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ニコンF3:いちばん遠くにあったカメラ


ずっと「ダメカメラ」だと思い込んでいたニコン F3への贖罪の意味を込めてこの文章を書いています。


1980年代、それはnew F-1の時代

1980年代、世界の頂点にはキヤノン new F-1がありました。

それは(カメラをよく知らない鉄道ファンだったわたしにとって)広田尚敬さん、真島満秀さんという2大写真家が使っているカメラであり、撮影地で「いかにも気合の入っていそうな人たち」が使っているカメラ。疑う余地のない最高のカメラでした。new F-1は絶対的存在だったのです。

一方、F3はとくに注目すべきカメラではありませんでした。中学校に撮影に来る写真館のお兄さんのカメラという印象で、(後に結婚写真を撮ってもらうことになる)そのお兄さんも「new F-1の方が好きなのでプライベートではそっちを使っている」と言っていました。当時のわたしは、F3がニコンの最上位機種であり、new F-1のライバル的な存在であることすら知りませんでした。

そんな中、雲の上の存在だと思っていたnew F-1が我が家にやってくることになりました。それまで使っていたペンタックス KMの故障を機に「いちばん丈夫なカメラ」を求めた父が購入したのです。あこがれのnew F-1。畏れ多くて、しばらくは指先でそーっと触っていました。それは期待に違わぬ完全無欠、紛れもなく頂点のカメラでした。

こうしてF3は完全にout of 眼中のカメラになりました。


new F-1には臙脂色の表紙の豪華なコンセプトカタログがあり、近所のカメラ屋さんではそのカタログがガラスケースの中に飾られていました。new F-1に対する「特別感」はそういうことの積み重ねで植え付けられたのかもしれません。


欠点ばかりのさえないカメラ、それがF3

高校では写真部の同級生のMくんがF3を使っていましたし、F3はその後もずっと「身近なだれかが使っているカメラ」として近くにありました。でも、それらを触らせてもらうたびに、F3の印象は悪くなっていきます。いまひとつなファインダー像(当時の一眼レフのファインダー倍率は0.9倍くらいのものも多く、プロ用機で0.8倍、そんな中F3HPの0.75倍のファインダーは明らかに迫力に欠けました)、小さな液晶にプラスマイナスが出るだけのまるで使えない(下位機種のFEにも大きく劣る)露出表示、なんとなく安っぽい見た目(塗装のせい?)。最上級機がこれでいいの?と心配になるほどです。

F3の印象は「どうでもいいカメラ」から「ダメなカメラ」になりました。


遠ざけていた日々

その後、F3はロングセラーを記録し、名機中の名機と言われるまでになります。

わたしは多くのカメラを経験しました。気がつくとnew F-1, F3, LX, RTS II, OM-4 Tiという80年代の上級機の中で、F3が唯一の「所有したことのないカメラ」になっていました。

ニコンを避けていたわけではありません。Fは3台、F2は2台買いました。FEも2台目を使っています。いい感じに使い込まれたF3が2万円くらいであって、購入しそうになったことも何度かあります。それでも踏みとどまったのは「ダメなカメラ」の印象が強すぎたこと、そして、どこかで「最愛のnew F-1のライバル機」という意識があったからかもしれません。

F3は「いちばん遠くにあるカメラ」であり「もっとも浮気してはいけない相手」だったのです。


機械式シャッターが主流の1960, 70年代のカメラも魅力的ですが、1980年代はマニュアルフォーカスカメラが熟成した時代で素敵なカメラがたくさんあります。機械式シャッターは電池なしで動く安心感はあるものの、「機械式の方が丈夫で長持ち」というのは多くの場合幻想です。


それはもう恋

それからさらに年月が過ぎて、わたしも大人になり、欠点を個性として受け入れられるようになりました。

いまならF3と付き合えるかもしれない。
そう思い始めたのは昨年になってからです。

遠ざけてきたカメラ、F3。それをいまさら買う気になったのは、いつまでフィルムで写真を撮れるのか分からない時代になったからです(フィルム代と現像代の高騰で、すでに以前のように気安くは撮れなくなりました)。いまがF3を「写真を撮る道具」として経験する最後のチャンスかもしれません。

