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【お話25 ひとりと想像力】

あや子がかわいい声で笑っている。彼女の声はよく響く声質で、それがまるで、彼女の自信そのものみたいで、空は苦手だ。
「え、一人で焼肉とか全然余裕なんだけど」
香織と穂乃が、あや子の言葉に、すごいねとかなんとか言っている。
香織は本当に一人で外食をするのが苦手な子だ。なんなら、ゼミの教室で一人でお弁当を広げるのも苦手で、つい誰かを探してしまうらしい。そんな彼女に、あや子が平然と、一人の何が苦手なのか、と言い放つ。
逆に言いたい。一人で食事ができることの、何がそんなに誇らしいのか。
「映画とか、一人で行くとラクだよ?」
「うちは、ご飯は良いけど、映画は嫌だな。感想とか、すぐに誰かとしゃべりたい」
「えぇー映画もひとりとか絶対無理」
空を除いた三人は、つつがなく会話が進んでいる。
香織は相変わらず、眉根を下げて困ったように笑っている。
「空は?」
穂乃から話が振られて、一瞬返事に詰まった。考えるフリをして、何が最適な答えだろうかと探る。
「外食は、嫌かな。映画も、映画館まで行くなら、一人ではいかない」
「結構、空って一人行動しないタイプなんだね」
あや子が笑う。

あんたは外食を食費に入れるタイプで、私は交遊費に入れるタイプ。
映画はどうしても見たいと思うほど興味がないだけ。
それだけの違いだ。何がおかしい。

言い返したくなる気持ちを、飲み込んで笑う。
「別に、必要になったらやるよ?」
「すごいよ、みんな。私はその必要をできるだけ回避するもん」
香織が、極端なまでに自分を落として、場が落ち着く。
いつもの自分たちの話の結末に、空は嫌気がさしていた。
何か通知が来たフリをして、スマホに目を落とす。

香織が一人でご飯を食べたがらない理由は知らない。
でも、何かの理由で一人を避けていると、あや子は考えないのだろうか。
いじめの経験とか、家庭事情とか。もっと別に、何か彼女が孤独に見えることを恐れる心理があるかもしれない。
あや子には、そういう想像力が足りない。
だから気軽に、偉そうに言えてしまうのだ。

空はそっと息を吐く。
このグループで、一番声が大きいのはあや子だ。
彼女とソリが合わないのなら、そっとグループを抜けることもありだ。真剣に考えよう。


そんなことを思いながら、次の講座を一緒に取っているあや子と二人、連れ添って歩く。
彼女の歩くペースは少し遅い。
「あや子?」
「あ、え?ごめん」
声をかけても返事は鈍く、空の後ろをあや子は静かについてきた。
4人でいる時は声が大きいくせに、空と二人になった瞬間、わずかに小さくなる。そう言うところは、まるで香織と穂乃をバカにしているようで、はっきり言ってしまうと嫌いだ。やっぱり、彼女との付き合いを、段々と減らしていこう。


空が小さな決定をしてから、数日。
ゼミや同じ講義をいくつも取っているはずのあや子と、全く会うことがなかった。
香織や穂乃とは時々廊下ですれ違ったが、その二人と一緒にいたということもない。
距離を置こうと決めた矢先だったので、随分とできすぎた感じもする。
もしかしたら、あや子のほうも空と距離を置きたかったのかもしれない。
喉に何か引っかかったような、小さな不快感。空は自分勝手な思考を、持て余すようにラウンジへと向かった。
「空…」
小さく、しかしはっきりとした発音で、名前を呼ばれる。
声の主は、あや子だった。
「あや子…なんか、久しぶり、だね」
ここまではっきり呼ばれてしまうと、無視をするわけにもいかない。
あや子が座るテーブルへと近づきながら、肩にかけたトートバックをずらす。
彼女の向かい側の椅子を引き、荷物を置きながら座った。
「うん、ちょっと学校休んでたから」
「風邪?」
テーブルに広げられた、レジュメの束を眺める。ページの端に、「あや子」と書かれていた。その文字は、香織のものだ。
「ううん。キビキ」
キビキ、という耳馴染みのない単語を、うまく捕まえられない。
何気なく、トートバックからスマホを取り出しながら、首を傾げた。
「伯母さんのお葬式だったの」
葬式。単語が急に、文字になって、現れる。忌引き。
こういう時、どういうのが正解なのか。
騒がしいはずのラウンジが、急に静かになった気がした。
「あ、それは…」
ご愁傷様です、と言いかける。でも、飲み込んでしまった。
「…伯母さん、まだ53歳だった。結婚してない、一人暮らしで、バリバリ働いてて」
あや子はレジュメの束を整えながら、話しだす。
散らばった筆記用具を、一つずつ、筆箱に片付ける。
「伯母さんが言ってたの。一人でなんでもできるようになると、結婚できないって」
筆箱のチャックを閉め終わったあや子と、目が合う。
「だから私、ご飯も映画も、一人でできるようになろうと思ったの」
だから、という接続詞が、何にかかっているのか。空にはよく、分からない。

背中に何か冷たいものを垂らされた気がする。
自分は、何をもってして、あや子と距離を置こうとしたのか。急に分からなくなる。

想像力。
その言葉を思い出した。この感覚は、羞恥というよりも、恐怖だった。

ぼんやりと、香織が書いたあや子の名前を、視線でなぞった。
「ひとり、」口の中だけで、呟いた。
「何か言った?」
あや子には、聞き取れなかったようだ。
ゆっくりと首を振る。
「…あや子、あとでレジュメ、コピーする?」
「そうさせて!レポートの課題まじで終わりそうにないから、助かる!」
空は自分たちがラウンジの喧騒に戻っていくのを、肌で感じた。

お前はもっとできると、教えてください。