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構造主義とソシュール



はじめに

イタリア留学をきっかけに語学に興味を持ち、今までに色々な言語をかじってきました。とはいっても、日常会話をできるようになりたかったわけではなく、言語に特有な音や文法に興味があっただけなので、あくまでもかじって味見をしてきただけなのです。
そんななかでIPA(International Phonetic Alphabet)という概念に出会いました。これは世界に存在する音を"物理的"に体系づけまとめたものです。日本人にとって発音しにくい外国語の音というのは数多くあるわけですが、このIPAはどのようにすればその音が発音できるのか、を詳しく教えてくれるため理論的に発音を勉強することができるようになります。ここで、物理的という単語をかぎかっこ付きで書きましたが、これはIPA上の音の分類と認知上の音の分類は必ずしも一致しないためです。例えばIPAにはrとlがありますが、日本語ではこれらの音は同じ音とみなされます。このようなある言語から見た音の体系を調べるのが音韻学と呼ばれる分野です。一方、前者のような言語に寄らずありとあらゆる言語に存在する音を調べる分野は音声学と呼ばれます。このように言語に存在する音、またそれらを積み重ねてできる単語、また文法、会話などを調べる分野を合わせて言語学といいます。語学を通して、私はこの言語学という世界に興味を持つようになっていきました。
この言語学を学ぶ上で欠かせないのが、ソシュールと呼ばれる言語学者の存在です。この言語学者は言葉と概念の関係の研究をし、言語学に大きな影響を与えた人として知られています。また、構造主義というとレヴィストロースなどが有名ですが、この構造主義の源泉はこのソシュールの研究にあるとも言われています。
今回、構造主義を勉強しようと思い、内田樹さんによる寝ながら「寝ながら学べる構造主義」を読んでいたところ、このソシュールの話が登場し、なんとなく構造主義の文脈から見たソシュールの位置づけが分かったような気がするのでここにまとめようと思います。

概念とことば

ソシュールの研究でもっとも重要と思われるものが、概念とことばの関係性についての考察です(この段落ではことばとは単語を指しています)。それは概念があってそこにことばがあるのか、ことばによって概念が形成されるのか、どちらなのかという問いかけからはじまります。
前者の例として聖書を取り上げます。聖書には、主が創造した獣や鳥に対して、人が名前をあたえ、それが動物の名前になったとあります。名前を付けるにあたっては、すでに動物が分類されている必要があるわけですから、名前がつく前に、どのようなものが犬に含まれ、どのようなものが猫なのかといった枠組み(概念)ができていたことになります。そして名前はあくまでのその枠組みに対するラベルであり、必ずしも犬である必要はないわけです。確かに犬は英語ではdogと呼ばれていますし、ラベルは正直何でもよいわけです。つまりこの考えでは、先に概念がありそこにことばが付加されているということになります。
ところがこの考えだとうまく説明できない事実があります。単語の表す意味の範囲が言語によって違うという事実です。これを雨を例に説明します。よく言われるように日本語と英語を比べたとき、日本語にはより多くの雨を表す単語が存在します。こさめ、きりさめ、通り雨…などなど。もし仮に枠組みが先にあって、そこに単語があてはめられているだけならば、このような言語間の差を説明することができません。このような事実を説明するためには、概念があってことばがあるのではなく、ことばによって概念が形成されている、と思考を転換する必要があるわけです。そしてこれがまさにソシュールが主張した内容です。つまり我々人間はことばによって世界を切り取り、概念を形成しているというわけです。

思考とことば

この発想をさらに進めると構造主義とのかかわりが見えてきます。そもそも構造主義とは何か、私はこれを説明できるほどの能力はありませんが、ひとまず、我々の行動は自由意志なので決定されているわけでは決してなく、その背景に存在する構造によって支配されているという考えだと理解しています。ここでは、このような考えと上記のソシュールの概念と言葉に対する考察とのつながりを見ていきます。
さきほどの話はどちらかというと"単語"レベルに注目してその概念(意味)との関係を考えたものでしたが、ここでは単語をつなげて作られる文に話を拡張します。私たちはことばを発するとき、あたかも思考がまずあって、それに基づいてことばを発していると考えがちです。ところが、さきほどの概念はことばによって形成されるという考えを信じるならば、ことばを発する以前に概念存在できません。つまりことばなくして思考はないわけです。そしてそのことばとは他者のことばを聞くことを通して習得されるため、思考を規定していることばとはもともと他者のことばであったことがわかります。つまり我々の思考は結局は他者のことばであり、ソシュール以前、世間をにぎわせてきた自我や自由意志といったものは決して存在しないことになります。
このようにソシュールは概念とことばの関係の考察を通して我々の意思と考えていたものの正体は周りの環境によって形成されているものに過ぎない、ということを示したわけです。ここで構造主義にもどると、その考えは、我々の行動は自由意志なので決定されているわけでは決してなくその背景に存在する構造によって支配されている、というものでした。確かに両者はとても似ています。これがソシュールが近代言語学の父でありながら構造主義に大きな影響を与えた人物である所以です。ソシュールは概念とことばの関係の研究を発展させ、さらに記号論という分野を作っていますが、これについては今回の話とは少し離れるのでまたの機会にしようと思います


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