ただ、人に対して「大雑把な性格」を受け入れられても「箸の持ち方」がどうしても許せなかったりするように、カメラに対しても小さな違和感が許せないことがあります。F3にも「箸の持ち方」にあたるものがありました。それは、フィルムカウンターの文字の色。その青い色が許せないのです。シャッターダイヤルとの色のバランスも悪く、見やすいわけでもない。単にセンスが悪いだけの色。

やっぱり縁のないカメラなのか…

でも、そこには救いがありました。フィルムカウンターの文字が白いF3が存在するのです。それはF3PとF3/T。F3Pはフニャッとしたシャッターボタンの感触が嫌なのと、(わたしにとって)必要なものが省かれて必要ないものがついているカメラなので候補にはなりませんが、F3/Tなら文句なし。さらに、F3/Tだと安っぽいと思っていた塗装がマットないい感じになるのです。こうなるとF3/Tは自分のために用意されていたカメラのように思えてきました。

高校生の頃にカタログを見て「こんな機能が同じで値段が高いだけのカメラ、だれが買うんだろう」と思っていたF3/T。それが実は「自分のために用意されたカメラ」だったとは!もはや「85」から始まるF3/Tのシリアルナンバーすら、8月5日生まれのわたしのためのように思えてしまいます。

運命を信じてしまう、それは恋に落ちた証拠です。


カタログで並んだ3タイプのF3。高価なF3/Tは成金趣味のカメラだと思っていました。F3の価格はノーマルのものが139000円(new F-1より1万円安い)の印象が強いですが、物品税が廃止された1989年4月のカタログでは127000円(F3HPが136000円、F3/Tは182000円)になっています。


はじめまして、わたしのF3

いま、「はじめてのF3」を目の前に置いて、この記事を書いています。

「自分のF3」を手にする違和感は予想よりも大きなものでした。絶対に似合わないと思っていた服を着るのに似たその感覚は、他のどのカメラを手にしたときにも感じたことのないものです。

それなのに、わたしはF3を本気で好きになり始めています。

F3の最大の魅力。
それは「心地よさ」です。

その「心地よさ」はどこからくるのでしょう?

まずは、高い剛性感。多くのカメラは裏蓋がわずかにペコペコ動きます。剛性の塊のようなnew F-1も交換式のファインダーの取り付けには遊びがありますし、超硬派なF2ですら上カバーが軟弱でたわみます。でも、F3は(すくなくともF3/Tは)すべての建て付けが微動だにしません。

そして、不思議なほど手に馴染み「ああ、これだ」と思わせます。大きさと重さのバランス、小さなグリップ、手触り、それらが相まった心地よさ。巻き上げの、シャッターの感触の気持ちよさ。しみじみと感じさせてくれます「体の相性がいい」のだと。

きっと「遠ざけてきた三十数年」があるからこそ、いまこんなにも惹かれ合うのでしょう。惹かれ合う。そう、これは一方的な好意ではありません。カメラもわたしを愛している。そう思わせるところが「魔性のカメラ」たる所以でしょう。


F3のデザインは美しいともかっこいいとも思いません。ただ、それは「いい感じに個性的」です。きっと時間をかけて良さに気づく、好きになったら離れられないタイプの容姿なのでしょう。


new F-1は仕事の相棒として最高のカメラです。必要な情報を与えてくれ、的確に動き、こちらの期待に完璧に応えてくれます。非の打ちどころがありません。

一方のF3は少し間の抜けたカメラです。でも、一緒にいて心地よく、「写真を撮ろう!」と誘ってくれ、背中を押してくれます。

きっと、new F-1は同性、F3は異性です。



1980年代、世界の頂点には2台のカメラがありました。

new F-1とF3

どちらも最高のカメラです。
いまならそう言うことができます。


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