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走ることは宝を探しに出かけること

◇◇◇はじめに◇◇◇
こちらの記事はランニングやジョギングについての精神論や技術論について書かれていません。ある程度の経験則には触れています。
日々「走ること」を通じて得た気付きや気持ちの変化など、風景写真を切り取りながら書いています。
◇◇◇今回の記事の見出し◇◇◇
・脳がカッチカチやないかっ!
・だいたい走ってる最中に仕事は終わる
・宝に出会う確率を増やすためにも

走ることを「軸」として1日のスケジュールを組んでいます。
最近では、やっとこさ違和感なく生活の一部として走ることが馴染んできました。

ボクは走り出す前、ある種の下心を抱いて準備をする日があります。
今日は、どんなお宝と出会えるだろうか、と。

もちろんお宝といっても札束が落ちているとか物理的なお宝を探しに走るわけではありません。そんなものよりも、もっと希少性のあるお宝。ボクだけにしか探せないお宝。たまにそんなお宝に出会えることがあるんです。


脳がカッチカチやないかっ!

ボクは企業から依頼を受けて販売促進をサポート(改善・提案・実施・運営)する仕事をしています。

・なぜこんなにも先に進めないのか
・なぜもっと良いアイデアを出せないのか
・他の人はどうやってるの?

いくらパソコンの前でウンウン唸っていても、答えらしい答えが出てこないし、改善策らしい改善策は出てこないし。ましてや前進する気配すら見えません。(ほぼ毎日ね)すげぇムダな時間。。。

そんなときに(ほぼ毎日ね)ボクは走ります。(ほぼ毎日ね)
走りながら考えます。(ほぼ毎日ね)


だいたい走ってる最中に仕事は終わる

ハァハァハァ・・・。
走り始めて3kmくらいは何も考えることなく、ただただ走ります。
しばらくすると、体も脳も慣れるのか科学的なことはわかりませんが、なんとか余裕が出てきます。

走りながら季節の変化を味わえるのもタマラナイ贅沢な時間

走っていると面白いもので、その振動によるものなのか、カッチカチだった脳が(イメージ的に)ペキッペキッと硬い部分にヒビが入り、硬い部分の余分なモノ(考え)が剥がれおち、研ぎ澄まされていく感覚になってきます。

まるで、ザルで漉しているかのように不要なモノ(考え)は振り落とされ、必要なモノ(考え)だけが残されていくような感覚です。


「あ〜、そうかぁ。この案件にはあの視点が不足しているな。あれ?以前、全然違う業界の販促してたときのあの方法が有効かもしれないな」

「ということは、それをミックスして提案するとクライアントが喜びそうな感じだな。キーワードをガラリと変えてみよう」


点と点が線になるとでも言いましょうか。面になるとでも言いましょうか。過去の事例と今現在進行している案件が思わぬ形で握手をする瞬間があります。


「君たち仲良しだったのかっ!!」と。


これこそがボクにとっての宝なんです。
思いついたアイデアは走るのを止め、その場で適当なところで座り込み、メモをしていきます。パソコンの前では絶対に出会えなかったアイデアなんです。

だいたい、これで仕事の8割は終わったようなものです。勝ちです。(残りの2割はパソコンで清書)


宝に出会う確率を増やすためにも

「お宝ないかなぁ〜お宝ないかなぁ〜」とただただ走っていても、そうお宝に出会うことはありません。

ポイントは、常に頭の中でその案件(や他の仕事)がグルングルン回っていることです。
「どうやったらクライアントが喜んでくれるか」それをず〜〜〜っとイメージしておきます。

宝に出会う確率を増やすためにも、「ありがとうの声」を忘れないように、そして更に喜んでもらえるように広がっていくように、毎日毎日ボクは走り続けます。


◇◇◇Instagramで走った記録を投稿してます◇◇◇


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