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桜が咲きそうなので中平卓馬展をおすすめしておきます

4月7日まで、東京国立近代美術館で開催中です。

中平卓馬の名前を知ったのはいつの頃かわかりませんが、おそらく高校時代。写真家の名前として10番目以内くらいの早い時期です。浜辺で自分のネガを燃やしたとか、急性アルコール中毒によって記憶を失ったとか、そういうエピソードのインパクトが強かったからでしょう。
中平のもっとも有名な写真集といえば「来たるべき言葉のために」。大学の図書館にあったおかげで、学生時代にそれを見ることができました。ただ、その時は特に強い印象は持たず「ああ、こういう写真なんだな」と思っただけでした。
今回の展示のはじめと終わりには森山大道が撮った中平の姿があります。盟友として知られるふたりは、とくに初期の写真には似た印象があります。その「似ているけど違う感じ」が面白く、森山の写真を基準にすることで中平の写真の個性がよりわかりやすくなる気がします。
会場には雑誌類が多く展示されています。写真よりも多いくらいです。時代の流れと、その中での中平を追っていくことで「中平卓馬」が見えてくるようです。
平日だったので、静かな環境でゆっくりと展示を見ることができました。ただ「平日の美術館」から想像するよりは多くのお客さんで賑わっていて、昨年の島根の森山大道展と比べると「さすが東京」という感じです。
記憶を失う前の中平卓馬は思想と言葉が前面に出た人です。自分の思想に鞭打つために写真を撮っている、そんな印象すら受けます。その思想を言葉と写真に託して時代の波に乗せ、うねりにする。大事なのは、すでにある波を増幅させてあたらしい流れを作ることなのでしょう。
とにかくはじめて見るものがたくさん展示されていて、自分が中平について何も知らなかったことがよくわかりました。こんな現代アート的な作品もあるなんて。
最終的に、中平卓馬は視覚の人、言葉を前提としない写真を撮る人になります。カラー、縦位置、100mmレンズという撮り方は復活後に天から降りてきたような手法だと思っていたのですが、ここに至るまでに試行錯誤があり必然性があることがわかりました。もし記憶を失っていなくても、この純粋に行き着いていたのかもしれません。
会場の東京国立近代美術館は東京をよく知らない人(わたしもそうです)にとっては「どう行ったらいいの?」という場所にあります。天気がいい日なら東京駅から歩いてちょうどいいくらいの距離です。写真展を見終わったら神保町の古本屋で古い写真集を物色しましょう。桜が咲いたら千鳥ヶ淵をまわってもいいのではないでしょうか。


きっと、中平卓馬のもっとも重要な作品は「個々の写真」ではありません。その生き方、「思想と視点の変遷が描き出す曲線」が作品なのです。

そのダイナミックな曲線を一望できる素晴らしい展示でした。


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