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彼らに出会った後の、私について。


 私には8年前から追いかけている推しがいる。彼らはロックバンドであり、今年20周年を迎え、結成日の7/24から三日間武道館でアニバーサリーライブをする。ここまで書けば察しのいい方は気づくかもしれない。そう、UNISONSQUAREGARDENだ、最高のロックバンドだ。彼らに出会い、私の人生は変わった。変わったとは大げさかもしれないが、少なくとも彼らに出会えたおかげでこの8年間に私自身に起こった様々な出来事も乗り越えることができた。今まで彼らに対する思いは家族やリアル友人にはある程度話したことはあるが、このように文字に書き起こそうと思ったことはない。しかし、今回SNS上で話題になっているある芸人についてのnote記事を見て、その内容よりも文章の構成力に驚かされた。記事としてはかなり長く文字数もめちゃくちゃある。なのに続きが気になり読み進めてしまう。と同時に自身はどうなのだろうか?やっかいなファンに……痛いファンになっていないだろうか?推しのロックバンドの一人が昔、

『ファンとは永遠の片思いである』

 といっていたらしい。ふむ、なるほどな。と彼らに出会った当初その言葉を知り、肝に深く銘じておこうと思った。今回なぜこの文章を書こうと思ったのか、それは先日も10年前に開催したツアーのリバイバル公演初日に参加して、彼らへの思いが止まらなくなってしまったからである。この現象はライブに行くたびに起こり、しばらくすると落ち着くのだが今回はなかなかおさまらずにいる。そこで、いま脳裏に思い浮かんでいるものを全て書き起こしてみようと考えた。どうせならこの機会に彼らに出会ったきっかけを回想し、まとめてみようと思う。

 今から8年近く前当時からいわゆるヲタクだった私は気になった深夜アニメを録画し、気に入ったものを視聴するということをやっていた。
 その日も気になっていたアニメの第1話を見て、本編が終わりかけてEDのイントロが流れ始める。なんだこのイントロは素晴らしいな、いいな?あっ、EDに入った……なんだこの歌は!?映像とのマッチも歌も凄くいい。何という曲だろうか……エンドクレジットの主題歌を見る。
『シュガーソングとビターステップ?』ん?歌手はなんて読むんだ?ゆ、ユニゾ……?まぁ、いいや。調べたら、出てくるだろう。そんなこんなで彼らの存在を知った。後で分かったことだが、彼らは私が愛してやまないタイガー&バニーというアニメの主題歌も担当しており、また興味をもった。その後しばらくして主題歌のCDを買い、プレーヤーに入れて聞いていた矢先彼らの最新アルバムが出ていると知った。しかも、住んでいる県のツアーライブチケットがまだ買えると知り、速攻で買った。当時パートではあったが、ブラックよりのグレー会社に勤めていた私は上司に頭を下げて休みをもぎりとった。

 ライブの当日待ちきれなかった私は開演よりもかなり早く会場につき、開場と共にホール内へ入った。とはいえど独りぼっちだったのでスマホをいじり、高ぶる気持ちを落ち着かせるので精いっぱいだった、そんなときである。

(ここから先は正直8年前の記憶なので、真実かどうか定かではないし見間違いだったのかもしれないし、脳が見せた幻覚か妖精かなにかだったのかもしれないことを前提にしてほしい。ましてや2階席の後ろからだったので顔が良く見えなかった。この公演にいき後の出来事を見ていたという方にお会いしたことがないので)まだ開演まで30分近くあるのに下手側から誰か出てきた。ベースをもっている?誰だ?スタッフか?当時の私は斎藤さんがギタボでというくらいしか認識がなくドラムとベースの顔と名前が一致していなかった。???と思っていると、その謎の男がベースを弾き始めた。機材チェックか?そういうのをライブが始まる前にすると聞いたことがある。うわっ、めっちゃくるくる回りながらご機嫌そうにベースを弾いている、上手いな。てか、あの方がもしかして田淵さんか?と思っていると満足したのかうんうんと何度も頷きなから上手をみて気が付くと舞台袖にはけていった。その後開演前に今度はスタッフがギターやドラムの機材チェックをして、客電が消えてライブが始まった。
 結論からいうとライブは最高だった。最新のアルバムしか予習できていなかったためにいくつか知らない曲もあったが、楽しかった!また行こう、他のアルバムも聞かなければ。ここから、私のライブ通いが始まったのである。そして、記憶が正しければ開演前のベースは彼が直接弾いていたと思う。

