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僕の憧れのカリスマが僕の崇拝するカリスマに「挑戦」を提案したんだろうなと思った件

オリエンタルラジオ・中田敦彦さんのYouTubeが賛否を巻き起こしていますね。

賛否が起きているのは「笑いの価値」「笑いの基準」の部分で「中田ごときが松本さんに何を言っているんだ」「中田で笑ったことがないのに、何様?」「一方的に意見を言いやがって」という身も蓋もない批判が溢れていて、まぁ苦笑してしまいました。

提言での賛否両論はすでに著名な方々が論じているので、私はこの動画を2回見て考えたことを書き綴っていきます。いろいろ考えるきっかけを与えてくれた中田さんに、勝手に感謝です。

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1989年、小学5年生から見ている「ガキ使」からどハマりして、「夢で逢えたら」という伝説的深夜番組を眠い目をこすりながら毎週見て、「お笑いってカッコいい!」と小学生の心は鷲づかみにされました。

中学生になってからは日曜20時の「ごっつええ感じ」と、日曜22時56分に繰り上がったガキ使を見て、お笑い好きのクラスメイトとお笑いの話題をするのがルーティンになっていました。

このときはとんねるず、ダウンタウン、ウッチャンナンチャンがお茶の間を賑わせていて、お笑い好き中学生・高校生の間で「どのコンビが最も面白いか」を議論し合っていました。議論と言っても、単にそれぞれの好みを言い合うだけの可愛いもの。おそらく全国各地の中学校・高校でも同じような光景があったはずです。

1990年代半ば、ガキ使、ごっつ、ダウンタウンDX、HEY!HEY!HEY!を見るのが当たり前だった高校時代には「遺書」も読み、「松ちゃんすげぇ!」とますますハマっていきました。

僕の認識としては「遺書」を境に「松本人志=笑いのカリスマ」が始まったと思っています。世間の松ちゃんを見る目が一気に変わったんです。

それまでのダウンタウン、特に東京進出前は、どちらかというとアイドル的な扱いをされていました。「4時ですよーだ」の観覧客の多くが女性で、出待ちの女子高生がわんさかいたのを過去映像で見たとき、「黄色い声援がすごいなぁ」と思ったものです。

松ちゃんはテレビ以外でも革新的な取り組みをバンバン仕掛けていきました。1994年の「寸止め海峡(仮題)」では、お笑いライブではあり得ない日本武道館という会場で入場料は1万円。同じ年に日本武道館に行ったとき、布袋寅泰のライブチケットが6000円くらいだったはず。当時の松ちゃんのファン層は10代・20代が中心だったので、かなり強気の設定です。

翌年、同じく日本武道館で開かれた「松風’95」というライブでは、お客が満足度に応じて自分でチケット代を払うという投げ銭システム。このライブでは1円も払わず帰ったお客が続出したそうで、後日、「これだけすごいものを見せられ、タダで帰るアホな客を入れてしまったのはミスであった」とコメントするほどの伝説のライブになりました。

ガキ使の企画で24時間野外トークライブも行いました。ダウンタウンも観客も24時間ぶっ通し。エンディングは感動の場面でした。最近になってDVD化されています。うわ、DVD欲しくなってきた。

この当時、僕を含めて松本人志の笑いについていこうとしている連中がわんさかいたんです。

松ちゃんの笑いを理解できる奴こそが最も面白い奴

あのセリフにはきっとこんな意味が込められているに違いない


日本全国のお笑い好き中高生は、カリスマ・松ちゃんの笑いを少しでも理解できるようになりたいと願っていました。そんな少年たちの多くがいま、芸人として一線で活躍しているのです。

外見面でも僕たちに驚きを見せてくれました。1998年頃、それまでポマードでガッチリ固めたオールバックだったヘアスタイルから突如、坊主になりました。ガキ使のトーク、出囃子と共に出てきた松ちゃんを見て、観客が絶叫にも似た歓声ををあげていたのは印象的でした。

2000年代に入ってからも、ガキ使をベースに「24時間鬼ごっこ」や教師役に扮したドラマ「伝説の教師」、年末の風物詩にもなった「笑ってはいけないシリーズ」、映画監督への挑戦、金髪に染める、ワイドナショー、まさかの「探偵!ナイトスクープ」の3代目局長就任など、松ちゃんの一挙手一投足は常に驚きを与えてくれました。

