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アラカンkimi3です。国指定難病の「パーキンソン病」に罹患して9年目です。2022年…

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アラカンkimi3です。国指定難病の「パーキンソン病」に罹患して9年目です。2022年にSTN-DBS手術(両側視床下核刺激術)を受けました。その時の経験と現在について、どなたかのお役に立てればと思い記録にして残しておきたいと思いました。

最近の記事

「貧乏ゆすりと言わないで」28.昨日と変わらない今日であれば幸せ

病気になったからと言って、 後ろを振り向くことができないので、 喜美は自分にできることはないかと日々考えている。 とにかく前だけを見ている。 かっちゃんから        「そんなにガツガツしなくてもいいんじゃない?」                                     と良く言われる。 でも、人は自分の最期はわからないし予想出来ない。 だから今やりたいことをできる限りやっておくべきだと思うのだ。 後悔をしないように。                  

    • 「貧乏ゆすりと言わないで」27.介護申請・訪問調査と結果

      退院後に喜美に起こった悲劇と同時に 杖もなければ、手すりもない家で どうやって暮らして行けばよいのか・・ と真剣に悩んだ結果 ついに旦那のかっちゃんに 介護保険の申請に行ってほしいとお願いをした。 地域包括センターに行って 申請手続きをしてもらった。 歩くこともままならず、 本当につらかった日から一ヶ月あまりたって、 ようやく訪問調査のために市職員と地域包括支援センターの方、 介護支援事業所の方が家に来て調査してくれた。 こんなに時間がかかるものなのだ、 と半ば呆れそうに

      • 「貧乏ゆすりと言わないで」26.ファッション誌デビュー

        ある日、友人の舞子からラインでメッセージが届いた              「ファッション雑誌に出てみない?」      五十代後半の女性をターゲットにした雑誌で 街中での着こなしファッションの特集ページだった 三か月経って髪がだいぶ伸びてきたものの、 外出の際は帽子を被っていた それは自分の頭に傷があり、 いかつい風貌だったので (ちょっと怪しいお姉さま風(笑)) それをひと様にお見せしないようにと思っていたからだ 手術から三か月経って傷もほぼ見えなくなり なかなか素

        • 「貧乏ゆすりと言わないで」25.薬の効果

          月日の流れは早いもので 退院してから三ヶ月がたった。 退院後三回目の受診がやってきた。 日々生活をしている中で、 自分のスケジュールに合わせて薬の飲み方を変えても良いものだろうか。 喜美は小さな疑問を感じていた。 それは外出する時に限って 薬が思うように効き目を発揮してくれないからだ。 人の目がストレスからになることがあって 特に食事時に振るえていると最悪だった。 食事に集中できないし、焦るし、 味もわからなくなって来て その場から消えてしまいたくなるほど辛いのだ。

        「貧乏ゆすりと言わないで」28.昨日と変わらない今日であれば幸せ

        • 「貧乏ゆすりと言わないで」27.介護申請・訪問調査と結果

        • 「貧乏ゆすりと言わないで」26.ファッション誌デビュー

        • 「貧乏ゆすりと言わないで」25.薬の効果

          「貧乏ゆすりと言わないで」24.DBS手術退院後 脳神経内科受診と薬の調整

          それから必死耐えること一週間。 その頃には薬も、機械も、 身体に馴染んできたようだった。 診察室入るといつもの高音ボイスで 「どうですか~体調悪かったんだね~ そうか、そうか。 でも、ちゃんと充電もしているようだね。」                 と言われた。   初めのことで褒められるのは 大人でも嬉しいものだ 「じゃあ、少し電気の量を上げてみようか。 はい、歩いてみてね~。」          と言われて そんなにすぐ変わるものなのかなと思いながら歩いた。 いつ

