見出し画像

史緒ちゃんと佐藤さん

初めて【しゅがーちゃん】と待ち合わせをしたのは、ライブハウス近くのコンビニの前。
周りには【リル】のヲタクたちが何人もたむろしていて、その中で彼女は、一言で言えば異質だった。
今、目の間に同じ姿があって、やっぱり異質だと思った。今日はその理由までちゃんと理解できる。
「あ、シオちゃん」
先に向こうが気が付く。軽く上げた手の先に、健康的な色のネイルが施されているのが、見える。
「待った?サトウちゃん」
「ううん。今日は午後休取らなかったら、慌てて今着いたぁ」
「服は?仕事のカッコじゃないでしょ?」
サトウちゃんの服装は、黒いパンツに白いTシャツ。足もとはバンドで固定された、ぺたんこ靴だった。
荷物はたった一つ。薄いボディバックだけ。
あたしの問いかけに、サトウちゃんは照れたように笑った。
「職場のトイレで着替えてきたの。ライブだし。仕事のカバンとか、全部会社に置いてきてる」
わざわざ、と言いかけて、飲み込む。今日の彼女は、初めてライブに行ったあの日と同じ、綺麗な桜色のピアスをしていた。
きっと、「わざわざ」つけたのだろう。
「じゃあ、行こっか」
サトウちゃんが、歩き出す。あたしはその隣を、ちゃんと歩いた。


【リル】のライブに一緒に行かない?

サトウちゃんから送られてきたDMには、そう書かれていた。
悪い冗談だと、思った。
サトウちゃんは数時間前に【リル】へのお気持ちツイートを連投していて。
あたしは【リル】への複雑な感情を吐き出すツイートにいいねを送っていて。
そんなふたりで、ライブ。
「いや、ないでしょ」
低く呟く。自分の声が、思ったよりも低くて、驚く。
指はなめらかに、「ごめん」と打った。
それに続く、断りの理由を探しているうちに、指が止まってしまた。

適当な言葉で理由を作ることは、得意だと思う。
適当な理由をつけて大学を辞めたし、親からの連絡もかわしている。
めんどくさくなれば、友達っぽい人たちからの誘いも、同じように適当な理由をその場で作って距離を取る。
それなのに今。サトウちゃんの誘いを断る理由が思いつかない。
随分前に飲んだ眠剤が、ようやく眠気を連れてきたのか。
ぼんやりしていくあたしの指先は、「ごめん」を消した。
思いつかないなら、誘いは断れない。
「いいよ」と送信してしまうと、眠気はもうどうしようもないほどに身体を全体に広がった。

朝起きたら、【しゅがーちゃん】から、にっこりと笑った顔文字が送られてきていた。


そんなことを、今日、サトウちゃんにはばれたくない。
あたしは少し高い声で笑い、【Uあい】の話をした。サトウちゃんは「【Shio】ちゃんはかわいいから大丈夫だよ」と笑う。
中身のない会話だった。

ライブハウスに入る直前、サトウちゃんは足を止めた。
「どうしたの?」
「んーなんとなく」
ぼんやりと呟くと、人の流れに合わせるように、歩き出す。
「【リル】の名前って、めちゃくちゃ長い意味だったんだね」
サトウちゃんは入場待機列に並びながら、口を開いた。あたしは、その隣に立っている。
そんなことも知らなかったのか。思ったけれど、表情には出さない。
「私ったらなにも知らなくて」
何も言わず、ライブハウスに貼られた、【リル】の名前が入ったポスターに目を移す。
長い名前の話を、今はしたくない。その名前にこめられた意味も、ウイハの炎上でからかわれたばかりだ。
「これから、知っていけばいいんじゃない?」
ほろりと、零れるように呟いていた。
サトウちゃんは驚いてた。ただでさえ丸くて大きな二重の目が、更に大きく綺麗に開かれていた。
「これから、か」
前の方から聞こえた、大きな笑い声に、サトウちゃんの声はかき消されそうだった。
列が進む。少しずつ。階段を下りていく。
【リル】が近づいてくる。

ライブハウスの中でカクテルライトに照らされたステージを見たら、きっと自分がどれだけ【リル】が好きか、突きつけられてしまう。
ウイハのツイッターも、それに大した指導もしてないであろう事務所も、きっと気にならなくなる。
あたしは、それが怖い。
サトウちゃんは、どう思ってるのか。横顔からはなにも分からない。
自分たちが何を求めて今日ここに立っているのか。
はっきりした答えは、ライブが全部終わってもきっと見つからない。

「今日、シオちゃんと一緒に来れて、よかった」

喉の奥が、ぎゅっと痛くなる。
あたしは笑顔を作った。

「あたしこそ、サトウちゃんと一緒に来れてよかった」

口に出すと、それが全てのホントウみたいに思えた。
あたしたちは、ステージのあるフロアへと続く狭い廊下を進んだ。


お前はもっとできると、教えてください。