どうしたら未来を楽にできるんだろう

昔の人って言ったらおかしいかもだけれど
昔の人って

どうしたら人の生活を楽にできるか

ってところを考えていろんな事をやってきた気がする

うちのおじちゃんは技術者で、洗濯機の開発とかしてたんだけど

冬の寒い時でも手で洗濯物を洗っていたのを機械でやる事で楽にする

それの為に頭を使って機械を作っていた

これが普及する事でお母さんたちの負担を減らせる

そんな思いがあってできたものはたくさんあって

車も道も電車だって除草剤だってそうかもしれない

草をずーっと刈っていたら
何日も時間を費やす
その時間を減らしてあげようという優しい気持ち

でも除草剤は人や環境への影響があって海外では売れなくなってるものもある

そもそも草にしないことを前提にしていることを疑問に思わないとと思ってしまう

自然があったから生きてこれたのに
そこと上手に暮らすことを考えていかないと

人の生活は楽にはならない

ずーっと草刈りしているようだから

草がないがあたりまえではなく
草が全部野菜になったらいいのに

そんな考えでこぼれ種で育つ野菜の研究も一時期やっていた

研究というほど研究できてないけど😅

野菜も栽培に頼らずに出てきたのを食べるになれば、栽培する手間を減らせる

なるべく省力でできる方法がないかを
いつも考えている

多分これは自分がぐうたらだからなんだろうけど😅

働くために人は生まれたのか?と思うほど人は働く

外に働きに出てお金を稼ぎにいく

そうしないと生きていけないから

でもそれはどうしてなんだろう?

動物も昆虫も植物もみんなお金を稼ぎになんていってない

食物連鎖で成り立っている

自然の循環に身を置いてその命をまっとうしている

人がそれをできないのはどうしてなんだろう

そう考えた時に
なにをやるのにもお金がかかるからで

食べることでさえ栽培しないと食べられない環境になっている

消費する人はずーっとお金が必要になり消費し続ける

だから消費者っていうんだね

そこから抜け出すには足るを知ることと技術を身につけること

何かを生み出す側になれば、消費し続けなくても…そうお金を掴みにいかずに生み出すことができると思ってね

いきあう学校では
地域にあるものを使って何かを作ったりする

技術を身につけると出来ることは増えるし

あるものを使わないとただの厄介ものにしかならなくなるし

それらを処分するだけでお金がかかるようになったら

それこそ人の生活が楽になることなんてない

気候変動やマイクロプラスチックの問題に原発のことなど

いくらお金が生まれても
人が生きていけない環境になったら
人は生きてはいけない

自然を顧みなくなったところから文明は滅びると言われているように

その現実は見えてきている

このままでいいの?と自然に問われているように感じる

経済の発展のために過剰な物販競争

人を騙すかのような商売も増えていて

これのために生まれてきたんだっけ?

生きていくためには仕方ないことなんだよなーとか思ったりもしたり…

でもなー
未来を担う子達がこのままで本当に楽になるのかなー

そこに希望が持てないから
生きることを楽しめないんだろうな

うちらはある程度楽しむことをしてきた
バブルと言われるところをほんのちょっとだけれど経験した

充分楽しんだ人たちもいるはずで

いまだに楽しもうとしている姿を見ると

いったいいつまでそうしてるんだろう?と思ってしまう

もっと優しくオブラートに包んで言えればいいんだろうけど

そこの学びが自分には足りないみたいだ

どの時代にも色々な人がいた

その中でもうちらを思って動いてくれた人たちがいるから、こうして平和な世の中で暮らしていられる

動いてなければいつ切られて殺されるかわからない世界にいたかもしれないし

毎日が生きるか死ぬかの日々だったかもしれない

必死になって作り出してくれたのは
自分のためではなく
未来を思って作り出してくれた

ありがたいな

そういう思いを持ちながら
誰かがやってくれるのを待つのではなく
動いていきましょう😊

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