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「山形の3.11」を伝える

大学時代、震災について尋ねられるのが苦手だった。 トラウマで思い出すのがつらい、とかではない。 「山形の震災」が、なんとも語りづらいからだ。 東日本大震災に関して、山形はきわめて微妙な位置にある。 長く大きな揺れ。停電。眠れないほど繰り返す余震。 言うまでもなく、怖かった。中1の私にとって、まごうことなく人生で一番の恐怖だった。 けれども、建物の倒壊や火災などはほぼ無かった。数値上、山形県の最大震度は5強。私のいた山形市内は、震度4だったという。電気も翌朝には復旧し、津

    • 共感恐怖症が教員になる前に

      教員採用試験の勉強過程で、最も多く目に・耳にした言葉の1つが「共感」だったように思う。 「共感的理解」「共感的な人間関係」といった定型句があるくらいだ。特に教育相談や生徒指導に関する本や記事には、ほぼ確実に「共感」の2文字があった。過去の作文や集団討論のテーマにも、しばしば取り上げられている。 私は、共感という言葉が苦手だ。 きっかけは、自分の中でかなりはっきりしている。 2年半前、失声症になったことだと思う。2ヶ月間、筆談で生活した。毎日それ用のメモ帳を持ち歩き、人前

      • 好き語り① 食べ物のこと

        もっと軽率に文章を書きたくてnoteを始めたのに、長文を数個書いたがために、ぼんやり何か書きたくなっても書けなくなっていた。そんなわけで、好きなもののことを書き散らしてみたい。好きだけど、自己紹介で語るほどでもなかったもののこと。 今日は、食べ物から3つ。7・8人に1人くらいには共感してもらえる気がする。 1.おでんのだし巻たまご おでんの具で一番好きなのは、当然(とは)大根なのだが、二番目を挙げるなら確実にだし巻たまごだ。だが、哀しいことに、おでんの具としてだし巻たまご

        • 「なんとなく」関わって、分かったこと。

          先日、こちらのイベントの企画運営に携わった(公務員ブロガー 納翔一郎さんの記事より)↓ https://naya0708.hatenablog.com/entry/2020/08/05/214744?fbclid=IwAR2ye6PP8BtWdG8_K-cYzA-cUkY3_FEZWdur_gzNHv00HVzpVIMziwoPwsA 全国の公務員による、大規模なオンライン交流会である。 3月に行われた前回、たまたまご縁があり誘ってもらったのが関わり始めたきっかけだ。“教育

        「山形の3.11」を伝える

          聴き手と私 -その2-

          前の記事(↓)に続き、合唱の“聴き手”に対する意識の話。 https://note.com/kinako80618547/n/n79e66bf9162f 3.聴き手と「私」 高校では、聴き手そのものの認識というよりも、聴き手と自分との紐付け方が変わったと思う。 進学した高校の音楽部は、所謂「弱小」で、正直聴くに堪えない演奏を人前で披露することも少なくなかった。責任代になってからは、指導者が変わったり(というかいなくなった)、思い切って諸々体制を見直したりがあって状況は幾分

          聴き手と私 -その2-

          聴き手と私 -その1-

          教採を控えているのもあって、ここ2ヶ月ほど、これまでの自分と合唱との関わりを改めて振り返った。 団に所属する形で合唱に取り組み始めたのが小4の時。大学4年の1年間を除くと、12年間何らかの形で歌ったり、指揮を振ったりに携わっていた。時間に比例して、とは言わないが、やはり合唱についての考え方も、それとの関わり方も、ひいては関わった結果としての私自身も、それなりに変わってきている。 その一つに、“聴き手”の存在に対する意識、がある。これは、この2ヶ月で振り返るまであまり意識して

          聴き手と私 -その1-

          「新しい生活様式」から考える言葉の魔力

          「新しい生活様式」なる言葉が世に生まれてから、約1ヶ月がたつ。 緊急事態宣言の段階的解除が始まったこともあり、ここ最近ますます耳にすることが増えた。「新しい生活様式の実践例」、などという言い回しも目に付く。 初めてニュースで聞いたときから、とても違和感があった言葉だ。 直観的にまず思ったのは、 「生活様式って、作ろうと思って作れるのか?」 と、 「『生活様式』の『実践』ってコロケーション、気持ち悪い」 だった気がする。 しばらくたって、この言葉に対する当初の直

          「新しい生活様式」から考える言葉の魔力

          名前の無いnote

          最初の記事に何を書こうかな、と考えながら、そもそもこのnoteをどう使うか、いまいち決めきれていないことに気が付いた。 書きたいこと、言語化してみたいことがいくつかあるのだが、いかんせんばらばらなのである。ジャンルとか視点とか、一貫したもので今浮かんでいるものたちを括れそうにない。 何なら、書式もこのままだとばらばらだ。日記めいたもの、本や曲の感想や分析、報告、エッセイ…どのみち多くの人の目に触れることは考えにくいとは言え、コンテンツとしてあまりに一貫性に欠ける。 どう

          名前の無いnote