          「貧乏ゆすりと言わないで」24.DBS手術退院後 脳神経内科受診と薬の調整

          「貧乏ゆすりと言わないで」23.退院とその日から始まった悲劇

          DBS手術(頭部への手術)から2週間経ち 「ここから先は通院調整していきましょう。」 と言うことになり退院することになった 退院日は三男のひなたが 昼近くに迎えに来てくれた ひなたは、まさにイマドキ男子で いつもレディファースト! そつがなくスマートで 一緒にいると 心があたたかくなってくる。 退院の喜びもあって、 自宅近くの有名なお蕎麦屋さんで美味しいお蕎麦を食べ ワインショップに立寄りシャンパンを買い 晴れ晴れとした気持ちで夕方家族ともにテーブルを囲んだ。      

          「貧乏ゆすりと言わないで」23.退院とその日から始まった悲劇

          「貧乏ゆすりと言わないで」22.IPG埋込術翌日

          翌朝。 回診に来た脳神経内科の主治医が 「どうですか~。傷口は痛くないですか~。 お!きれいに縫えているね! じゃあ、ちょっと電気を通してみるね~。」 といよいよ通電開始だ。 「??今通電しましたか? 何も変わってないような気がします。」 「これでしばらく様子見てね~。 薬はいつも通りで大丈夫だから。お大事に~。」 とあっさり、さっぱりと部屋を出ていった。 パーキンソン病の治療は対処療法なので、 自分が一番困っていることを伝えて それを少しでも緩和するようにしていくしかな

          「貧乏ゆすりと言わないで」22.IPG埋込術翌日

          「貧乏ゆすりと言わないで」21.IPG(刺激発生装置)埋め込み術前日と当日

          頭部の手術から一週間経った。 (術後の写真が投稿されていましたが創作大賞応募のため無料記事となり 写真はいったん削除させていただきます。) いよいよ、IPG(刺激発生装置)埋め込み術が 明日となった日 看護師が病室に来て           「明日の手術は喜美さんの前にもう一人、 同じ手術の方がいるので、 その方が終わり次第スタートになります。 今の予定ですと12時半から13時ごろ始まりで 終わりは15時から15時半くらいです。 薬はいつも通りに服用してください。」 と説

          「貧乏ゆすりと言わないで」21.IPG(刺激発生装置)埋め込み術前日と当日

          「貧乏ゆすりと言わないで」20.手術後→IPG埋込術までの期間

          手術後にストレッチャーの上で吐いた (手術後の頭部の画像がありましたが、創作大賞応募のため無料記事になりました。そのため一部、写真を削除しています。) 吐しゃ物にまみれ、 点滴と心電図と深部静脈血栓症の予防用で ポンプ式マッサージ器につながれて動けず 眠れない夜を過ごし朝が来た 意識があって色々な物につながれていることが これほど煩わしいものかとまんじりとしていたが、 薬を飲んでいない上に電気の調整もまだしていないので 右手右足が振るえ続け 自分の身体が傾くし傾いたら起

          「貧乏ゆすりと言わないで」20.手術後→IPG埋込術までの期間

          「貧乏ゆすりと言わないで」19.両側視床下核刺激術(DBS手術)当日②

          やがて手術も終盤になり、 切った皮膚を縫い始めたようだが 麻酔が切れてきていたのか その作業の痛みが襲ってきて      耐えきれなくなった喜美は 「イ、イタイです!」 と叫んでしまった。       「じゃ、麻酔して。」 と誰かに指示を出し、 その声と共に縫合と、注射針とで さらに痛さが増してきた 「お願いだから 早く麻酔が効いて・・・」 と念じながら痛みに耐えていた 手術が終わった時は19時を既にまわっていた やはり10時間以上かかっていたようだ 体感では2~3時間

          「貧乏ゆすりと言わないで」19.両側視床下核刺激術(DBS手術)当日②

          「貧乏ゆすりと言わないで」18.両側視床下核刺激術(DBS手術)当日①

                        手術の朝は早く目覚めてしまい 七時には手術着に着替えて準備万端だった 医師や看護師が次々やってくるが 誰が誰だか全くわからない かろうじてわかるのは主治医の神経内科医と 脳神経外科医だけだった 例のハイトーンの声で入ってきた 神経内科の主治医が 「おはようございます! どうですか?よく眠れましたか? 頑張りましょうね!またあとでね。」                 と声をかけてくれたが ホッとしたのも束の間 アッという間に病室からいなくなった

