『家庭』を持つことの意義。

自分、結構な"イイ歳"の汚ヤジだったりするのですが、実は未だに独身なのです。
交際しているパートナーはいるのですが、この歳にきて未だ結婚という"一線"を越えられず、優しく思いやりのあるパートナーとずるずる交際している、という現状。
相手もそういう自分のある種の葛藤を察知しているのか結婚を急かす、みたいな言動もなく(気を遣わせてしまっている)尚もぬるま湯の如くな現状に情けなくも胡座を掻いてしまっているのです。
自分よりも歳下で『家庭』を持っている部下は言います。
「帰宅した時に家に灯りが付いていると、凄く幸せを感じる」
今の自分同様、独身の時は仕事から帰宅しても灯りが付いていることはない、それ故に『家庭』を持った今、"一人ではない"幸せをとても痛感しているのではと。
自分の心の奥底には以前より「自分は人間として全く"価値"が無い」という"呪い"にも似た勝手たる劣等感が厳然と存在しています。
ですがもういい加減その"呪い"をほんの少しだけ緩めても良い時機なのかもと思索している今日この頃。そしてその「負のベクトル」をそれまで以上の愛情と思いやり、誠意を付随させてパートナーと共に築いていく『家庭』を持つという「正のベクトル」に変えていっても良いのではないかと、改めて思います。