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デジタルには「存在」が写り、フィルムには「不在」が写る。

2024年はフィルムで撮ることにしました。

それは「フィルムならではのトーンが好きだから」みたいな理由ではなく、この世界ともっと丁寧に向き合いたいからです。

フィルムは信じられないほど高価になりました。
(300円台だったTri-Xが2000円超…)
もうバカバカしくて使ってられん!その通りです。

でも、悪いことばかりではないかもしれません。
バカみたいに高価なおかげで、一枚一枚を大事に撮るようになったからです。それはつまり「この世界との関係を大切にするようになった」ということです。

もしかすると、いまフィルムを使うことには「生き方」さえも変えてしまうほどの意味があるのでは?

フィルムカメラと歩いていると、世界が「まるでこどもの頃に見ていたように」見えてきます。「モノ」を見るのではなく「場」を感じるようになるのです。

「そういえば、世界ってこんな感じだった」

この世界はゆっくり呼吸をするように揺らいでいます。

そして、何かに惹かれてファインダーをのぞきます。

そこに見えるものが「自分のイメージ通りのもの」ならシャッターは押しません。シャッターを押すのは「想像していなかった物語」を感じた時だけです。なにせ大切なフィルムなのですから。

すると、デジタルで手当たり次第に撮っている時とは写るものが変わります。


デジタルには『「何か」の「存在」』が写ります。

フィルムに写るのは『「何か」の「不在」』です。


「存在」、それは紛れもない「現在」です。

一方、「不在」は「喪失」と「予感」を含んでいます。
「過去」と「未来」と言うこともできるでしょう。

フィルムには「過去」と「未来」の両方が写るのです。

そう考えると、思った以上にフィルムっていいかも。

見出し写真はSprocket Rocket、その他はNikon F3/T, Ai Nikkor 50/1.4によるものです

1ヶ月間、ほぼフィルムだけで撮ってみて感じたのはそんなことです。

それは一枚を大事に撮った結果かもしれませんし、フィルムカメラという魔法の道具のおかげかもしれません。あるいは、フィルムという「実体のあるもの」だけが持ちうる力なのでしょうか。いずれにしても、いまだからこそ再びフィルムで撮る価値があります。間違いなく。


どうでしょう、そんな話を聞くとフィルムで撮りたくなってきませんか?


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