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雨の中のガーベラ

久しぶりに、本当に久しぶりに手紙がやってきて、
「あれ、こんな字だっけ」と思う。

大学の頃からの友達だった。
かれこれ20年近い付き合いで、300キロほど離れた街の隅っこで暮らしている。旦那さんと二人の子どものいる、僕が知らない家。

彼女は「雨が降ってるの」と手紙を始めていた。「だからってわけじゃないけど」としばらく続けて、「スーパーで半額だったから。つい、買っちゃうんだよね。ガーベラ」と終わってた。まるで、蛇口を閉めるみたいに唐突に。

「ふうん」と、僕は手紙に書かれた彼女の名前に目を落とす。「ガーベラかあ」
彼女の名前は忘れられっこない。だって、嘘ついてたから。

「この花の名前知らない? どうやっても覚えられないの」
彼女に聞かれて、大学生の僕は図鑑を開いた。
図書館の奥でやっと見つけた花の名前は、あなたに教えてもらったあなたの名前だった。僕は騙されていたわけで、それでもそのことを今でもありがたく思ってる。だって、こうして20年近く経った今でも手紙がやってくるわけだから。

この20年の間、手紙がやりとりされていく中で少しずつ、まるでポケットから小銭が支払われていくように、あなたは夢をあきらめていった。こうしたい、こうなりたい、あれをやりたい。そんな言葉が文面から減っていき、やがて潮が引いていくように乾いた現実が広がっていった。

でも、それを悪いことだとは思わない。あきらめた夢は手放すことで、まるで紙ヒコーキみたいに現実の中に風を運んでくれる。今ここじゃない場所に気持ちを預けることができる。彼女がなりたかったものは、あの小さな体の中で今でも彼女自身を温め続けている。雨の日のスーパーで半額のガーベラを買うほどに彼女を優しくした。嘘をつかなくても一緒にいてくれる家族ができた。

「さてさて」と、僕はペンをとる。
「僕の夢はどうなったんだっけ?」
まだ、返事は書けそうにない。

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