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オヤジさんの話

俺にはオヤジと呼べる存在が三人いる。
まずは実父。
俺が10歳の時に両親が離婚してから会っていない。
「まぁ死んだら連絡来るやろ」と思って生きてきたが、二年前に既に死んでることがわかった。
東北の震災の前日に脳梗塞で倒れ、そのまま10年ほどベッドの上で生き永らえ、そのまま眠るように死んだという。

二人目は、嫁の父親、いわゆる義父というやつだ。
お義父さんは嫁とお付き合いするときにご挨拶でお会いした。
嫁が19歳の時なので、もう12年ほど前の話だ。
「3人、娘がおるうちの、いちばん下の娘が
 連れてきたのが、お前みたいな、
 オッサン(当時の俺は32歳)とはな。」
と苦笑いしてはった。苦笑
三女である嫁を溺愛していたので、ぶっ飛ばされることも覚悟していたのだが、意外にもそんな展開もなく、交際を許可していただいた。
(いけ好かない奴、と思われていたそうなのだが、自分と容姿が似ていると感じたそうで、「俺に似たやつを彼氏にするのならば、それは仕方ない。」と悦に入っていたそうな。笑)
これからオヤジさんとして、大事にしていきたいと思っていたのだが、その時にはもう身体を悪くされていて、ほどなく亡くなった。

ということで、うちの子どもらには「じいちゃん」と呼ぶ存在が生まれたときから存在しなかった。
それはどうすることができないのだな、ずっと可哀そうだと思っていた。
そして、三人目。
うちの会社の顧問、今回のお話のオヤジさんである。

顧問との出会いは、今の会社に移る前に所属した会社のときだった。
その会社は13回に渡る俺の転職歴の中でもトップレベルのクズの社長の会社だったのだが、少しでもまともな会社にしてほしいという社長に請われて総務課長として採用されたはずの俺が、入社初日、別室で3時間待たされた挙句、なぜか新設の不動産仲介会社にぶちこまされた時の横の席に座っていたのが、オヤジさんだった。

オヤジさんは入社早々ブチ切れてる俺に優しく話しかけてくれて、話を聞いてくれた。
良く聞けば、オヤジさんは俺が過去に在籍したワンルームもしもし会社に、俺がブチ切れて辞めた後に入った人だと知る。
・・俺、ブチギレ過ぎやな。苦笑
(まぁ、クズ会社の社長から、そこの長を任せられた奴も元そのワンルームもしもし会社の人間で、知り合いだったんで、俺の部署異動もそいつの入れ知恵だったっぽいが。)

俺の人となりを知り、不動産事務がそこそこできると知るやいやな、
「よかったわー!!これでこの会社も回る!
 今日からほんまによろしくな! 
 まず飲みに行くか!」
と仕事もそこそこ、近所の居酒屋からスタートして入社初日に3軒ハシゴして飲み歩いた。笑

酒を酌み交わして話をすると、オヤジさんは元々は某財閥系不動産仲介会社の大阪支店長を務め、定年退職後に請われていろんな会社の顧問になっているとのことだった。
最初聞いたときは、「なんでまたこのクソ会社に!?」と叫んでしまったくらい、居るべき場所を間違えていると人だと思った。
おっとこ前やし愛嬌もあって、女性にもモテる。

渋々働きだした会社だったが、オヤジさんが居てくれたので1年ほど在籍した。
その間、クソな会社の法律違反状態や就業規則すらない状態を是正すべく、いろいろ動いたり社長に箴言してたんだけど、終いには営業課長から「民泊のベッドシーツ替える係長」なんてものに貶められた後、懲戒解雇されたんだけどねw
(そんなもん認められるかい!!)

まぁ、そんときの話は長くなるから、また次の機会に回すとして、俺はこのオヤジさんと出会えて本当にうれしかった。
俺には父性がないし、オヤジと慕える人間も40手前になるまでいなかったからさ。
ちょうど下のチビが生まれたときで、めっちゃ喜んでくれてお祝いももらったりして、本当にじいちゃんができて良かったって思った。
オヤジさんにはお二人のご息女がいるけど、息子がいなかったので、血は繋がってないけど、息子のようにかわいがってくれてたんだよ。

クソな会社だったけど、毎日が楽しく過ごしてて、ちょうどコロナが流行り出した頃やったかな、オヤジさんの体調が突然おかしくなった。

「なんかさ・・喉のあたりが詰まる感じが
 するんや。。
 しんどいねん。立ってるのがしんどい。
 横になってたらまだマシなんやけどな。」

って言い出した。
俺はその度に、

「それは、クソ会社病ってやつですよ。
 オヤジさんはこんなとこにいるべき
 人やない。早くこんなクソ会社、
 辞めた方がいいっすよw」

って言い続けてた。

いろんな病院でいろんな医者に診てもらったけれど、何もわからなかった。
それでもいろんな病院を紹介して、診てもらい続けてもらって、ようやく判明した病名が、ALS、筋萎縮性側索硬化症だった。

難病に指定されている病気。
現代の医学では治ることのない、不治の病だ。
手足・のど・舌の筋肉や呼吸に必要な筋肉がだんだんやせて力がなくなっていき、やがて呼吸が止まる病気。

病名が判明したとき、俺は絶望した。
オヤジさんの命はそう長くない。
いずれ死ぬにせよ、まだ70前やぞ!
早すぎるやろ!!
俺はまた「オヤジ」という存在を失ってしまうのか。