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          「貧乏ゆすりと言わないで」18.両側視床下核刺激術(DBS手…

          「貧乏ゆすりと言わないで」17.両側視床下核刺激術 入院日

          コロナが蔓延していた時期と重なっていたが 心配していたPCR検査は全く問題なく ついに入院の日が来た 喜美はひとりでスーツケースをもって 病院到着後受付を済ませた いつもと同じ風景なのに、 どこか違って見える 病室のあるフロアにあがり ナースステーションに寄って入室した 個室を希望していたが四人部屋だった 先に入院していた二人のうち 喜美の隣の人は一昨日くらいに手術だった様子で もうひとりは明日退院と言っていた このフロアは脳神経科の外来と連携しているフロアなので 皆

          「貧乏ゆすりと言わないで」17.両側視床下核刺激術 入院日

          「貧乏ゆすりと言わないで」 16.主治医から家族への説明

          あなたの余命はあと一年です。 と宣告されたらあなたはどうしますか。 パーキンソン病は難病で、 根治できないけれど 薬や手術で寿命を全うできるようになった。 喜美は、パーキンソン病と確定された日に トイレに一人で行けなくなったら 「安楽死」をと考えていた。 家族に迷惑をかけたくない、 その一心と、小さなプライドからだった。 ちょうどそのころ、 スイスに安楽死の制度があって、 それを選択する日本人女性のことを特集していた テレビ番組をみた。 眠るようにその生涯をとじる姿

          「貧乏ゆすりと言わないで」 16.主治医から家族への説明

          「貧乏ゆすりと言わないで」15.追加検査と脳内で新たに発見されたこと

          手術を受けることが決まり、 再度必要な検査があるという。 血圧・血液・尿検査(基本三セット) 加えてMRIを3つとCT一つの検査が必要とのこと 実際に手術を受けるとなると、 管理する意味でも必要な検査なのだそう ・首のMRI ・腰のMRI ・脳のMRI  (さらに詳しく調べるために3テスラMRIを 受診している病院ではなく、 機械がある別の病院に行って検査する) ・脳のCT  ・頭部・顔面3DCT造影 ・PCR検査 コロナがまだ終息していない時だったので PCR検査は

          「貧乏ゆすりと言わないで」15.追加検査と脳内で新たに発見されたこと

          「貧乏ゆすりと言わないで」14.検査結果

          全ての検査が終わり、 結果を聴きに行く日になっても 手術を受けるかどうか、 喜美の気持ちはまだ固まっていなかった。 診察室で主治医に この検査結果はいつまで有効なのか、 いつまでに返事をすれば良いのか、 入院期間はどれくらいなのか、 と矢継ぎ早に質問を浴びせたが、 悩んでいるその間に症状が進むかもしれない でも 1ミリの可能性に賭けたいけれど 手術はやっぱり怖い そして 気持ちがグラグラと揺らいだ 明確な決定打もなかったが、 「あたりまえの暮らし・普通の暮らし」を続けたい

          「貧乏ゆすりと言わないで」14.検査結果

          「貧乏ゆすりと言わないで」13.転院とDBS手術前検査

          紹介された病院は 自宅からちょっと離れていて小一時間かかる。 いままで通っていた病院が 車で十五分ほどの距離だったので 一日仕事になりそうだ。 それでも、ちょっと遠くに出かけるのは 気分転換になるし、 良いこともあるかな~とウキウキしていた。 そして、新しい病院の脳神経内科で初受診の日、 担当医師からこの病院で受診をしても 他の病院でDBS手術を受けても良いとの 説明があった。 さらに喜美が持参した日々の記録を しっかり見てくれたうえに 「これ、僕がもらって良いですか?

          「貧乏ゆすりと言わないで」13.転院とDBS手術前検査