見出し画像

紅茸ゼロサム その6

しじまに密やかな足音。
めかしこんで家を出た男の後ろを、男の姿に化けた娘が、見つからぬようにこそりと追いかけています。
と、辻を曲がって見失い、右往左往しているうちに、向こうから息をきらして駆けてくる人の気配。
行灯の明かりがゆらゆらと近づいてきて、娘の顔を仄かに照らしました。
その娘に向かって、娘の夫の名を愛しげに囁いた灯りの主は、
闇夜にも匂い立つような美少年。
喝食姿も麗しく、
目元にはゾクっとするような色気を漂わせております。
これがあの美少年かと気付く間もなく、
少年は娘の手をとり、頬を寄せて息を洩らしました。
手の甲に、絹のような肌ざわりと甘い匂いを感じ、
同時にえもいわれぬ恐怖を感じて、
娘は美少年の手を振りほどき、
知らずに踵を返しておりました。

それから一晩中。
暗い部屋に座り込んで、娘はじっと、己の掌を見つめております。

しらじらと、…しらじらと夜が明けてまいりました。
遠くの池で、気の早い蓮の花が、ぽうん、ぽうんと咲き始めて、
ぽうん。
ぽうん。
その桃色の音が、
娘の中の何かを弾いたのか、
娘はゆらりと立ち上がると、
するすると歩いてゆきます。
蔵の扉。
鍵を開けて入ります。
なかには異国から集めた、様々な商いの品。
娘は薬草の袋を選り分けて、
クサノオウという草を取り出しました。
イボ取り草などと呼ばれ、この国にも生えている薬草ですが、異国のものは格段に効き目が強く、いわば麻薬。
それをひと掴み左手に、
右手には絹糸の束。
蔵を出ると、
きちんと扉を元に戻して部屋へ帰り、
手のものを隠すと、
鏡の前で、
ひっそりと、
唇に、
紅をひきました。

夜を待つ 露草の 宵闇色の花。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?