カゴを取る人間と取らない人間~香港前篇~

 めいちゃんへのクリスマスプレゼントのお返しは、フライターグというブランドの、ブルーのバックパックになった。

 僕とめいちゃんは、あのサンマルクでの「孤独の森事件」を経てもなお連絡を取り続け、たまに会って食事をし、そして、二泊三日の香港旅行に行くことを決めた。恋人でもないのに。7歳年の離れた男女が。ツインの部屋を予約した。
 今になって思えば(「今になって思う」ばかりの人生だ、まったく)、僕はその過程で、めいちゃんを好きになっていたのだ。いかなる意味においても。しかし、例のごとくまずいことには、僕は僕自身が抱いていたその感情に、ほとんど気づかないままだった。めいちゃんは、仲のいい友達なのだと、悠長に考えていた。そして「今になって思えば」、そう思うことで自分がめいちゃんに抱いている複雑な感情を、なんとか押し留めようとしていたのだとも思う。

 その日の朝早く、僕たちは互いの家を出発し、成田空港で落ち合った。めいちゃんが少し遅れている間に、僕は初期資金の両替(日本円から香港ドル)と、ポケットWiFiのレンタルを済ませておいた。
 最初の事件は、早くもその成田空港の手荷物検査場で起きた。その時の状況は、つまりこうである。
 僕とめいちゃんは、手荷物検査の列に並んでいた。人々は順番に、各々の手荷物を薄緑の浅いカゴに入れ、そのカゴをベルトコンベアに流し、そして、係員に誘導されて金属探知機のゲートをくぐっていた。列は順調に進んでおり、何の問題も無かった。
 その時、めいちゃんは僕の前に並んでいた。めいちゃんの前には若い男性がおり、その男性は彼の前にいる若い女性と二人組みだった(おそらくカップルだろう)。そして僕の後ろにも列は続いていた。この、その時偶然にも同じ手荷物検査レーンに並んだ人々が、後に僕を襲った「成田空港、手荷物検査場事件」の主要登場人物たちである。
 事は、めいちゃんの「あれ、カゴ不足発生してない?」の声から始まった。「ねえ、カゴ不足発生してない? ……あ、あっちにはある」。確かに、我々のレーンでは、深刻なカゴ不足が発生していた。手荷物を入れるための薄緑のカゴが、もう2つしか残っていない。そして、その2つも今まさに使われて、もうベルトコンベアに吸い込まれていく。
 しかし、常に周りを気にして他人のことを考えているめいちゃんは、すぐに、「あっちにはある」ことに気づいた。その声で僕が「あっち」を見ると、隣のレーンには、こちらの深刻な不足が嘘のように、てんこ盛りの薄緑カゴが、二山もあった。
 その光景は、僕にはちょっと可笑しく思えた。こちらのレーンには全然カゴが無いのに、すぐ隣にはてんこ盛りが二山もあるのだ。しかも、追加のカゴを持ってきた女性の係員は、こちらのカゴ不足には気づかず、抱えてきた大量のカゴを、隣のレーンにどさりと置いていってしまったのだ。これで隣は三山、こちらはゼロである。……これが、世の不条理か。富める者はどんどん富み、貧しい者はいよいよ貧しくなっていく……。これじゃあまるであれだ。南北問題だ……。手を伸ばせばそこにある、三山のカゴをぼんやり眺めながら、僕はそんなことを思っていた。
 僕がそんなことを考えている間、めいちゃんは全く違うことを考えていた(のだと思う)。彼女の思考は、この深刻なカゴ不足を、一刻も早く解決することに向けられていた。今、このカゴ不足解決に最も適した方法は、隣のレーンの山からいくつか借りること。では、隣のレーンからカゴを借りるにはどうすればよいか? 方法は二つある。隣のレーンの人に声をかけていくつか取ってもらうか、自分で取りにいくかだ。もちろん、前者の選択肢は他人の手を煩わせることになるので、後者がベターである。しかし、自分が隣のレーンに取りに行くとなると、一旦今の列を離脱することになり、列を乱してこれも他人に迷惑を掛けかねない。今この状況で、隣のレーンに一番近い位置にいて、列を乱さずにカゴを借りられる人間……それは、私の後ろに突っ立っているこの朴念仁だ。この朴念仁さえ気を利かせて、隣のレーンのカゴをさっと取ってくれればいいだけなのに……。 
 「すいません。カゴ三つくらい、いただいてもいいですか?」と若い男性が隣のレーンに声をかけ、カゴを受け取ってめいちゃんと僕にも回してくれた。僕の後ろの人は事態に気づき、自分で隣のレーンからカゴ一山を借りてきてこちらのレーンに置いた。こうして我々を襲った深刻なカゴ不足は、すんなりと収束した。
 カゴを回してもらった時、めいちゃんは若い男性に「あ、すいません。ありがとうございます!」と言い、「ほら~。そういうとこだよ。君が一番近かったでしょ。ぱっと持ってくればいいの!」と僕に言った。
 僕はとても傷ついた。
 そこで起きた事に、めいちゃんがあのサンマルクで僕に指摘した事のすべてが、痛いほど端的に現れていたからだ。つまり、僕はあの「孤独の森事件」であれだけの衝撃を受け、反省したつもりだったにもかかわらず、それでもなお、他人のことをまったく考えていなかったのである。

 この事件は結局「今になって思えば」、僕たち二人の香港旅行の前途を暗示する、よくないまじないのようなものだった。

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