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ミニマリスト。大きな一区切り。

タイトルの写真は2018年に当時80歳の母と行ったハワイでの一コマです。

スタバで飲み物を買い、砂浜で海を見ながら(鳩を見ながらだね)ボーっとしていたシーン。

あれから5年が過ぎました。

今日は母を連れて司法書士さんのところへ行ってきました。

母からギフトを受け取るための手続きです。

「生前贈与」です。

今日はその書類が出来上がったとのことで母と私が署名&押印しに行きました。

私は朝早く新幹線に乗りました。

蕎麦が食べたいという母からのリクエスト。

到着駅のコンビニでお蕎麦やお菓子などをたくさん買い込みます。

母がいる「サービス付き高齢者住宅」へ向かいました。

母の部屋で一緒にお昼を食べました。

「あぁ、蕎麦美味しい」

という言葉を聞いたら私の疲れが少し吹き飛びました。

(私は数日前から色々と神経を使いヘロヘロ状態)

「実印持った?」と私。

「持った」と母。

1番大切な持ち物なのでこれだけは2〜3度確認しました。

遠い場所へタクシーで向かいます。

タクシーの運転手さんも迷うほどの場所に事務所がありました。

着いたとたん母も私もグッタリ。

(こりゃ書類を説明されても頭に入る自信ないわ)

結局、難しい説明はありませんでした。

簡単な文章1枚。
契約書のようなものにお互いに署名押印をしました。

あとは「遺留分ナントカ放棄」に私のみが署名します。

(母が亡き後の財産分与権利は放棄します的なもの)

これを裁判所へ送り、承認されたらいよいよお金が振り込まれるとのことでした。

放棄を承諾した理由は、母が亡き後に兄とは話し合いをしたくないから。

この自分の気持ちを大切にしました。
(もちろん葛藤はありましたけどね)

そうです。

私はここで家族との問題に大きな

「一区切り」

をつけることにしました。

それは自分自身への「一区切り」です。

「兄一家とは、この先縁がなくても別にいい。天にお任せ」

というスタンスにしました。

「生前贈与」を受け取る大きなタイミングにおいて、綺麗サッパリと肉親との問題から離れる決意をあらたにしたのです。

家計簿。カードのポイント¥600使えた


帰りに母とパフェを食べました。

私が

「美味しい」

と言ったら母も

「これ美味しいね」

その言葉を聞いてまた私の疲れが癒されました。

母との会話はどんどん噛み合わなくなってきています。

というよりもキャッチボールが上手くできなくなりました。

(自分が話したいことだけ一方的に言うことがどんどん増えてきている)

耳もかなり遠くなっています。

自分の日常を話したり、同じ施設にいる人たちの特徴などを教えてくれるのを私は聞いているだけ。

(母は人間ウォッチング好き)

私が母に老いを感じていない部分があります。

「人間ウォッチング」と

「支払い」です。

これは本当にたいしたもんだと感心してしまいます。

食べ終わるとすぐにお財布を出して「いくら?」と聞いてきます。

もちろん私の分も出してくれます。

今日はさらに3万円を出して

「はい、交通費」

と言いました。

(おぉー?!や、、、やったー!)

「すごいね!まさかくれると思わなかったよ。ありがたく頂戴しまーす」

私はテンションが上がりました。

(そりゃそーだよね。グリーン車に気兼ねなく乗れるもん)

母曰く、自分で縫った袋に入れて準備していたとのこと。

そう。

母は支払いに関していつも

「行動が早い」

のです。

なんでも相手に頼りっきりになる性分なのに支払いだけはリードしてくれます。

今回の生前贈与も母が自ら考えて、専門家に頼むことにしました。

そして「スッキリした」と言い、
とても穏やかになってきています。

そこからは頭のネジが何本か外れたように、どんどん色んなことを忘れていくようになりました。

例えば、タクシーの会計時はサッと自分からお財布を出し運転手さんへ渡します。

でもお釣りのことは忘れて「降りる」ことに集中。

私がお釣りを受け取り、渡すと

「ナニこれ?」

「タクシーのお釣りでしょ」

「いくらだったんだっけ?」

(わ〜キタキタ、、、こうやってボケていくのかもなぁ〜)

この他にもたくさん色んなことがあり、私をハラハラさせました。

東京へ戻って帰宅の電話を入れました。

その時、母はこんなことを言い出しました。

「私、色んなことを忘れているみたい。振り返っても思い出せないことがたくさんあった」

「そうだね。ずいぶん年寄りになったね」

と私も正直に言いました。

私へあげる贈与金額も忘れてしまったと自分で笑っていました。

「そのくらい忘れるぐらいがお母さんにとってちょうどいいよ。どうせ余計な心配ばかりしちゃうんだから」

と私が言うと安心した様子でした。

でも司法書士さんへいくら支払うのかはちゃんと覚えているのです。

(げ!そんなに高いの?)

神さまはすごいなぁと思いました。

物忘れは都合よくその人に合わせたように采配してくださるのだと。

母からどんどん不安や心配を取り除いてくれているように思いました。

それは同時に私からも不安を減らしてくれていました。

こんな嬉しいことも言ってくれました。

「自分で縫った袋に交通費を入れて用意していたのに、すっかり忘れて袋から中身だけを取り出して渡してしまった。
本当はもっと多くあげたかった」

母の言葉と心に私への感謝のようなエネルギーを感じました。

(母はお迎えが来るのが近いのかもなぁ)

(いや、待てよ。私のほうだったりして??)

お互いに暖かく「ありがとう」と交わし、電話を切ったあとも気持ちの良い余韻に浸りました。

私はゆっくりと瞑想をして今回尽力してくださったご先祖さまへもお礼を伝えました。

今後しばらくの間、私は生活費の煩わしさから解放されます。

東京駅で色んなお店を目にしては、

(アレも買えるしコレだって買える人生になるんだよなぁ)

と、不思議な気持ちで眺めました。

高級スーパーも立ち寄ってみました。

何か自分にお祝いでもしようかなと物色します。

結局納豆巻きを買いました。

映えないアングル


私の物欲はしっかりと健全なものへと変わっていたことに気がつきました。

(うん。本当に欲しいものを買えてきている)

これから生活費のストレスがない分、どんな暮らしが待っているのでしょう。

どんな私になるのかゾクゾクするような、妙に気が引き締まるような感覚すらしました。

だって本当の自分軸で生きることになりますから。

「生活のため」

「節約のため」

「○○のせいで」

という言い訳が出来なくなります。

(とにかく今の私は1に瞑想、2に瞑想だなぁ)

出来る限り心を整えて、素直に喜ぶ準備をしよっと。

私は今日もエレガントに生きています。

納豆巻きの切り方が雑になってしまった

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