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飽き性

ノートやペンなど書くためのツールが好きだ。

昔から手書きでモノを考えるようにしている。
あえて手書きを選ぶのは、なんか頭良さそうという知性の欠片も理由からである。

休みの日には、某急ハンズや某フトに足を運ぶ。買わないくせに滞在時間の長いクソ客であるが、そこが私の小さな楽しみだ。

手帳が大絶賛売り出し中の今の時期、私は来年の手帳を選ぶためにお店に足を運ぶことが多
い。しかし、毎年手帳を迷子になる。一度も使い続けた手帳がなく、“これがいい”と思っても次第に飽きてしまうのである。

何を隠そう、私は飽き性だ。
これだ!と思っても1週間後には違うものが気になっている。

飽き性を34年も続けてくると、スタンド使いが引かれ会うように、飽き性の周りには飽き性が増えてくる。

そこで気づいたのだが、飽き性には2つのパターンがある。

1つは目的に対して手段がひたすら目移りするパターンである。飽き性なのにうまくいっているやつは大体このパターンである。

そしてもう1つは目的自体がコロコロ代わるパターンだ。要領をつかむのは早いが何事も成し遂げられないやつっているじゃん?
まさにそれ。

私は圧倒的に後者だ。

すぐにやりたいことがコロコロ代わる。
今の時代はありがたいことに食うに困ることはほとんどないので生きおおせているのだが、大義をなすことはないだろう。

このタイプの飽き性は満足感を求めるより納得感を求める方が上手くいく気がしている。
なにかを選択する際、「どうせ飽きるしな」と思っておくくらいでちょうどいい。
これしかない!と思っていても1週間もすればまた新しいことに興味を持っているのだから。

最初から自分の選択に期待なんてしない方がいい。

お陰様で大概のことは
「まぁいいか」と思ってやり過ごせるようになった。
100%の満足を追い求めないことで50%でも納得出来るようになる。要は考え方だ。

完璧を追い求めるより進化しよう。

今年のクリスマスは彼女いないけど
まぁいいか。


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