 ライブに行きはじめてから3年が経ったある日、私の身に大事件が起きた。右足の靭帯断裂と断裂したものが、半月板もその時にぱかーんと開き、まるでドーナツみたいな状態になり、そこに刺さったのである。
 後に分かったことだが、理学療法士や医師の指導資料に掲載したいくらい見事な怪我だったらしい。ちなみにラーメン屋のちょっと高めのカウンター席から降りようとしてなったものである。
『そんなことある!?』
と周囲には言われたし、私も思った。意味がわからなかった。
 様子を見ていたが一向に痛みが引かないのでおかしいと思い大きな病院で診てもらった、医師の診断は手術をしないと治らない、1年後もう一度脚に入れた金属を取り除いてリハビリをして日常生活に支障がないかどうかくらいになるか……後は本人のリハビリの頑張り次第だといわれた。
 その怪我をした年の夏。彼らの15周年の記念ライブが大阪の野外で行われると年始に発表があった。あぁ、おわった。予定していた手術は5月、しかもその前にとっていたチケットのライブも4月。記念のは7月末。どう考えても4月のは遠征予定だったので会場が東京で親に反対され、ましてや真夏の炎天下で2時間以上のライブに耐えられる足に戻せるわけがない。ショックだった。10周年の時は彼らのことを知らず武道館にはいけなかった。だから、せめてと思っていた。しかし、4月のライブや記念ライブに行けなくても、きっと彼らは今後もライブをしてくれる、はず。まずは足を治すことを第一に考えた。手術は成功し、その年の後に開催されたライブには2回もいけた。つらいリハビリもライブにいきたいと思えば、頑張れた。

 次の年の年明けに医師から予定していた手術を早めようといわれた。
2月にしようと。またしても予定していたライブと被ったが、自身の足のことが優先だ。チケットは幸いにも人に譲ることができて、空席を作らずにすんだ。足もその年の夏に完治とは言わないが、日常生活を送るのに支障はないレベルにまで回復した。その後、またライブには行けるようになり足の様子もよくなった。

 怪我がよくなった次の年に感染症が大流行した。私たちの生活は大きく変わった。彼らもライブが出来なくなった、長い長い夜の始まりだった。それでも彼らは配信ライブや着席指定ライブをしてくれて、少しでも我々に、

『音楽は鳴らせるから、鳴らすよ。息をしているよ』

 とそう言ってくれた気がした。何年も感染症は世に影響を与えて、今でこそメディアも情報を流さなくなったが、なくなってはいない。それでも、ライブは感染症前の状態まで規模が戻ってきている。

 そんな中で先日のリバイバルツアー初日である。素晴らしかった。今までいったライブの中で熱気も何もかもが一番楽しかったライブだった。というかセットリストが強すぎる、マジで。本編が終わり、最近の流れなのかアンコールに体感三秒で出てきて、軽いMCをして話が途切れた瞬間に、

『20周年おめでとー!!』

 客席の誰かがいった。その瞬間拍手が、歓声が止まらなかった、正直涙が止まらなかった。ステージ上の彼らも見えた限りでは、とても嬉しそうだった。あんなにあたたかい空間に包まれた瞬間はあの場にいないと味わえなかったと思う。チケットを譲ってくれた方には感謝しきれない。

私はいま長く勤めていた会社を退職し、先日再就職が決まった。資格をとり働いたが、一度は挫折してやめてしまった業種に再チャレンジする。正直怖い。だが、私には彼らがいる。恐らく私は今年の20周年の武道館ライブにも様々な事情で参加することが出来ない。だが、

『世界中のどこにいてもその時間だけは見れるように相談している』

と彼は発信してくれた。だから、私はその日を心待ちにして、今日も生きていく。彼らとは永遠の片思いでいい、それでいいのだ。最終的に長くなったような気もするが、これでこの話はおしまいです。

最後に、UNISONSQUAREGARDENは最高だ!!!!彼らのライブは人生を豊かにしてくれるぞ!きっかけがあれば、ぜひ!足を運んでください!!私からはそれだけです。読んでいただき、ありがとうございました。

                              こうや。



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