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「センス」の正体

つくづく自分はセンスがないなぁと感じることは多々あって。

たとえば歌とか、ギターを演奏することとか。なにかを人前で魅せること・パフォーマンスすることにおいては特に、すらすらと上達した試しがない。

いつもまわりに置いてかれたような気がして、萎えてばっかりだ。

一方で、スノーボードとか、体操とか、おなじパフォーマンスでも体を動かすことに関しては、そこそこセンスがあったんだと、振り返ってみてって思った。

水泳は嫌いだったけど。


こうしてみると共通点として挙げられるのが、

・一連の動きにおいて、どこが鍵になっているのか、そういった、「コツが見てわかるもの」に関しては上達が早かった。

・一方で、とにかくトライ&エラーを繰り返して、体の感覚に伴うアウトプットをフィードバックして理解するような、「コツを感覚で理解するもの」に関しては飲み込みが悪かった。プログラミングとかも実はこっちに分類されると思う。

こうして並べて見たときに、気づいたことがひとつあった。

コツが見てわかるものに関しては、何が悪いか、何が上手くいくポイントなのか、といった要因が、比較的すぐにわかった。解説される前になんとなく理解していた。後者に関しては、解説されてもなかなか理解できないケースがあった。

センスがいい、とかいう風に使われる「センス」という言葉。それは、どうしたら上達できるか、何が悪いかといった、改善の要因を見抜ける力のことなんじゃないかと思った。


たとえば、国語の点数がなかなか上がらない子がいたとする、間違えたところを、どうしてこの回答が正解なのか、ということを説明してもわからない、なぜ間違えたのかわからなかったら、当たり前だけど点数はなかなか伸びない。

それが、解説を聞いて理解したなら、点数が上がる余地がある。解説を聞かずとも、なぜ間違えたのかを本人がわかっていたなら、点数は自然と伸びる。

センスがある。とはそういうことではないだろうか。


ファッションにしろ、趣味にしろ、デザインにしろ、何が悪いかがわかっているなら、それを改善すれば良い。とっても簡単な話だ。

デザインやファッションはなおさら、「センス」という言葉でまとめられがちな気がする。それは、普通の人はそのデザインを見たときに「何が悪いか」とかいちいち考えないし、改善の余地を与えないのがデザインのゴールみたいなところだから、ということでもあると思う。


ただ、そうはいっても簡単な話じゃない。

どんなことでも、「何が悪いか」がわかれば改善の余地はある。ただ、それがわからないことの方が大半なのだ。みんな、一目でわかってたらこんなに苦労しないはずだ。

羽生選手の演技は、「転倒した」とか「ジャンプのバランスが崩れた」とか、素人目に見たらそれ以外の改善点は見つからないと思う。ぶっちゃけフィギュアスケートの採点方法とかさっぱりわからない、当たり前だけど。

「センス」=「何が悪いかを見抜く力」だとしたら、それを見抜く力を磨かないと、より高度な改善点は見つけられない

センスを磨く、とはよく言うけど、高尚なものとかではなくて、そういう愚直な話だったのかもしれない。


僕は、普段通りに生活していると、何が悪いか、とかあんまり意識することはなかった。だから、集中しているときに見ているものに関しては、コツを掴むのが早かったのかもしれない。どうやら目は良いらしい。

ただ、カラオケでわいわい楽しんでたり、効率的にこなそう、とか思ってるときはだいたい、「何が悪いか」とかいちいち考えてない。当たり前だけどそれだとセンスは磨かれない。

たまに、素人なのにめちゃくちゃ歌が上手い人とか、意味がわからないくらい飲み込みが早い人に会う時がある。それはちょっと「才能」とかいう別の要素が入ってくるのかもしれないけど、きっと「何が悪いか」「改善点はどこか」を見抜いてるのかもしれない。

センスとか聞こえの良い言葉でかっこつけても、結局、愚直に考え続けることが大事なんだね。

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