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朗読劇 くろがね姫の離婚 最終章

幾年か後の、とある賑やかな町。
行き交う人々。
色とりどりの品々を売る店が軒を連ね、威勢の良い商人たちの掛け声が飛び交う。
女も男も着飾って、
芝居見物の御一行、
愛を語らう恋人たち。

誰もが享楽に浸るその通りの
真ん中に、
汚れたシミがぽつんとひとつ。
オドオドと、
背中を卑屈に丸めながら、
両腕の無い女が立っている。
時折、人の顔色を窺っては、
「旦那、」
ぎこちなく笑う。
「お恵みを…」
誰もが女に気付いているのに、
誰も女を見ようとはしない。
まるでそのような女はいないがごとき、町の喧騒。

汚れた女がフラフラと歩く様を、
遠くから見つめる、もうひとりの女。
傍らには影の者。
「変われば変わるものよ」
女が呟いた。
形の良い唇。
賢げな顔をした娘を伴っている。
「シラハギ殿、そろそろ」
「もはや、国主様に逆らうことはないでしょう」
シラハギは、我が娘に言い聞かせる。
「かの子や。よう見ておおき。強い者に逆らえば、ああなるのじゃ。強き者の心を掴んでこその、賢き女ぞ。…心を掴むにはまず、愛らしい顔じゃ。ほれ、首尾良う笑うてみよ」
娘は、母親譲りの潤んだ瞳をしばたたかせ、形の良い唇で、見事に微笑んでみせた。

分厚い本を抱えた学者がひとり、
両腕の無い女の前で立ち止まる。
「お恵みを、」
「もっと誇り高く生きなさい」
したり顔の学者が諭す。
「腕が無くとも、立派に事を成す御仁はいくらでもおりますよ」
「ならば事を成す才能とやらをくださいませ」
ぎこちない笑顔を固めたまま、女は言う。
「それより腹が空いてかなわぬ。何か食べるものを、」
女に詰め寄られ、学者は困って逃げ出した。
「そのような本を大事にしたところで、飯の種になるものか」
悪態をついて、女はまた人の顔色を窺いはじめる。

日も暮れる頃。
しおれた柳のように立ちすくむ女の側を、父母(ちちはは)子どもの親子連れ。
優しげな顔をした父親は、
女の懐にいくばくかの金を差し入れた。
「憐れな女よ。何かの足しにしなさい」
「もろうてやるわ」
途端に尊大な顔をして、女は親子連れを見下ろす。
「なんだと? 」
「汚い心が少しは洗われたであろう」
「施しを受けておいて、その言い草はなんだ」
気味が悪いと母親が言い、子どもの手を引いて歩き出す。
父親は、先ほど女の懐に差し入れた金を奪い戻し、
舌打ちだけを残していった。

「なんとまあ」
ため息に振り向くと、
…女は驚きに息をのんだ。
深緑の池で別れたままの、懐かしい顔。
「シラハギ」
「相変わらずでいらっしゃいますな」
「…会いたかったぞ」
目ヤニの溜まった目を細める。
「施しを受けるなら、もう少しへりくだった物言いができませぬか」
「さっきの父親の顔。見たであろう? あんなぼやけた顔は好かぬ」
「…ほんにお変わりない」
「いや、変わったぞ」
恥ずかしげに俯いた。
「腕を無くしてしもうた。…そうじゃ、わかったこともある。シラハギ、よう聞けよ。…神など、存在せぬ。アメツミの生まれ変わりなどと言うておったのがちゃんちゃらおかしゅうて、」
シラハギは眉ひとつ動かさず。
「ええ。そのようですね」
クロガネは辺りを見まわし、
「家来たちはどこじゃ」
「はい? 」
「迎えにきておるのじゃろう? 」
シラハギは、ゆっくり目を伏せた。
「…いいえ。…命をとられなかっただけでもありがたいと思われよ。影の者に両腕を切られただけで済んだのですから、」
「え? 」
クロガネはまじまじとシラハギを見つめた。
「影の者に両腕を切られた…? なぜお前が知っておる」
シラハギは一瞬戸惑ったが、
にっこりと花のように微笑んで、
「さようなら」
くるりと踵を反し、
裳裾をなびかせ去っていった。 

ひとり。
女がひとり、佇んでいる。
ひとり。
行き交う人々のなか。
笑う。
口の両端を吊り上げる。
目には、あなたに服従、の色をのせて。

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