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【お話27 お酒とタバコ】

お酒が飲めない。体質的なもので、飲むとすぐに眠たくなる。
そのせいで、大学生の頃はずいぶんとひどい目にあった。
慣れれば飲めるようになる、という言葉を信じて、飲みまくったこともある。
結局、全てトイレに流れて終わったけれど。
男の世界で生きるとためには、酒というものはほとんど絶対必要不可欠なのだ。
飲めないだけで、大半のことがうまくいかない。
そうじゃない世界もあったのかもしれないけれど。
頭もよくない。口下手。イケメンでもない。
そんな自分が入れる世界は、そういう世界しかなかった。
酒の代わりに身に着けたコミュニケーション方法は、タバコとパチンコ。
でかい図体を持て余して、今も生きている。


神田雄二の人生は、現状、そんな感じです。


入社して3か月後。配属された営業所は、心なしか狭い。
デスクをくっつけたヤマは一つだけ。神田の隣には、同期入社の蓮見茜が立っている。
蓮見は本社で3ヶ月研修した所謂エリート組だ。神田と同じ地方の営業所にいるのが、少し違和感だった。
神田と蓮見、名前の順番で挨拶をする。
聞いている人たちは、3人。営業所長に、先輩社員が2人。それがここの最大人数らしい。
「神田くんは、何かスポーツしてたの?」
「えっと、一応サッカーを少し」
「ガタイいいもんねぇ。身長いくつ?」
「176です」
営業所長は、笑いながら神田を見上げた。デカい、と褒めてくれている。
「うちは人数が少ないから、蛍光灯を変えるのも自分たちでやるんだよ。神田くんがいたら違うねぇ」
「あ、はい。任せてください」
笑いながら、首の裏を掻く。
猫背になっている。気が付いたが、直すつもりもなかった。
営業所長の目が、隣に立つ蓮見へと移る。
「蓮見さんは何かスポーツしてた?」
「私、運動ダメなんですよ。家でずっとマンガ読んでました」
「そうなんだ」
営業所長が次の言葉を探している。
たぶんセクハラにならない、でもコミュニケーションのとれる、言葉を。
「ひとつだけ得意なものがあります」
蓮見がニコリと笑った。顔立ちは特別美人ということでもないが、笑うと愛嬌がある。
「お酒を飲むことです」
彼女の一言に、思わず背筋が伸びた。


新人歓迎会は、いつも使っているという海鮮居酒屋で行われた。
この地方は海が近く、魚ならばそこそこの値段で、そこそこの料理が食べられるらしい。
教えてくれた男性の先輩は、明日も仕事だというのに、県の地酒をちびちびと飲んでいる。
神田は、ぼんやりした頭で必死に先輩の言葉にうなずく。
乾杯の一杯のビールは、まだジョッキに半分以上残っている。
友人同士の飲み会だったら、そろそろタバコで誤魔化し始めるころだ。最近はタバコが吸えない飲み屋も増えていているけれど。
向かい側で、女性の先輩と笑っている蓮見のジョッキはもう2杯目だ。
話しの合い間にも、喉を潤すように、ジョッキに口をつけていた。

うらやましい。

ふと、神田と蓮見の目があった。
蓮見の視線が神田のジョッキに移る。なんとなく恥ずかしくなった。
「あ、すみません。お手洗い行ってもいいですか?」
先輩に断って、彼女は立ち上がる。
危なげない足取りで歩き、店員にトイレの場所を聞いている。

うらやましい。

自分のジョッキに口をつける。液体を唇で撫でる。
アルコールの匂いだけで、もう、だめそうだった。
タバコが吸いたい。無性にそう思った。

手洗いから帰ってきた蓮見は、ジョッキを一気に飲み干す。
「先輩、何か頼みますか?」
グラスが空になりそうな先輩にそう言って回る。
自分が気が付けばいいのに、それができない。頭がぼんやりしている。
すぐにやってきた店員に、蓮見に注文を伝えている姿はよく見なかった。

「お待たせしましたぁ」
店員が飲み物を持って来る。置かれたグラスを、蓮見が回す。
「はい。神田くんのウーロンハイ」
え、と思ったら、紙ナプキンと一緒にグラスを渡された。
神田は、グラスに滲んだ文字を読む。
【ウーロン茶です。飲んでください。】
見たことはないが、たぶんこれは蓮見の文字だ。
「あ、ありがとう」
「神田くん、ビール苦手だったんだね」
「あ、うん」
2人で、小さく会話を交わす。
向かいでは、蓮見のグラスも自分と同じ深い茶色だった。グラスの形も同じ。
でも、彼女のそれにはアルコールが入っているんだろう。
そんなことを考えながら、グラスに口をつけた。
喉に滑り落ちていく液体は、冷たくて気持ちがよかった。


次の日。朝一番に営業所に向かった。
着いてみると、まだ誰も来ていなかった。
営業所の前に置かれた自販機の横に、丸い縦長の灰皿を見つける。
傍に立ち寄って、タバコに火をつけた。
白い煙を肺に入れて、吐き出して。
昨日の酒は思ったよりも残っていない。
「あ、神田くんだ」
名前を呼ばれて顔を上げると、そこには蓮見がいた。
「おはよう。まだ誰も来てない感じ?」
「おはよう。そうみたい」
蓮見はスマホをポケットから取り出す。画面を見ながら、営業所のドアの前に移動してきた。
風上で、タバコの煙はそちらには流れない。
「蓮見さん、タバコ苦手?」
返事を聞く前に、タバコの火を押し消した。流れるように灰皿の中に落とす。
「ごめんなさい…」
なぜか謝る蓮見に、神田は両手を振った。
「タバコは身体に悪いから」
「…お酒も、別に身体にいいわけじゃないよ」
蓮見にとっての酒は、神田にとってのタバコなのかもしれない。
返ってきた言葉に、なんとなくそんなことを思った。
「昨日はありがとう。助かった」
神田は、タバコ臭い口を蓮見に向けないように、礼を言う。
「こちらこそ、さっきはありがとう」
蓮見も、神田と同じ方向を見つめて、言った。

営業所の前を通る幹線道路を、通勤の車が走っていく。
2人の視線は絡むことなく、同じ方を見つめていた。


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