植物の尊厳を無視した植物工場

 「植物工場って、植物のこと、機械みたいに考えてるな。」
一時期、植物工場に関わろうとしたことがあります。

最先端と言われる植物工場に、とある製品を売り込みに行きました。

実際に植物工場を見せてもらうと、
工場の中に巨大な水耕栽培の施設があり、人工照明と24時間エアコン完備で、レタスを作っていました。

水耕栽培は、マンションみたいに何階層も積み上げられていました。

その光景を見てすぐに思ったのは、
「植物が可哀想だな。」
と言うことです。

植物は、動物のように表情や声を出しませんが、意識があります。特に根を通じて、周囲の植物と交流することや、仲間の植物が弱ってきたら、根から物質を出して助けるといった行動をすることもわかっています。

私は、事務所にある観葉植物に水をあげる時に、
「水が欲しい?」
と、気の感覚を使って質問します。

すると、水が欲しい時には反応が返ってきますが、いらない時には反応が返ってきません。

御神木に挨拶すると、枝がかすかに揺れて、気を出して歓迎してくれることもあります。

逆に、人間の仕打ちに怒っている木にあったこともあります。そんな木を写真に撮って、カメラのバッテリーがフル充電から一気に無くなったこともあります。

明らかに意識を持っています。

そういった植物を、植物工場のような無味乾燥の場所に閉じ込めて育てるのは、拷問のような気がしました。

水耕栽培で作った植物は、水っぽくて味が薄くおいしくありません。また、生育も遅く葉がフニャフニャで歯応えもありません。

植物工場は、無菌で理想的な環境と科学者は言いますが、それはあくまでも人間のわかっている範囲での数値です。

理想的な環境で作っているのに、植物の生育が遅く、外で作る植物と比べて8割くらいしか育たなくて困っているそうです。

当時、植物工場の8割以上が赤字でした。

そりゃそうです。

小さな檻に入れられて自由を奪われると、動物が発狂するように、植物も植物工場で発狂してるのだと思います。

また、エアコンと照明で、工場内は電気の邪気が蔓延していて、私は1時間もいられませんでした。

これを理想的な環境という科学者の感覚を疑います。

確かに私たちは、植物を食べています。
しかし、私たちが収穫するまでの間、植物には生き物らしい生活を送ってもらうのが、普通の感覚ではないでしょうか?

植物がのびのびと生育できる環境で育てれば、植物の味も美味しくなります。栄養価も高くなりますし、気を多く含んだ植物になります。

これは、植物を食べる私たちにも大きなメリットになります。

しかし、今の科学の考え方は、効率重視で植物も無機質なもののような扱いをしています。

当初は、植物工場に植物の生育を促進する製品を売り込みに行ったのですが、実際に見ると、植物への尊厳が全くなくて、売り込む気持ちがなくなってしまいました。

今、田舎暮らしで畑を始めましたが、毎日植物が育っていくのを見て、
植物は生きてるなあ
と実感しています。

人間が、他の生き物の尊厳を無視して、自分たちの都合を優先しすぎているなと思います。

こういった行き過ぎた人間の行動も、自然淘汰される原因なんだろうなと思います。

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