うつ6年目

2021年になった。特段なにか自分自身が変わったわけではない。新年に新たな気持ちで~とか、そういうリフレッシュ感もない。ただ年が変わった。それだけだ。最近の仕事は蛾の幼虫を毎日200匹世話すること。これがなかなか大変。思っているよりも。生き物を育てるということはこつこつやっていくしかない。毎日餌をやる。糞の掃除をする。その繰り返し。最初は少し気味が悪いなと思っていた幼虫も、日に日に大きくなっていって、「愛着」みたいな感情も不思議と沸いてくる。名前はつけないけれど。

幼虫の世話をせっせとしたら、そのほかの時間はほとんど睡眠時間。こういう生活ができるのは会社勤めではないから。「うつの回復期だから、寝ること自体は悪いことじゃない、むしろ身体が休みたいというサインだから休んで」、とかかりつけの医師からは言われている。そうだ、回復期だから、大丈夫、とこの4か月近くずっとこの調子。少し不安にもなってくる。でも、2週間に1回のカウンセリングでも、このことを伝えると「休みたい時は休んでください。」と何回か言われた。うん、大丈夫。大丈夫。自分に言い聞かせる。私の様子を見ている両親もやっぱり心配なようで、「ちょっと寝すぎじゃない?」「大丈夫?」と声かけしてくる。そりゃそうだ。1日の半分以上はずっと寝ている。食欲は普通。運動は寝る前にたまにストレッチするぐらいでほとんどしない。寝ても寝ても眠い。朝起きた瞬間から、次いつ寝ようかとか考えている。やっぱり異常な状態で、夜中にはしょっちゅう夢を見ていて眠りの質は決して良い訳ではない。眠りのスイッチがおかしくなったのは一体いつからなのかわからない。どんどん睡眠時間が長くなっていく。休日もずっと布団の中。布団をあげたら、今度はソファの上。父からは笑いながら「寸暇を惜しんで寝てるね」と言われ、私も「たしかにそうだ」と思い、思わず笑ってしまった。「寸暇を惜しんで寝る病」。もしそんな病気があったら完全にそれだ。睡眠障害とかそういうたいそうなものでもない。実際、そこまで困っていないからだ。ただ、ずっと寝たい、布団から出たくない、というだけ。一般的に考えるとそんな睡魔にまかせて生活していたら、生活が立ち行かなくなる。なぜ生活が成り立つかといえば、端的にいえば実家暮らしだからだ。引きこもりの人の新聞記事を見るたび、他人事とは思えず、心臓がぎゅっと締め付けられる気持ちになる。程度とか状況は違うかもしれないが、自分も引きこもりの一種なのでは?と思う時がある。実家に寄生したままでいいのか、とか、こんな自分に生きる価値ってあるんだろうか、とか考えてしまうこともある。それがうつの症状ということもあるのかもしれない。私がうつを発症してから6年近くが経とうとしているが、まだ回復の長い階段を2歩上がって1歩下がって、行きつ戻りつしながらなんとかこれからも付き合っていくしかないのかもしれない。友人にはなかなかうつの治療中であるということを打ち明けられず、元気なふりをして過ごしている。どうしてこんなにかっこつけたがり屋なんだろうか。見栄っ張りな自分が嫌になるが、まだ20代前半のころよりはましになったなと思う。もっと身近な友人にも理解してほしいと思う気持ちと、到底理解なんて出来ないだろうという矛盾した気持ちがある。理解ってなんだろう。ただ、「そっか。大丈夫だよ無理しないでね。」と言ってほしいだけだ。理解なんてそんなたいそうなことしてほしくない。肯定してくれればそれでいい。両親や妹はその点でいうと、良き理解者であり続けてくれて、私はすごく恵まれているなぁと思う。一緒に暮らしている人間が自分を肯定してくれること、病気を理解しようと努めてくれることはすごくありがたいことだ。最近、父から「病気じゃないと思うよ」と言われてびっくりして自分を否定されたのかと思って凹んでいたら、後々よく話を聴くと「(睡眠に関していうと)病気じゃないと思う」という意味だとわかって、ほっとした。父とのコミュニケーション不足でこういう齟齬みたいなものは発生しうるんだなと思ったし、家族だから理解してくれて当然、という態度は改めないといけないなと思った。ついつい、「家族だから」という枠にはめて「理解」や「肯定」が当然発生するものだと思い込んでしまうが、日ごろから困ったことを相談したり、報告したりしてコミュニケーションを積み重ねて、やっとできることなんだと思い知らされた。

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