深夜に踏切が聞こえた日

深夜、わたしはおもむろに窓を開けて、うとうとしながらそのときを待っていた。最初にそれを聞いてから数週間はたっている。かんかんかん…という、あの踏切のしまる音である。はるか遠くから響いている、かすかに、か細く、すぐにも消え入りそうな踏切の音を。

近くには線路も踏切もないので、どこか遠くでしまっている踏切の音が、静かな夜に、風にながされてかろうじてとどいた、ということだろうが、わたしには一つの疑問があった。こんな深夜に、そもそも電車は走っているか、ということである。

田舎なので終電は夜9時ごろ、踏切の音が聞こえたのは日付もかわったころである。終電にしては遅すぎるし、テストか検査的なものなら、こんな深夜に音をだすだろうか。

なぜあんな深夜に踏切の音が聞こえたのだろう。音はどこからきていたのだろう。わたしにはそれがどうしても気になった。

天気予報を確認した。その日の気温、風向き、風力、湿度など…その音が、どこから聞こえるかしらべるためである。それでもそれらしい踏切は、地図上では見つからなかった。

その日、わたしは早めに寝入ったが、深夜、日付が変わるころに目をさまして、窓を開けた。踏切の音はやはり聞こえた。こんどはかすかではなくはっきりと、まるで自分を呼び寄せる声のように。

音のする方向を地図で調べても、やはり踏切も線路もなかった。わたしは音にいざなわれるよう、終電のなくなった深夜、その方向へいってみると、苔をかぶり、さびだらけになった踏切があった。遮断機が斜めになったまま停止していて、二つある信号のうちひとつは割れており、もうひとつはあらわになった月明りを反射して、不気味な光をはなっていた。

音につられてやってきたが、こんな廃線の踏切が音をたてるはずがない。やはり空耳だったのだろうか。

深夜の月がだんだんと雲間に隠れていく。やわらかく周囲を包んでいた青白い光が、細い針のようにだんだんと収束していき、頭上にのびている。かつての記憶が、その光にからまりあうように引き戻されていく。

わたしはふと、いや、ようやく思い出した。それは何十年も前の、子供のころの話である。

当時、クラスの子供たち何人かで、この踏切で遊んだことがあった。当時から踏切は古かったが、風向きのせいか、夜は踏切の音がよく聞こえた。夜に踏切の音がきこえたら、その場所に集まる約束をしていた。

当時はガキ大将みたいなやつがいて、集合に遅れると、きまってそいつに殴られた。だからみんなあわてて、踏切の音がすると、おびえたように集まった。

踏切の音というのは、遠からで聞くとかすかだが、近くで聞くと意外と大きいものである。それこそ、多少の音や声はかき消されるぐらいに。

昔のいじめというものは残酷だった。そのガキ大将は踏切の音にまぎれされ、気に入らないやつをよく殴っていた。泣いても叫んでも、踏切の音にまぎれて、大人たちにはとどかなかったのだ。

いじめはだんだんとエスカレートしていった。その同級生はあるとき、踏切がなっても、線路の中からうごくなと命令された。踏切の音は耳をつんざくほどなりひびいている。その子は耳をふさぎながら、おびえて逃げようとするが、いじめっこはへびのようににらみをきかせているので、うごけなかった。

命にかかわるようなことなので、ひょっとたらいじめっこは、ぎりぎりで解放しようとしたのかもしれない。しかし、結果として間に合わなかった。いじめっこたちは怖くなってその場から逃げだした。

わたしはそのとき、ガキ大将のやりかたに嫌気がさして、いや、逃げる意味もあって、ちょうどその場にはいなかった。止めることはできなかったが、もしその場にいたとして、止める勇気などなかったと思う。

その子は入院し、生死の境をさまよったようだ。ちょうどそのすぐあと卒業をむかえたので、その後は知らずじまいになってしまった。

ずっと後悔していた。わたしはおびえて、声をだすことができなかった。こんな危険なことをやめようと、いうことができないまま、彼を守ることができないまま、別れてしまった。

何もしようとしなかったわたしも、きっと同罪なのだろう。ずっと罪の意識にさいなまされることから逃げるため、いつか記憶に重い蓋をしていた。それが耳鳴りのように、踏切の音として残っていたのだ。

わたしは今、廃線になって、もうならなくなった踏切を見ていた。助けられなかった後悔と、罪の意識から逃れるため忘れようとしていた自責の念が、容赦なく心をむしばんでいく。また踏切の音が聞こえた。こんどははっきりと、聞こえるほどの音量で、同時に、車のクラクションの音がけたたましくなっていた。

わたしはすぐ音のほうに向かった。深夜に、年配の人が運転する車が踏切の中でエンストし、立ち往生をしているようだ。わたしは後ろから車を押した。全力で、力の限り押し続けると、車はすこしずつすすみ、踏切の外にでていった。

息もきれぎれで、余力はまったくなかったが、かろうじて顔をあげると、後部座席に人影が見えた。車を押しているときは気づかなかったが、それはどこかで見たことがある、少年の人影だった。

そういえば、なぜこんな深夜に踏切の音がなったのだろう。そう、電車は終電を迎えている。運転手にきくと、踏切なんてなってませんよ、と言った。でも朝まであのままだったら危なかったですね、と、胸をなでおろしていた。

車の運転手からお礼がしたいといわれたので、わたしは運転手に連絡先を教えた。本当はそんなものを受け取るとつもりはなかったが、どうしても気になることがあって、連絡をとりたかった。後日、わたしは運転手の家を訪れた。

そこでは仕事を引退した老夫婦が二人でひっそりと暮らしているようだった。居間には仏壇があり、遺影には青年の写真がかざられている。

「お子さんですか?」

わたしはあえてその写真を見ずにそうきいた。

「とても立派で勇敢でした。自慢の息子です。あなたのように命がけで人をすくったのよ」

わたしはそのあと、夫婦としばらく話をしたが、何を話したかほとんど頭に入らなかった。

その少年が彼かどうか、わたしは確認することがなかった。彼はあのまま死んでしまったのか、それとも生き延びて、その後に何かがあったのか。

もしいじめられていた少年が、力強く成長し、誰かを命がけで助けることができるほどの男になっていたとしたら。わたし自身も、これほど救われることはなかった。

ひょっとしたら、立派に成長した彼が、わたしに、あの踏切の音を、聞かせに来てくれたのかもしれない。

後日、わたしは古びた踏切に花を添えた。踏切の音はもう聞こえなくなったが、わたしは踏切をみるたび、彼を思い出すのだろう。彼は死んでからもなお、わたしを救ってくれたのだった。


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