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エレガントに置いていく

最近ずっと心の中に引っかかっている感情があります。

「何かを置いていく時が来た」

というものです。

今日もその感覚に包囲されてしまいました。

「それ」を置いていく哀しみの涙が出てきます。

でも決して「悲しみ」ではないのです。

「それ」が一体なんなのかさえ分からないもどかしさ。

まるで気球の重石を一つ手放して未知の世界へ飛び立つような感覚です。

今までその重石は私の安全を守ってくれました。

いざという時は地上に戻ることもできます。

でも。

いよいよ最後の重石を置いていくタイミングのようです。

「置いていくもの」

が一体何なのかと思考を巡らしてみると

「音楽」

なのなかぁと思いました。

温まる〜。新生姜とホットりんごジュース


私は若い頃からの夢があって、

「ツアーミュージシャン」

「サポートミュージシャン」

になりたいと思っていました。

固定のバンドではなく、いわばフリーランスのミュージシャンです。

どんな音楽にも精通して初対面でのチームワークに順応できるコミュニケーション能力や柔軟性に長けている。

なによりも演奏技術の職人でいなければならない。

そんな存在に憧れていました。

でもそれは「体験してみたい」というもので、一度経験したら満足する程度のようにも思えます。

たまにこんな風景が浮かびます。

大ホールの舞台の下でメンバーと円陣を組んで気合いを入れる。

舞台へ登り、そこからは誰も助けてはくれない自分との戦いが始まります。

スポットライトが当たるとお客様の顔も様子も一切見えない空間。

見えるのは目の前の楽器と楽譜。
そして遠くに見えるメンバーたち。

ある種の孤独感に耐えながら、でも、メンバーと空間で一つになるあの感覚。

ドラムのカウントが鳴ると集中力マックス。

ミュージシャン全員の息を合わせて大音響が鳴り響く中、幕が上がっていく...

(あぁ、これを書いていてもゾクゾクワクワクする〜)

若いころはこの内容に付け加えて

「ツアー先の美味しいものを食べる」

という希望のほうがダントツでしたけどね。

ですが、地方にて小さいなりに私が音楽に携わってきた中、ライブ本番が始まる直前のドラムカウントが鳴る興奮のほうがやみつきになってきました。

そんな瞬間を大きな舞台にて体感したい。

まぁ、そんな夢を持ちつつ10代の頃から何にも行動はしてないんですけど、、、。

理由は電子楽器が(の配線や操作)苦手なのでキーボード奏者としては致命的なこと。

小さなライブでさえも自分で書いた配線図と格闘し、せっかく頑張ったメイクも本番前には汗でドロドロ。

小柄な私には大きな楽器を持ち運び、セッティングするのは本当に大変です。

シンセサイザーの操作も心底ストレスでした。

かと言ってツアーミュージシャンが出来るほどの生ピアノの腕前もなく

(生ピアノはセッティングのストレスがない)

「ダメだぁ〜こりゃぁ」

チャンチャン。

と妄想は終わってしまうのでした。

(何もかもセットされた状態でお姫様キーボーディスト枠、もしくは機械オンチ熟女枠があったらいいのに!)

対面で握ってくれるのよ
タラコと塩むすび


で、何の話でしたっけ?

そうそう、「置いていくもの」でしたね。

この哀しみは音楽から離れることを意味しているのかなぁ??

となんとなく思ったのでした。

現役は数年前に完全に辞めたし、それ以降もたまに小さな肩掛けのキーボードを弾いただけ。

そのキーボードも昨年売ってしまいました。

だから今の私は全く演奏には関わっていないのです。

ですから「置いていく」も何も、とっくに置いていったじゃーん。
という状態なのでした。

なのに??

なぜか?

「しばらく音楽を置いていく」

ような哀しさと涙を結びつけてしまうのでした。

数日ぶりのコーヒーはマイルドに感じた
クレカのポイントで飲む楽しみを選択


コーヒーを飲みながら涙が出てきて大変でした。

(首からタオルぶら下げて草取りおばちゃんとして汗を拭くフリをしながら涙を拭きたかった)

夏の終わりの暑さと秋の気配がする中、センチメンタルな心を抱えたままに家には戻りたくない。

そのまま散歩をしました。

私が大好きな庭です。

もしかして、こことのお別れなのかな?とも思って確かめに行きました。

(結果、そんな感覚は一切なくてホッ)

わーい。今日は公開中だ!
どれどれ秋の気配はあるかな
1本拝借してペペロンチーノに入れたい
(っていうかコレ唐辛子なの?)
お花がツボミの冠かぶってる
色とりどりの実がかわいい
色あせたセピア。美しい。
道標があるから信じて進んで行こう
この枯れた色!風情があっていいなぁ

音楽と私の手の爪は常に結びついています。

「爪を伸ばしたら演奏は出来ない」

「爪を短くしておけばいつでも演奏が出来る」

いつなんどき

「ピアノが弾きたくなる」

衝動にかられた時の準備として、短い爪の時期にはどことなく安心していました。

そして、ついに今月、ピアノスタジオへ弾きに行こうと決心したのですが、、、

あらまぁ。

スタジオを探している間に気分が萎えるじゃありませんか。

そんな状況が続いていました。

(一体どっちなの?とりあえず行って、弾いてみれば自分の気持ちが分かるじゃないの!さぁ、いけー!)

私の人生で何度も近づいては遠ざかる音楽とのつながり。

今回は近づいてきたかと思ったら身体を通り抜けていきました。

明後日は手の爪を伸ばすためにネイルサロンにて整えてきます。

その予約をした時から心がより一層ザワつきました。

(本当に伸ばすのね?いいのね?ピアノは弾けなくていいんだね?)

寄せては返す心の声。

ピアノスタジオ行こう、

あ、予約が埋まってる、

あぁ、手の爪が日に日に伸びてくる、どうしよう、、、

(爪切りで切れば済むことですが、不器用な私にとって美しく切ることや伸ばすことはとても大切なことなのです。プロの手にお任せしたいのよね)

そして。

いよいよ答えが出ました。

「このまま手の爪を伸ばしてエレガントな形にする」

「音楽はやりたくなった時点で体が勝手に爪を切るに違いない」

とりあえず「今現在」の心境をここに綴っておきたいと思いました。

(気持ちは変わるからね)

家計簿/手前はレンコン


私の行く道が日に日に明確になってきています。

「困っている人がいない地球」

に喜びと共に貢献すること。

何百年後かもしれないけれどその道筋作りに関わりたいのです。

そのルートも明確になってきました。

エレガントな美しさを磨くことで何か出来ることがあると。

お金に困った経験と、女性として磨いてこなかった経験がある私にしかなし得ないことがあるんじゃいなか。

そんな風に思えてきたのです。

そのための1歩が手の爪を伸ばすことです。

なんだか大袈裟に聞こえますでしょうか。

たかが爪。

されど爪なのです。

昨年まで伸ばしていた秋冬と今シーズンの伸ばす爪はまったく意味が異なりました。

光の存在たちに祈りました。

(どうぞ私を用いてください。おまかせいたします)

さぁ、どんなインスピレーションがやってくるのでしょうね。

体が温まる〜。生姜と熱々りんごジュース
夕方近く急に部屋が真っ暗に。
フラッシュをたいて撮影

長い日記だなぁ。

ここまでお読みくださりありがとうございます。

私は今日もエレガント。

アレレ?今日は滝の水が出ていないのね
(上の十字架とのアングル大好き)

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