そこに私の気持ちはない。
すばらしい話があふれているように思う。
SNSでも、
ニュースでも、
友だちとの会話でも、
賞賛されるべき話しかできないような雰囲気、ない?
だけどね、
どんなにいい話でも、
「そこに私はいるのかい?」的な気持ちになったら、何も頭に入らない。愛はあるのかい(アイフル)
すばらしい話が進めば進むほど、
相手のことが嫌いになり、
自分のことがかわいそうになり、
それが言えなくて、夏。
今日はダジャレが出てくるね。なんで?
この話はね、
昨日、友達と話していて出てきたフレーズなの。
「そこに私はいない」って。映画のタイトルにもなりそう。
「仕事と私、どっちが大事なの」
「どうてもいいよ、そんなこと」
「知らんし」
「どっちでもいい」
「・・・」(無視または言葉にしたくない)
ぜーんぶ、「そこに私の感情は考慮されていないから、その話はもう聞きたくない。その話についてがんばって頭を使って進めたくない」なんではないかと。
どうかな?
だからね、
コミュニケーションとかさ、
いろいろ学ぶってことが増えてるけどさ、
つまりさ、
「私は、あなたのことが好き」
だから、話したい。伝えたい。会話のきっかけで、この話を持ってきているんだってストレートが一番いいんじゃね?(誰に言ってるのかな)
それが伝わらずに、「こんなにすごい人がいてね」「こんなに素晴らしい商品があってね」だと、ぶあつい壁ができちゃって、なんも伝わらんのよ。
コミュニケーションで学んで、これだと思うのは。「何を伝えたかじゃなくて、何が伝わったか」それだよね。相手が悲しくなったら、私の会話の中に「相手を置いてなかった。自分を置いてた」
反省と未来のために書きました。
ありがとうございます! ひきつづき、情熱をもって執筆がんばりますね!