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よんじゃうね

むかしコンビニで1リットルの紙パックお茶(正確には1リットルじゃないかも)を買ってストローをさしたり家でもそれを飲んでいた。
それが安かったしコンビニで済ませる生活をしていた。小さい冷蔵庫のドア側の差し込み口のスペースがそれ1つで埋められる。
ほぼほぼ機能していなかった冷蔵庫、何を入れていたのか、必要すらなかったかもしれない。

この間コンビニに寄って値上がりする飲み物を前にふと思い出した。ペットボトルなんて贅沢だな、懐かしく久しぶりに1リットル紙パックでも飲もう。
懐かしさに満足げにパックの口を開き外で飲んでみた。そしたらそれがなぜか変な感じで気持ち悪い。
紙パックの独特な風味が香る、味けなくお茶なのか何なのかよくわからなかった。ん…不味いなと感じたと同時に当時の自分の幼さを集ってきた。
正直まずかった。飲み干すのも嫌だった。

不味いと感じてしまうのがいいのか悪いのか分からない、まずいのは味なのか舌なのか、はたまた記憶なのか…
自分が変わってきた事を当たり前に感じていたかもしれない、最近は曖昧に過ぎる時間に甘えていることもある。

好奇心と大切にしたいものを腹に詰めて自分の言葉を探しに行こう、昔飲んだ1リットルの紙パックのお茶だってまだ腹の中にあるはずだ。

僕が僕である為に…江夏豊の21球…奪三振…いや、尾崎豊で歩みましょう。
盗んだ電動キックボードで走り出したらLOOPする世界を抜け出せる?
いや「紙パックの舌」を認めて誠心誠意で打ち返せ、それこそ江夏豊だってびっくりするし、かえってくればprobonoの味だって分かるはずだ。

はぁ!夏休み、怒涛の始まりだった。
嘆いても動いて浴びる夏の声
よんじまったぜ

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