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日本傾国中(6)

祖国が傾いている。

日本が滅びようとしている・・・と言っても、過言ではないと思う。

その原因は何で、何が必要なのか。

思うところを語っていきたいと思う。


みんな、おかしくなった

1976年(昭和51、松本13歳、渡部4歳)、松本人志は中学生となった。

1970年代後半になると、童貞は、完全にカッコ悪いモノとなっていたようだ。

更に、男子諸君の猛烈な攻撃を受け、女の子たちの意識も変化していく。

恋愛ドラマや恋愛マンガなどの後押しも相まって、彼女たちの中に、一種の憧れを生んでいく。

当初は、男子からの攻撃に対し、気持ち悪いとか、嫌だと否定していたのが、嬉しい事と受け止められるようになっていった。

女性が美を求めるのは、いつの世も変わらないが、この頃から、モテる為にという概念が大きくなっていく。

自分が着たいからではなく、モテるから着る・・・といった感じだ。

男子からの品定めも影響したと思う。

女たちは、童貞を捨てる為の対象に成り下がった。

世の中の事など何も知らない、青二才の小僧たちが、雨夜の品定めならぬ、教室内の品定めを始めるのは、当然の帰結だった。

だからと言って、女性たちが、身体を簡単に許したわけではない。

恋愛部分を主眼としている彼女たちにとっては、肉体関係は、次元の異なる話だった。

執拗な男性の圧に、困惑する事もあっただろう。

首を縦に振らない女性の方が多かったと思われる。

窮地に陥った男性たちは、一つの選択肢に到達する。

彼らは気付いたのだ。

同年代の女の子がダメなら、春を売る女性がいるじゃないか!

童貞を捨てる事に必死な男子諸君は、なりふり構わずの体となっていた。

ここまで来ると、女性は、手段であり、目的であり、道具としか言いようがない。

こんな風潮の中、多感な思春期を過ごしていた松本が、女性を道具として扱うのは、当然の事だったのかもしれない。

とにかく、風俗の店で童貞を捨てる事が始まった。

こう書くと不思議な感じもする。

戦国時代でも、江戸時代でも、初めての相手が、春を売る女性だった人は存在するからだ。

ただ、この頃の若人は、少し違ったように思う。

興味関心(無かったわけではないが)が有って、店に行くというよりも、童貞を捨てる事に重点が置かれていたように感じる。

この動きに、フリーセックス推進派も気付いたようで、阻止すべく、新たな一手を繰り出す。

1983年(昭和58、松本20歳、渡部11歳)「プレイボーイ」という雑誌が、素人童貞なる言葉を生み出したのだ。

推進派からすれば、若い男性が、春を売る女性に向かってもらっては困る。

あくまで、フリーセックスを広める事が目的なのだから、素人女性に向かってもらわなければならないのだ。

そこで生み出されたのが、素人童貞という言葉なのだろう。

童貞を捨てると言っても、相手が玄人ではダメだと、何の権限が有るのか、勝手に規定してしまったのだ。

当時のマスコミの力は絶大だった。

大僧正や大司教の御触れのようなモノだった。

教えに反する者は、破門され、人として扱われないくらいの勢いだ。

若者たちは、是が非でも、素人と規定される女性に向かうしかなくなった。

この動きは、異性との交際を必至とする。

十代の若者たちの異性間交際が盛んになるのは、自明の事だった。

だが、大人たちは反対した。

学生間の交際など、有るまじき事で、けしからんと。

若者と大人の争いが勃発した。

当然、マスコミというか、推進派は、若者を応援した。

1979年(昭和54、松本16歳、渡部7歳)には、テレビドラマ「金八先生」が始まった。

若者を擁護するというか、対立を煽るマスコミ。

若者は正しく、大人は間違っているとされた。

金八先生のように、若者の考えに理解を示し、歩み寄る姿勢がいけないとは思わない。

当時の世相を考えれば、そうする他なかったようにも思う。

アメリカを中心とする、欧米社会が、女性の社会進出という言葉を隠れ蓑にして、フリーセックスは正義だと広めていた時代なのだ。

金科玉条のように振りかざされていた時代では、それ以外の手段は見つからなかったのだろう。

1983年(昭和53、松本20歳、渡部11歳)には、尾崎豊がデビュー。

「この支配からの卒業」
「先生、一体何を信じれば・・・」

若者たちは正しく、大人は間違っているのに、理解してもらえない苦悩。

若者たちは悲劇のヒーロー、ヒロインとなっていった。

マスコミが作り出した幻想に、皆が酔いしれた。

この頃になると、女性の変化も大きくなった。

当初は、童貞を捨てる事に必死な男性に翻弄されていたのが、彼女たちの方から、求めるようになったのだ。

付き合っていない事が、恥ずかしいと思われるようになった。

彼氏がいない事に、焦りを覚え始めたのだ。

童貞を捨てる事しか考えていなかった男性に、傷つけられた女性も数多いだろう。

好いた惚れたで関係を持ったのではなく、ただヤレそうだったから・・・という理由で、悲しい出来事に遭遇した女性もいたはずだ。

それと同時に、男を見下すようにもなっただろう。

品定めをされ、物のように扱われたら、そんな境地にもなるだろう。

1985年(昭和60、松本22歳、渡部13歳)頃には、ブルセラというモノが発生する。

ブルマとセーラー服を略した言葉で、そういった衣装に性的な興奮を覚える男性が購入したのだ。

こういった店に、自分の制服を売りに出す女性も現れた。

彼女たちは気付いたのだ。

男の性欲は、金になると。

時期を同じくして、テレフォンクラブという業態が誕生。

身体を売らなくても、お金になるという事で、家出中の女子高生が、見知らぬ男性とデートをしていた事件も発生した。

そして、1992年(平成4、松本29歳、渡部20歳)頃になると、援助交際というモノが発生。

女子高生が、身体を売る時代へと突入していった。

ここまで性欲の制御を外し、やりたい放題だった時代を歩んできた松本と渡部。

彼らの感覚がおかしいのは、日本全体がおかしかったからだろう。

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