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コミュニティについて

〇はじめに

書くことの訓練をしたくて、noteを書いてみることにした。

最初のテーマは「コミュニティ」にする。
僕の中での一大テーマが「コミュニティ」なので、最初の投稿はこれでいいだろう。

と言いつつ、これについて書いて投稿するのは結構嫌だ。

自分が大切に考えていることではあるけれど、だからこそ中途半端な文章を書きたくないという思いが出てしまう。
もう少し情けなく言うと、これだけコミュニティだの言っておいて書かせたらこんなもんかいと、自分でも思うから嫌になる。

それでも書く、ということに意味があると思って投稿を開始したいと思う。
こんなふうに迷いながら、不慣れながらの第一回目の投稿なので、内容が拙すぎるのにも目をつむってほしい。

というような言い訳からスタートすることも、なんとしてでも自分にとりあえず書いて投稿させるためだ。
「予防線は好きなだけ張らせてやるから、ちゃんと投稿はしろ」ということだ。

さていい加減にして、「コミュニティ」についてフラフラと書いていくことにする。

〇コミュニティとは何か

コミュニティとは何か。
まずは一般的なイメージを描いてみる。

コミュニティとは、とてもシンプルには「人の集まり」のことだ。
人々が集まってコミュニケーションを開始すれば、そこは広い意味でコミュニティと言えるだろう。
学校のクラスメイトたちは同級のコミュニティだし、会社の同僚たちとの集まりもコミュニティだ。
下手をするとカフェなどに偶然居合わせて、たいして話をしたりするわけでもないのに、その空間やそこにいる人たちをコミュニティと呼ぶことすらある。
広い意味でのコミュニティは、「人の集まり」程度の意味まで拡大して使われたりする。

でも僕たちが「コミュニティ」という言葉を聞いて想起されるイメージにはもう少し詳細な条件や特性があると思う。
たとえば「親密さ」とか、「同じ趣味や目的」とか、あるいは「同じ出身、人種、信仰」といったことだ。

そうしたもう少し狭い意味でのコミュニティを考えると、きっと悪いイメージを想起する人もいる。
「面倒くさい」「しがらみ」「古臭い因習」「排他的」「カルト」...etc.

このように考えると、一口にコミュニティと言っても、「人の集まり」ぐらいとても広い意味で価値中立的な用法もあれば、
「良いコミュニティ」と「悪いコミュニティ」のように区分できるような、話者の価値観や、コミュニティに期待する機能や形態のニュアンスが染み込んでいる用法もある。

僕は、僕たちにとってコミュニティは必要だと考えているので、当然ここでは僕の価値観やコミュニティに期待したいことが存分に反映された「よいコミュニティ」について意見を述べていきたいと思っている。
もちろん、完全に「よい」だけのコミュニティはきっとあり得ないので、副作用としての悪い部分も見落としたくないと思っている。
でも、ひとまずは僕が思う「よいコミュニティ」について考えていきたい。

最初に「コミュニティとは何か」という問いを立てておいて申し訳ないけれど、
それが中立的な定義を示すことではなく、価値観や必要な機能についての考察を含んだ「よいコミュニティとは何か」という問いに変換されてしまった今、そんなにすぐには答えを出せない。
少なくともこの問いに答える前に、いま「なぜコミュニティが必要なのか」という問いを考えてみなければならない。
さまざまな社会的背景や僕らの置かれている現状を確認してみなければ、どんなコミュニティが「よい」のか、どんな機能がコミュニティに求められるのかを考えることはできないからだ。

だから一度、「コミュニティとは何か」という問いへの答えは保留して、
「なぜコミュニティが必要なのか」を考えたい。

〇なぜコミュニティが必要か

なぜ今コミュニティが必要か。
この問いに答えるためにはどこから話し始めればいいだろう。

おそらく、コミュニティが崩壊してしまった、という話からするのがいいと思う。
そしてコミュニティがなくなってしまったことによって、どのような問題が現れてきたかを確認する。
それらの問題への処方箋として、今改めてコミュニティの再生が必要だ、という話につなげたい。

○コミュニティの崩壊
(日本社会において)コミュニティはほぼ完全に崩壊した。

ここでいうコミュニティとは、いわゆる従来の地域コミュニティのことだと思ってもらっていい。同じ土地に住み、生活形式を共にする人たちの集まり。

なぜ従来の地域コミュニティは崩壊してきたか。社会学者の宮台真司はその理由を一口には「人々がシステムを頼るようになり、人間関係に頼ることがなくなったから」だと言う。

団地化やコンビニ化といった〈郊外化〉=汎システム化によって人々は個人で生きていけるようになった。
コンビニに行けば24時間365日食べ物その他が手に入るし、Amazonでポチれば明日には何でも自宅に届く。

それは生活が安全・便利・快適化したことを意味するが、それゆえに周囲の人たちと親密な関係を取り持つ必要がなくなった。
僕たちはアパートの隣の部屋にどんな人が住んでいるのかも知らないし、自分の住んでいる地区に自治会があるのかどうかも知らない(という若者が多いのが現実だと思う)。

でもこれだけの言い方だと、「テクノロジーが発達して便利になって、煩わしい近所づきあいから解放されたってことでしょ」という感じで、何もわるい事のようには思われないかもしれない。
もちろんそういうポジティブな面はあるし、それはそれでよい事であると思う。でも、物事には多くの場合裏側があって、従来のコミュニティの崩壊がもたらしている問題にもちゃんと向き合う必要がある。

次にその問題として「孤独」の問題を取り上げてみたい。


つづく

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