と思った所に限って切れるものだ。

聞き取れない音に苛立ちながら、私は古代文明の石板や大昔の文献で欠落してしまい、読むことのできない□□となっている部分があるのを思い出していた。

古典の文献などに□□となっている部分を見るのを私は好きだ。なぜ好きかと言うのは説明できないが、歴史のロマンを感じると言えばしっくり来るかもしれない。

我々は何もかもわかっているように勘違いすることがよくある。Googleを検索すると大抵のことはわかるし、昨今はAIなるものが台頭しつつある。どんどん我々は考えなくなり、知識を軽んじるようになりつつある。果たしてそれでいいのだろうか?我々はいつまでも考え続けなければならないと私は思う。そしていつかその隠された古文書の□□を読み取れた時、我々は真の喜びを得られるのではないだろうか。

この「絶望名言」はきっとあなたの心の目を大きく見開くことだろう。


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