そうはいっても、当事者は俺じゃない。
俺が悲しんでも仕方ない。
オヤジさんにこれからどうしたいのかを確認したところ、

「まぁ、治らんのかもしれんけど、
 やることはやろかな。」

と言われた。

そこからまずはオヤジさんに、うちの会社に移ってもらうことにした。
その時には俺は今の会社のボスに請われて働いていて、ボスたちにオヤジさんの病状を伝えたうえで、基本出社なしで在宅勤務で顧問として迎えた。
ボスたちも理解ある方々なので、これなら療養に専念できるでしょうと。

それから様々な治療法を試した。
漢方やら電子線治療やら、承認前の治療法、ロピニロールの使用も、目的外使用だったが、個人輸入で購入して試してみたりもした。

そしてそれ以上に、残された人生を楽しんでもらった。
飲みに行けるときはほぼ毎日飲みに行った。
一緒に何十年も行ってないっていう福岡出張旅行にも行って、美食に中州に大いに楽しんで仕事をした。
何十億のデカい仕事もたくさん一緒にした。

それはうちの会社にとっても大きなプラスだった。
今までの顧問のキャリアによって出来たコネクションを使わせてもらえたからだ。
顧問のつながりで今までは海外の投資家中心だった取引に、国内デベとの仕入れ仲介、大型ホテルの案件などを扱えるようにもなれた。

そこから2年弱経った。
その間も緩やかにオヤジさんの身体は麻痺し、症状は進んでいった。
対症療法しか出来なくなっていた。

去年の暮れごろから急にオヤジさんの体調が悪化していった。
ASLもどこから進行するかによって、残された時間が変わってくるそうなのだが、オヤジさんは喉から始まってしまっていたので、もうそう長くはなさそうだった。

12月の19日、年内最後のご挨拶として、ご自宅まで顔を見に行った。
「ほんまになぁ、先週は死ぬか思ったわ。
 喉が詰まってな。
 そやから怖くてな、もう何も食べたいとは
 思われへんねん。
 生きててもおもろないなぁ。」

と言っていた。
美食家だったのでなおさらだろう。

奥さんからそういうことを聞いていたので、いつも持っていく大好物の治一郎のプリンや、赤白の惣菜はやめて、いろいろと考えて、とても甘い匂いがするイチゴを持っていった。
新地でもよう食べてたから。

「おぉ、イチゴか。ええにおいするなぁ。
 またあとで汁だけもらうわ。ありがとうな。」

いつもより、小さくなっていた。
一昨年死んだ、祖母と同じだった。

「元気出してくださいよ、うまいイチゴ
 食べて、がんばってくださいよ。」

なんて言えなかった。

「オヤジさん、死ぬんはしゃーないけど、
 年末と正月だけは避けてくださいよ?笑
 奥さんも俺も迷惑ですから。
 葬式代も正月は高いでっせ!
 また新年明けてからきますから、
 ええ日本酒、出してくださいね!
 飲まれへんから余ってるって、
 奥さんいうてましたよ!笑」

そう、敢えて軽口を叩いて帰った。

年が明けて令和6年になった。
三が日が過ぎて1月4日、早朝、俺は急に「視えて」しまったので、顧問の奥さんに電話した。
俺はお決まりの新年のご挨拶である、あけましておめでとうございます、は言わなかった。

言うべきではない事態が「視えて」いたから。

奥さんは泣きながら、いま病室にいると話した。
実は大みそかに急変して、そこから緊急入院していたのだと。
ただ、オヤジさんから、

「あいつは年末年始、楽しく飲んでる
 やろから、もしものことあっても、
 連絡はするなよ。」

と言われていたそうだ。だから電話もしなかったのだと。
そして今日、もう自発呼吸ができなくなったので、親族が駆けつける間、医者に生かしてもらっているとのこと。

俺は静かに奥さんのお話を聞いた後で、

「わかりました、また・・ご連絡ください。」

と伝えるほかなかった。
呼んでほしかった、と思わなかったら嘘になるが、そこはご家族の意向もあるし、行ったところでオヤジさんが楽になることもない。

電話を切る前、奥さんは、ふと疑問に思ったのか俺にこう尋ねた。

「それにしてもどうしてわかったんですか?」

俺はこう答えた。

「まぁ・・約束していましたからね。」

オヤジさんは4日の午後、親族に看取られながら静かに息を引き取った。
正月には死なんでくださいよ、っていう俺の約束をちゃんと守ってくれたようだ。
葬儀は家族葬にて執り行われた。
それもオヤジさんの意思だった。

正月にボスたちと会う機会があったが、オヤジさんも正月に死んだときは、松の内は伝えないでくれ、と言われていたので敢えて伝えることはしなかった。
ニコニコ笑って、談笑して、日本の滞在を楽しんでもらった。


さぁ、明日からいろいろと動かないとな。
まずは関係各所に連絡をすること。
今はすることが多くあるので気持ち的に大丈夫だけど、終わった後にどういう心境になるのか、自分でもよくわからない。

今はほんと、無だ。
何も感じない。
俺もいつか死ぬんだろうし、残された人がどう思うかなんてことまで気にしていたら、死ぬに死ねない。
オヤジさんもそうだろうし。

そうそう。
オヤジさん、先にそっちにある雰囲気の良いバーとかクラブでも探しておいてくださいね。
どうせそっちでも、ブイブイいわせるんでしょ?笑
もうちょっと先になると思いますけどまた美味しい赤ワイン飲みましょうね。

しばしのさようならです。
しんどい病気との戦い、お疲れさまでした。
ゆっくりとおやすみくださいね。

終わり

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