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駄文:成りあがるために必要な自信をようやく手に入れた

矢沢永吉「成りあがり」を読んだ。これまで読む縁がなかったのだけど、ふと読んでみようとAmazonで取り寄せた。

人間の権利は平等であるべきだが、環境はそうはいかない。特に永ちゃんのような戦後間もない生まれ世代は格差がいまよりも激しい。あす食べるものに困る日々の子どももいれば、誕生日に生クリームたっぷりのケーキをハラパンする子どももいた。

私は昭和53年生まれ。永ちゃんと同い年の父親がいた。北海道の地主の子だったらしく、幼少期は生活の不自由はなかったと聞いているが、大人になり、親とのソリが合わなくなったらしく、その環境を手放した。その間、詳細が書けないほどの展開があり、家族で東京にやってきて生活することになった。1985年。時はつくば万博で盛り上がり、スーパーマリオブラザーズが発売され、少年たちはなんとかしてクッパの炎をかいくぐらんとしていた。

父は独立して事業を展開したものの、3年ほどでたたみ、そこそこの借金が残った。人の好き嫌いが激しく従業員との衝突が耐えなかった。ハッキリ言って経営者としては不向きだった。私自身も経営者に向かないなと感じるのはこの原体験を見ているからかもしれない。

「正直、お金が欲しい」とずっと思っている。こんな自分が世間に「どや!!」と言わしめるためには、まさに成りあがるしかない。蔑んだ連中、バカにした連中、私を評価してこなかった連中を全員見返す。そのためには自分の才能を見つけ磨き、圧倒的な価値を世の中に提供し、楽しませたり喜ばせたりする必要がある。若いときはただガムシャラにベースを練習し、曲を書いてせっせとデモテープを作る。

「よろこんでいらっしゃいませ!」と居酒屋バイトで得た収入をスタジオ代・楽器メンテナンス代に充てる日々。この頃はあまりお酒は飲んでいなかった。月に1回の飲み会に行くか行かないか。お金もなかったし、自分なりにハングリーな日々を過ごしていた。

20代も半ばにさしかかり、大学と居酒屋バイトを卒業して「凱旋帰国」来店する彼らのスーツ姿が、後光をまとったかのようにまぶしく見えた。人生でスーツは買ったことがない。それを買う金はスタジオ代と機材代に飛んでいく。

「成りあがり」を読んで、20代に抱いていた「圧倒的な何者かになりたい欲」が蘇ってきた。あの頃足りなかった自信がようやくついてきた。


いよいよだ。


ワクワクする。






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