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フリーランスプログラマー ながおかさんの場合

取材:2024年3月

<最終学歴・職歴>

2006年3月 金沢大学 法学部卒業
2006年4月 ロボット製造会社入社 総務課 社内報担当
2012年  ロボット製造会社退社
2012年  地元出版社入社 プログラマー、システム担当
2018年  地元出版社退社
2018年  フリーランスのプログラマーとして開業



<就活時代>

現在プログラマーなので、法学部卒と言うと驚かれることも少なくありません。

法学部に4年ストレートで通って、就活か進学か、というタイミングで、私の卒業の年に法科大学院ができることになりました。大学院に行く金銭的余裕もなかったので、就職することにしました。
※司法試験を受験するためには、法科大学院の課程の修了又は司法試験予備試験の合格が必要。

就活の軸は、Uターン就職しようかな、くらいでした。でも、実家に帰りたくはなかったので、地元には戻らない。というわけで、出身県の県庁所在地で探して、何社も落ちました。

志望業界も特には決めていませんでしたが、メーカーがいいかなぁとはぼんやり思っていました。唯一ロボット製造会社が拾ってくれ、就職が決まりました。

<職歴1 ロボット製造会社総務課にて社内報担当>


私が入社したロボット製造会社は規模の大きいしっかりした会社で、「入れてよかったね」と言ってもらえるような安定した会社でした。

そこの総務課に入って、社内報の担当をしていました。社内報で編集系のスキルを社内で鍛えてもらって、IllustratorやPhotoshopを使ったのもその時が初めて。写真の撮り方も、社内の上手な人に教えてもらいました。

あと、研修の一貫として、生産管理や製造部、営業など、半年ずつくらいトータル約2年かけて全部の部署を回りました。総務だから、会社全体をわかっている人がいたらいいなという意図だったのかもしれません。

それで、生産管理にいた時に、生産管理システムを触る機会があり、それがプログラミングとの出会いになりました。ど素人の私を、その時の部署のみんなが優しくて熱心に教えてくれました。勉強会まで開いてくれて。本当にありがたかったですね。

プログラミングのおもしろさに目覚めて、自分で勉強するようになり、在職中に情報系の資格をいくつか取りました。

そうこうしているうちに、転職しようかな、と思うようになりました。理由は主にふたつ。

ひとつは社内結婚が決まったこと。ふたつめは、Webやプログラミングの仕事をもっとやりたくなったこと。それで、転職したのが地元出版社でした。

その当時、私が住む地方都市でもIT系の勉強会がたくさん開催されていました。私も、よく勉強会に行って、IT業界の先輩の話を聞かせてもらいました。その時に地元出版社がプログラムを組める人を探しているよ、と教えてもらって、受けたら採用になりました。

<職歴2 地元出版社でプログラマー、システム担当>


転職前、それなりにIT技術の勉強も準備もしていたのですが、PHPというIT業界の人は触る言語を、私は1行も書いたことがありませんでした。それまで勉強していた知識と、理屈はある程度共通しているので、入社して仕事しながら覚えて、なんとか踏ん張りました。仕事しながら習得できた環境はありがたかったし、強いです。みなさんにすごく助けてもらって今の自分があります。

入社してしばらくは、主に外注のWebサイト構築や行政依頼の仕事を担当していました。2年経ったころ、社内の体制変更があり、そのタイミングで、私は社内媒体のフリーマガジンの担当になりました。

思い返すと、やっぱり自社媒体の仕事は楽しかったです。自分で工夫したり、試行錯誤したりできるところがいいですね。

2〜3年経ったころ、自社媒体のメンバーを刷新しようという話が出て、私はまた外注担当に戻ることになりました。

自社媒体担当から離れてみて、自分がどんなふうに仕事をしたいのかについて改めて考えるようになりました。そして、フリーランスになったら、アイデアを出して、作って、効果測定してまた工夫して…というサイクルを自分で回せて楽しいのでないか、自社媒体で培った特技も活かせるのではないかと考えるようになりました。

当時はWeb関係の仕事が上り調子で、みんな忙しそうにしていました。「連絡してくれたら仕事あるよ!」と言ってくれる人もいたので、これならなんとかフリーランスでやっていけそうと思えるようになりました。

退職を決意して、「もう辞めます」と言った次の週くらいに妊娠していることが発覚。その時は「ややこしいタイミングで辞めるっていっちゃったな」と思ったのですが、あとになって考えたらこの時期でよかったのかもしれません。

<職歴3 フリーランスのプログラマーとして開業>


地元出版社を辞めた当時、IT業界は特に景気がよかったので、辞めてすぐから仕事をくれる人がいて、産前の1年はかなり仕事をしていました。

生まれるまでの1年間、フリーランスとして仕事ができたのは本当によかったです。この1年がなかったら、たぶんフリーランスとして今やっていけていないと思います。

第一子を出産後も、業務量を調整しながら、途切れなく仕事をしていました。産前の1年より当然売り上げは下がりましたが、途切れなく受注することだけを考えていました。

仕事が私一人で回らない時に、別の会社やフリーランスの方々に手伝っていただけたのは本当にありがたかったです。人のつながりのありがたさを痛感した時期でした。

そうして続けていると、既存のお客さんが新規の仕事を回してくれたり、新しいお客さんを紹介してくれたりするようになります。これもありがたいです。

浮き沈みはありながらも、フリーランスになって6年経ちます。

第二子を妊娠した年の売り上げがとてもよかったんですが、産んだあとに、上の子が1ヶ月入院して、その年は全然稼げませんでした。この時、断ったり、連絡を入れたりしたお客さんみなさん、優しくご理解くださって、今でもつながっているのがありがたいです。

私はもともと実家が自営業でした。フリーランスになっても抵抗が少なかったのは、その影響もあるのかな、と思うことがあります。「暇な時は暇だし、しかたがない」と思えるというか。そのイメージのない人がいきなりフリーランスになったら、もしかしたら、暇な時間に焦ってしまうかもしれませんね(笑)。

今、売り上げも安定してきましたし、仕事の内容やスタイルにもおおむね満足しています。それゆえに、現状維持の気持ちになっているんです。でも、2年前にECサイトのシステムを勉強したことが、今仕事になっているので、今年はまたなにか新しいことを勉強した方がいいだろうとは思っています。だからといって、なにをしたらいのか見当がつかないのですが。

そんな自分を鼓舞するために、時々わざわざSNSを見に行ってみることがあるんです。最新技術についての投稿や、勉強熱心な同業者の投稿を見て自分を焦らせるんです。現状に満足できていること自体は、本当にありがたいことです。でも、フリーランスプログラマーとして、もうひとつなにか新しい強みを持ちたいなと考える日々です。

<スキルや学歴や年齢関係なく(18歳くらいに戻ったつもりで)、これからやってみたい仕事>

フルートの演奏家です。

フルートは小学校から高校までやっていました。実は今でもときどき、入れそうな吹奏楽団がないか調べています。もしチャンスがあるなら、もう一度始められたらいいかも…と思っています。

今の仕事のつながりでいくと、海外で仕事したいかなって思うことはあります。夫の会社が、東南アジアに事務所を作るかもしれない、という話があって、子どもも連れて、海外に行ったらどうなるかな?と想像して勝手にワクワクしています。


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