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藤子不二雄Ⓐ先生作品の思い出

 4月7日、藤子不二雄Ⓐ先生死去のニュース。

 今日は藤子Ⓐ先生作品の思い出を振り返る。

 なんといっても一番色濃い記憶はアニメ版の『笑ゥせぇるすまん』。

 夕方に頻繫に再放送されている頃があり、熱心に見たなぁ。夕方という時間帯にもかかわらずグロいエピソードもバンバン放送されていて、ある意味やっぱりあの頃のテレビは勢いがあったなぁと。エンディングが妙に明るくて「いやそれで本編の後味悪い終わりがチャラにならないから!むしろ不気味だから!」とツッコんだものである。あの謎のピエロも怖い。

 作画、音楽、演出、声優さんなどなど全ての要素がバッチリハマっていて最高の作品だった。


 藤子Ⓐ作品に最も接近したのは大学生時代。

 中野のまんだらけでわりとマイナーなタイトルの藤子Ⓐ作品の古本を買い、その作品が本来意図していない箇所をあげつらって友人とゲラゲラ笑いながら読むというあまり品の良くない読み方をしていた。いわゆる「裏笑い」というやつだ。

 「妙に気合いの入った背景描写」「オチゴマで何故か急に写実的になる」「言葉では言い表しにくいドラッギーな感覚」、このあたりが当時の我々が面白がったポイントだったかと思う。

 藤子Ⓐ作品にはとてつもないパワーがあり(作画のレベルも高い)、その勢いを真正面から受け止めることが出来なかったが故に「裏笑い」をすることで当時の我々は逃げていたのかもしれない。そういう悪い読み方をしても許してくれるだろうという藤子Ⓐ作品の懐の深さ・度量の広さをどこかで感じていて、それに甘えていた面もあったと思う。

 当時は藤子Ⓐ作品を友人と読む→爆笑し過ぎて疲労困憊になり、その激烈な反応を避けたいがために脳が拒否反応を示したのか、この頃は藤子Ⓐ作品の単行本のカバーを見ると猛烈な眠気を催すようになった。今回藤子不二雄Ⓐ先生死去の一報を聞いた時も、やにわにふわっと眠たくなった。まだ条件反射が生きているのだ。

 いつの日か、別の友人が『まんが道』にドハマりして「おもしれ~!」と叫んでいたのを思い出す。

 私は藤子Ⓐ先生の良い読者ではないけれど、先生が遺した長い道を時おり目をこすりながらフラフラ歩きたいものである。

 それでは皆様ご一緒に。

 ドッボーン。(←こんなオチゼリフがあったのです)

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