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美容師見習い

 北海道から戻り、ぶらぶら遊んでいた頃に話が戻ります。

テレビで見た時の気持ちで『美容師もいいかな』と母に話していたんだと思うのです。

母行きつけの美容室に話をつけてくれました。遊び歩いている僕が心配だったのでしょう。放課後生活も数ヶ月で三年分を取り戻してしまい、目的がないことに飽きてしまいましたから、美容師見習いすることに決めました。
 
 ほぼ地元の辻堂の美容室です。スタッフは4人くらい。支店が二つほどありましたが、地方の小さな美容室です。美容師免許のないただの見習いですから、髪を切ることはできません。洗濯したり掃除したり、シャンプーしたり道具を手渡ししたり・・・いわゆるアシスタントです。
 美容室はお客様が綺麗になりに来るところです。美容師は自分の技術で仕事をしてお金をもらえるだけでなく、お礼まで言ってもらえる職業でした。
さらには当たり前ですが服装も髪型も自由。そしてモテそう。
これはなかなかいい仕事だなと、1年程働いた頃に美容師の専門学校へ行くことにしました。
 
 昼間は見習い、夜は美容師の夜間学校。店が休みの日も授業はあり、授業がない日でも店は休みじゃありません。二年間ほとんど休みのない過酷な日々を過ごしました。
 それでも美容師の仕事に惹かれた理由は、実力主義、というところでしょうか。始めたばかりということもあったかもしれませんが、だんだんと技術を覚えて、仕事を覚えて・・・・その分評価が上がっていく。頑張れば結果に結びつく、そんな職人的な部分はどこかサッカー選手にも通じるところがあったのかもしれません。
 それに人に恵まれたことはもちろんです。その美容室で、栗原という大先輩が何もわからない僕にも丁寧に仕事の基礎を教えてくれました。その先輩はまたかなり後で登場します。が、それはまたその時に。

 地方の小さなな美容室だったことも、今思えばよかったのでしょう。都会の、大きな美容室の新人教育の環境は全然違います。僕が入った頃も、今ならなおさらでしょうが、新人の子は大事な労働力であり、将来の戦力です。

しかし都心で、トップサロンでの新人の扱いは全然違います。何と言っても人手はいくらでもあるのです、自ずとその対応も違ってきて当たり前でしょう。


湘南は基本的に都会に憧れない地域だったので、自ずと都会を目指しませんでしたね。

 とにかくそんな環境で3年過ごしました。最初の一年はただの見習いで、後の1年は昼間は見習い、夜間には美容学校。そして、やっと美容学校を卒業し、インターン期間1年を経て、国家試験に合格し、晴れて美容師としてお客様の髪を切ることができるようになったのです。


 最初のお客さまの事を覚えています。

ロングヘアが綺麗な女子高生でした。

「あのお客様はいつも揃えるだけだから大丈夫。あなたやりなさい」と任されたのですが、彼女が開口一番言った言葉に愕然。

「相川七瀬にしてください」

当時流行っていたショートカットが似合う女性歌手の名前です。あれでよかったのか、今でもよくわかりません。そのお客様を街で見かけたことがあって・・・つい凝視してしまいました。大丈夫だったかなぁって。


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