松ちゃんがボケで、「洗っても取れんのよ。カリスマが」と言っていましたが、僕から見ても「そりゃあ、そうだよ笑」と思います。

松ちゃんを初めてテレビで見てから30年余り、私たちに死ぬほど笑いを届けてくれたカリスマは、いまでもカリスマです。才能も、見た目も。

今でも絶対的な笑いの基準は松ちゃんです。M-1グランプリを見るとき、松ちゃんが点数をつける前に自分で点数をつけ、松ちゃんの点数と近かったり、最終決戦で投票したコンビが同じだったとき、「あ、僕の笑いの価値観は今年もズレてない。良かった」と思うほど。完全に信者です。

それほどまでに僕は松ちゃんに惚れ込み、お笑いを愛しています。さらに、社会的影響力がさらに増した50代以降の発言から、生き様にも影響を受けるようになりました。これからもずっと、彼の影響を受けて生きていくでしょう。

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これだけ松ちゃんを崇拝している僕ですが、中田さんのYouTubeを見て批判をしたり、ましては「おい中田!」と怒ることは全くありませんでした。

僕にとっても、中田さんはカリスマです


それだけのことを言う資格があるのですから

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僕が初めて「オリエンタルラジオ」の名前を知ったのは、彼らがNSCを出てすぐでした。

2005年、NSC東京11期生(作家コースだと6期生)として入学した僕の1期上がオリラジさん。成績優秀のコンビが翌年1年間NSCのスタッフとして働く権利があって、藤森慎吾さんがスタッフとしてNSC生にあれやこれやと指示をしていたのを覚えています。

さらに強烈だったのは、その年に始まった「ゲンセキ」というお笑いオーディションにオリラジさんが出演したことです。とんねるずの木梨憲武さんがMCを務め、秋に始まるお笑い番組のレギュラーを決める内容。オリラジの2人はNSC時代に「武勇伝」のネタをひっさげて在校生にもかかわらず準決勝まで進出。「NSC卒業0日でテレビの仕事が決まった」のです。

NSCでの授業で「ゲンセキ」を教えてもらった私は、放送を見ました。この時初めて見た「武勇伝」に衝撃を受けたのです。

「こんなネタ、見たことない。めちゃくちゃ面白い…」

オリラジさんがNSC在学中に準決勝まで行ったのも、うなずけます。今でこそ漫才やコントとは違う「リズムネタ」をする芸人さんはたくさんいますが、平成・令和に続くリズムネタのはしりは、おそらく「武勇伝」です。

当時の番組を探して見返しましたが、今でも面白いです。なにより、MCの木梨さんがニヤニヤしながら武勇伝を聞いていて、「あ、この瞬間ノリさんにハマったな」と感じるオンエアでした。当時のNSCの副校長さんが出ていて、別の懐かしさもありました。ありがとうNSC。良い思い出。

そこからのオリラジさんは、とんでもない勢いで売れていきました。オーディションを勝ち抜き、「10カラット」というコント番組のレギュラーになったのを皮切りに「エンタの神様」でブレイク、デビュー2年余りで深夜の冠番組を持ち、3年目にはゴールデンの冠1時間番組を持つまでになりました。「ヨシモト∞」という配信番組で週7日、毎日生放送でMCをしている時期もありました。

一時期は人気が下火になったものの、藤森さんが「チャラ男」で再ブレイクをしたのをキッカケに人気が再燃、RADIO FISHでは紅白出場を果たし、そこからYouTubeでの活動も展開して今に至ります。

時系列だけ並べると「カリスマなん?」と思う方もいるかもしれません。

でも、僕にとっては1期先輩の芸人がスターダムを駆け上がっていく姿は憧れそのものでした。放送作家駆け出しの頃、まだ同期(東京11期)やちょっと上の先輩が劇場でしのぎを削っている中、テレビやラジオのレギュラーを獲得していくさまは、「いつかは僕も」という夢や希望を与えてくれました。

