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わたしたちはコロナウイルスからどんな影響を受けているか?

コロナは私たちに災厄ばかりをもたらしたかというと、そんなことはないと思う。時代が強制的に変化し、今までの常識が通用しない世界が到来した。

仕事においては有無を言わさずオンラインとなり、一瞬、zoomを使えないおじさんたちがビジネス界から物理的に姿を消した。これまで上座に座り、少し偉そうに威圧感をふりまいていたおじさんたちが消えたのだ。

仮にzoomを使えたとしても、ネットの世界では等しく小さな長方形に閉じ込められてしまう。しかも、WEBカメラが古い、回線が不安定などの条件下では、写りが悪くなりますます存在感がなくなる。これが私には小気味よく、下克上が起きているようで嬉しかった。

また、対面で様々なことがおこなえなくなったことで、これまでのセオリーが通用しないという状況も生まれた。いわば定石や正解というものがなくなってしまったのだ。

それにより、「俺はこうした」「私の時代はこうだった」「こうするのが当たり前だ」というドリームキラーが威力を失った。同じ苦労を味わえ、背中を見て育て、というのが難しくなり、一旦リセットされたのだ。

私はどうも、年齢や経験を笠に着て、威張る人が嫌いなようだ。このコロナの一件で、これまでずいぶんと「無言の圧力」や「他人の不機嫌さ」に振り回されてきたということに気づいた。

いろいろな人がいるし、それはそれで仕方がないと思っていたが、いざ前提としてそういう人が威力を発揮できない状況となると、「わーい!」と喜んでいる自分がいた。

だからといってネットに詳しくない人が消えてしまえばいいと思っているわけではない。経済的困難からインフラを活用できない人たちが、教育の現場から取りこぼされている状況には忸怩たる思いがある。

しかし、年長者や日頃偉いと言われている人たちが、どのような態度で、どのような行動を起こすか、そこには大変興味がある。なぜならこういうときにこそ、その人の本質や人間性が見えてくるからだ。



先日、70代の一人暮らしの友人から「zoomを教えてほしい」と連絡がきた。その彼女は携帯・スマホは持っておらず、PCと電話を普段の連絡手段にしている。メールでインストール法を伝え、日時を設定してzoomのテストをおこなった。

しかし映像が映らない。PCにWEBカメラがついていなかったのだ。私はWEBカメラを調達することになり、カメラの設置は日頃行き来のあるマンションの住人がやってくれることになった。この住人は上の階に住んでいるシングルマザーで、友人がマンション理事を退任する際に一本釣りで声をかけたのがきっかけで仲良くなったそうだ。

シングルで一人暮らし。このコロナ禍で不安なこともたくさんあるだろうけど、謙虚に教えを請い、垣根なく人に声をかけて人間関係を作っていく姿に、彼女の底力を感じた。


また別の場面ではこんなことがあった。私は大学の非常勤講師をやっているのだが、今回のコロナ騒動ですべてがオンライン化し、教員側も大混乱に陥った。そこでzoomの使い方を学ぶ自由参加のミーティングがおこなわれたのだが、なんと偉そうな人が多いことか!

質問の仕方が「〜してもらえないんですか?」「これじゃこまるんですけど」と不満ばかりを述べる人。他の参加者のことは考えずに、自分のPCの操作方法を永遠と質問し続ける人。急に「個人情報を守るために学生には常にビデオをオフにしてもらうべきだ」と持論を展開する人。こんなにいっぺんに、偉そうな人を大量に見たのは初めてだったので、面食らった。そして、こんな先生たちに教わる学生が気の毒になった。

なまじzoomを使えると、このように偉そうな人が他者の時間を奪うということも起きるのだなと勉強になった。

今回のコロナは人間性をあぶり出すフィルターの役割があるように思う。私自身も傲慢にならず謙虚に生きていきたいと強く願っている。

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