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ミルクも買えない生活

実家の母もひと月しないうちに和歌山に戻っていきました。

もうすっかり母乳が出なくなってしまったことで
粉ミルクを買う必要がありました。

初めての子育てで不安がいっぱいでした。
長女はとてもよく泣く子で、私は悲しさとイライラも募っていきました。
そうするとますます追い打ちをかけるように泣くのです。
何度一緒に泣いたかもわかりません。

長女は眠る時はミルクさえ飲ませればスッと寝るのですが
起きると機嫌が悪くずっと泣いていました。

夫からのお給料は
その当時は給料袋での手渡しでしたので、明細表も抜き取られていて
私の手元にくる前に主人がおそらく自分の欲しいだけ抜き取っていたのだと思いますが

長女の粉ミルクを買うことも次第に難しくなって来ました。
その頃には自分が持っていた貯金も底をついていました。

たった800円の小さな粉ミルク缶が買えず
お湯で薄めて飲ませてみたりもしました。
すると当たり前ですが
すぐにお腹が空いて泣き出すのです。

もう経済的にミルクを十分に飲ませる余裕はなくなり
本来なら5〜6ヶ月くらいから始める離乳食を
4ヶ月になった頃からお粥を一生懸命すりつぶして食べさせるようになりました。
娘はそれを「べー」っと舌で押し返して来て、うまく食べてはくれませんでした。
それも月齢を考えれば当たり前ですよね。
でも必死でしたので、どうにかそれを食べさせていたのだと思います。

長女に申し訳なさすぎてもう記憶も曖昧なくらいです。
でも、今でも薬局で粉ミルク缶の前を通ると
胸が痛くなるような気がします。

余談ですが
この頃から夫が退職するまでの約30数年間、
もっと言えば退職金に至るまで
私は一度も給料明細を見せてもらえたことはありませんでした。
どんなに頼んでも
「おおわかったよ」とは返事はするのですが
「忘れた」「また明日持ってくる」の繰り返しでした。

そして夫は30年間決まった同額のお給料を持って来続けました。
金額は夫の名誉のため伏せておきますが。

夫は一体何にお金を使っていたのかなあ?と今でも疑問です。

よそに家庭があった?素敵な女性がいた?
ふふふ・・・そんなロマンティックな、ドラマティックなお話が判明しましたら
またここに書き記しますね。




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