これが芸人だったら妬み嫉みの対象になったのでしょうが、僕は作家という立場だったので「先輩すげぇっす!」という、ただただ憧れの対象だったのです。

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僕が「この人はカリスマだ!」と感じる1つの基準は「挑戦」です。新しい挑戦をし続け、環境を作り続けている。

松ちゃんはお笑いの世界において、常に挑戦的な姿勢です。近年、最も衝撃を受けたのは2022年の「伝説の一日」で披露したダウンタウンの漫才。福岡の劇場でパブリックビューイングで30分間の漫才を見た後、放心状態なってしばらく動けませんでした。

こんな漫才、あるんだ、と。


一方、オリラジさんは2020年末で吉本興業を辞め、中田さんは海外に拠点を移しました。

オリラジさんの新たな挑戦。松ちゃんとは全く違うスタンスでの「挑戦」に見えますが、僕の見方は違います。

高校生の頃に見た、狂気とも言える松ちゃんの挑戦に重なるものがあるんです。

当初上がった動画では「中田を面白いと思わないって、ドストエフスキー読めないとか、モーツァルトが分からないのと一緒だから。後世恥かくから。知性が必要なんだよな、中田で笑うのは」と語っていて、いろいろ批判を受けていました。

でも、実は松ちゃんも30代の頃に、ほぼ同じことを言っているんです。

「ダウンタウンはほんとうにすごい2人なのである。とくに松本は今世紀最大の天才で、おそらくこの男を、笑いで抜くコメディアンは出てこないであろう」

「センスとおつむがない奴にオレの笑いは理解できない」

「バカなやつがどうあがいても、ついてこれる世界ではないのだ」

松本人志著「遺書」「松本」より

当時高校生の僕は「その通りだ!」と思いました。いまはたくさんの芸人さんが様々な手法で笑いを生み出しているので、そこまでの思いはありませんが、「ダウンタウン以前・以後」とお笑いの歴史を変えたのは周知の事実です。

一方で、オリラジの2人もエンタメ界において、それまでだれも成し遂げなかった実績をつくり、先進的な取り組みを続けています。「高学歴だから頭良いしね」という声も聞こえていますが、挑戦することに学歴は関係ない。「松ちゃんレール」とは別のレールを敷き、芸能界をサバイブしてきた。

挑戦を叩くのが大好きな日本社会だからこそ、ここまで叩かれるんだなぁと。

僕は今回の騒動を「僕の憧れのカリスマが、僕が崇拝するカリスマに『挑戦する角度をちょっと変えてみませんか』と提案している」と捉えています。別に中田さんは何一つ批判もしていない。ただ、彼の提案があまりにも挑戦的だから批判が起きている。

とは言え、松ちゃんがM-1グランプリの審査員を降りたら、もうM-1は見ないかもしれない。でも、松ちゃん抜きのM-1も過去にはあって、それはそれで緊張感を持って見ていた。IPPONグランプリに代表される「フリップ大喜利」や「写真で一言」は松ちゃんの発明とも言えるので、そこから外れるのはなんか違う。

挑戦し続けている人が挑戦し続けている人に提案する。非常に面白い動画ですが、なんかいろいろと考えてしまうんです。お笑い好き歴30年以上の僕としては。

松ちゃんは今年、還暦を迎えます。「テレビが生み出した最終世代のカリスマ」と言ってもいいでしょう。一方の中田さんは松ちゃんと約20歳、年が離れています。僕とほぼ同世代。テレビで売れてネットに移行していた最初の世代で、新しいタイプのカリスマと言えるでしょう。

カリスマは挑戦し続ける姿勢が求められます。時には批判に晒され、時には賞賛される。松ちゃんも中田さんも常に挑戦し続けている。

お笑いの世界なので特に上下関係も厳しいし、物言えない空気になるのはあるでしょう。芸人さんたちが様々な反応をするのはもっともだと思います。

だけど、挑戦くらいは後輩が先輩に言ってもいいんじゃないかなーと。動画でも言っていたように、この提案は中田さんにしかできないのは僕もそう思います。

つぎの展開がどうなるにせよ、2人の挑戦し続ける姿を見て、「やっぱすげぇな。僕も負けてらんないなぁ」と感心し続け、挑戦し続けていきます。

あらためて、中田さんに勝手にし感謝です。ありがとうございました。




オリラジさん、2005年テレビ初登場の映像。





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