みんなの卒業

2020年卒業生に2011年卒業生が(勝手に)贈る言葉

どうも、2011年卒業生のきむかずです。書き途中のPR関連のnoteを早く仕上げたいところですが、先にこちらを書かせてください。

新型コロナの影響でいろんな学校で卒業式が中止になっていると耳にしました。僕の母校、立教大学も中止とのこと。↓

なぜ2011年卒の僕が、卒業式中止という状況を迎えた2020年卒の皆さんに贈る言葉を残したいと思ったか。それはまさに、9年前に僕も卒業式が中止になった当事者だからです。↓

卒業式中止を経て、社会人10年目を迎える少し早く生まれた人間から、同じく卒業式中止を突き付けられた2020年の卒業生に、勝手に贈る言葉を送りたいと思います。あくまで個人的な視点でのメッセージです。ビジネス系の記事を待っていたフォロワーの方にはすみません、次回ご期待ください。卒業というモーメントで感情高ぶる卒業生のみなさんに、卒業ソングなど聴きながらぜひご一読いただけたら幸いです。

卒業式があってもなくても、たぶん環境は変わらない

体験してみてまず一つ言えることは、卒業式があってもなくても、それによってその後の環境が変わることはほとんどの場合ありません。就職する方は普通に社会にでて働きますし、アーティスト活動している方も同じく自分の道を進んでいますし、卒業式がなくなったことがその後の道を進むうえでの障壁になることはありません。

では、卒業式があるかないかで、何が変わるのか。

変わるのは、マインドだと思う

体験してみて、何が変わったか。それはマインドでした。

僕らのときは震災でしたが、少し当時の話をすると、本当に衝撃的な出来事でしたし、様々な問題が世界中で常に起きているとはいえ、あのときはより身近に、強く印象に残る出来事でした。被災地はもちろんですが、東京の自分の家でさえ食器棚が倒れ食器がたくさん割れたり家にヒビが入ったり、テレビが倒れたりもしました。発生時は内定者バイトで仕事をしていましたが、新宿御苑に避難したことや、その後広告出稿自粛による業界としての影響など当時のことは強く記憶に残っています。その後東北には何度か訪問し、ツールド東北という大会には3度ほど参加しました。

そういったイレギュラーな環境下で大学を卒業し、社会人としてのスタートを切ることがどんなことなのか。もちろん目の前の不安や先々の不安など、「どうなっちゃうんだろう、自分たちも社会も」というような感情を持つこともあります。しかし、そこから生まれるのは「自分は何か、自分が出来る事は何か」という視点でした。

社会人としてのスタートをきるときに、「自分たちが出来る事」「自分たちが持つ力」を常に意識しながら歩み始めることができました。

つまり、この未曾有の環境下での卒業と社会人のスタートが、「自分たちが持つ力」について見つめ返すタイミングとなり、また、その力を信じる強い気持ちと自負になったんです。

2020年卒の皆さんが持つ力について触れる前に、僕が当時感じた自分たちの世代の持つ力について記載させてください。

2011年卒の『逆境を超える底力』

僕らの世代がどんな環境で育ったか。

生まれてから小学校卒業までは失われた10年と呼ばれる時代に育ちました。バブル崩壊後に育ち、経済ニュースをみれば何か暗い現実を見せられているような、そんな状態でした。失われた10年、僕らの存在まで失われそうな言葉、逆境です。いや、僕らは確実にすくすく育っていたはず、失われてなんかいない。

中学に入ると、完全週5日などゆとり教育が始まり、ゆとり世代とまわりから見下されるような世代になりました。「ゆとり」という言葉で何もかも片付けられてしまうような環境。これも逆境でした。空いた時間で様々な努力や挑戦、勉強、新しい経験をしてきた、ゆとりは甘えではない。

大学に進学すると、今度は就職活動を前にリーマンショックが起きました。超氷河期の中で社会にでるための就職活動を行いました。当時はほとんどのエントリーシートは手書き、封筒に入れて郵送でしたが、百社を超える数の会社を受けている友人も多数いました。就職氷河期という逆境は、自分が求める仕事への門を狭くした。だからこそ、真剣で本気だった。

そして冒頭にお伝えの通り、大学の卒業式が震災で中止になりました。逆境が多かった僕らの世代は、門出までも逆境に見舞われました。でもそこで僕らは気づきました。『僕たちには逆境を超える底力がある』ことを。ずっと逆境を超えてきた僕たちだから、たぶん乗り越えられる。むしろ、この門出は宿命なんだ、僕らにしかできないことがあるんだ。社会にでて僕らにしかできない挑戦をしていくんだと。そういうマインドを得ました。

では、2020年卒の皆さんは、今回の門出を受けて、どんな力に気づくでしょうか。ここからは僕の想像です。

2020年卒の『繋がる底力』

ストレート世代だと今年大学を卒業する世代は97年生まれでしょうか。90年代半ばに携帯電話の2Gサービスが登場し、99年にはimodeが登場していることを考えると、生まれたころからモバイルでのネット接続というのが当たり前の環境下だったかと思います。(所持しているかどうかは別として)

中学に入ったのが2010年。iPhone日本上陸が2008年ですので、中学入学時からスマホが存在していた世代なのではないでしょうか。ちなみに僕らが大学生の頃はスマホはないのでサークルのやり取りはML(メーリングリスト)で行っていましたし、電話代を気にしていてウィルコム(通話定額)などが登場した際はカップルで二台目として持つ人もいたような時代でした。スマホ・WiFiがスタンダードとして中学生時代(以降)を過ごす皆さまは、LINE通話などへのコスト感はなく、繋がることが日常的なものだったと思います。

高校、大学時代も、SNSやアプリなどオンラインのソーシャル上で誰かと繋がっていることが日常だったのではないでしょうか。友人とはLINEで繋がり、暇なときはTwitterでつぶやき、友人とTikTokで動画を発信してみたり、ライブ配信をしてみたり、インスタで写真やストーリーを共有し、マッチングアプリで出会ったり、物の売買はメルカリで行い、荒野行動ではボイスチャットで交流したり、youtuberやインスタグラマー等をフォローしたり・・・。

僕からみると、皆さんが持つのは『繋がる底力』だと思います。

今回の中止の背景をみると、リアルな接触での感染を防ぐ目的で、自宅待機やオンライン化などが進んでいます。この、リアルコミュニケーションが厳しい状況下において、皆さんの『繋がる底力』は困難を乗り越える大きなパワーがあると思っています。

リアルがなくても君たちは繋がることができる。『繋がる底力』を信じて、目の前の状況、そして今後の社会人生活を歩んでほしいと願います。

卒業おめでとうございます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?