見出し画像

習作(吉田健一風に)

この頃は積読などといってまるで書物とは本来読む直前に買って買った直後に読んでを繰り返すことのその機械的な消費の対象であるというような物言いをされていながら或いは速読という言葉にしてもそうで、今生でさて何冊の本を読めるものかと測る空の椀を構えて蕎麦を待つような風情の扱いも屢々だが、併したとえば丸善でその群青色の表紙にむずむずと惹かれ手に取り買った瞬間の動機の高まりはそのときのものであって或いはそもそも一、二頁をパラパラと近くのカフェーで手繰ってみてもなんの感慨も覚えないばかりか、この類の文体は好みでないとかなんだか読点の打たれる位置が生み出すリズム感がいやに独特で少しくエリート主義にも感じられて、次第に本来はどうでもよい会社での些事が気になり出したりした後鞄の底にそのまま眠ってしまい飛ぶように幾年、それから数えて三度目の引っ越しを前に荷詰めに飽きた深夜にふとみつけて初めて出会ったかのように新鮮な面持ちであらわれたその書籍を、なんとなくその「絵空ごと」という題名や書それ自身の絶妙な厚みなどを鑑み逡巡し処分せず、という歴史、読まぬまま重ねてきたこの歴史がいまこの夜に突然破れそのあわいに閃光が走り、晴れて相思相愛の読書となることもあるのは自明のこと、というのはどうでもいいことで、併し本に自分が愛されるという錯覚は全く恥ずべきものである(吉田健一風に)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?