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「梅の湯の思い出」 twitterと日常-ビールとケーキ-7月30日

7月30日

朝、晴れ。最近雨が降ってない。

起きてから液タブに「おはよう」と言った。大好きな細野晴臣さんがラジオて、「ギターを弾けなかったときにギターに毎日挨拶していた」と聞いたことがあった。

私も描けない時に、やってみることにした。

なんとなく撫でながら。液タブが猫になる。

文が書きたくなり日記用に写真フォルダーをみていて、保存してた銭湯の梅の湯さんの写真が目に入る。

1日前に火事で燃えてしまった。
写真に入り込んだ桶を持って笑顔で出てくるおじいちゃん2人をみると、ため息が出た。

私は数年前手術したのだけども、その前に検査のたびに結果が悪くて凄く足取り重くなり。

銭湯に入ってから、目の前にある餃子屋さんgyozastand mikiyaさんのルーティンで気分を入れ替えていた。

その後は体調がよくなり、色々な友達と、銭湯+餃子の会をして風呂上がりの焼き立て餃子を食べた。誰もが皆「最高〜!」とキラキラとした笑顔で喜んでいた。

曖昧な記憶になりつつある梅の湯さんの記憶をこの日記に書いておくことにした。銭湯は梅の湯というだけに、ピンクの壁に松の木がのぞいてた。

大きな宮造りの銭湯だった。

宮造りの銭湯は、関西で観たことなかったので不思議でしたが、昔テレビで、関東大震災の復興期に宮大工さんが人々への励ましとして、唐破風様式の豪華な銭湯となっている。と聞いた。

私も凄く誇らしい気持ちで銭湯に吸い込まれるので宮大工さんごと自分への応援団みたいで、それが嬉しかった。

番台は昔ながらの木の作り。男女の間に座るタイプ。

脱衣所には、大きな鏡があった。年季があった。ものが少なく綺麗で広々していた。

ボディーソーブは番台の人に頼めば無料で借りれるのが、聞かないとわからないことが裏メニューのようでした。

お風呂に入ると天井が高くて『あんなに高い窓をどうやって開けたり、掃除したりしてるんだろう?』と思ったり、『いつか私が壁に絵をかけたらいいのに』と大きな壁を眺めてた。日がある時間は、水辺は煌めく海のよう。

お湯の温度が好きだった記憶。これも他の銭湯と記憶が混じって合成になってる気はする。

出たら座りながら手ぶらで乾かせる昭和の名ドライヤー(名前不明)
くるくると髪の毛が逆毛になってまわるので、この景色はホラー漫画みたい。友達も私も大笑い。

脱衣所に恐らく鯉とかもいた。中なのだけど、引き戸を滑らせてあけると半分外みたいな場所。そこで火照った身体で涼んだ気がするのだけど、他の銭湯と記憶が混じってる気はする。恐らく喫煙所でもあった。

ここまでしか記憶にはない。何回行っても沢山モノをみながら生活してる私でも記憶は曖昧に残るものだ。

勝手な願いかもしれないけれど、復旧してほしいな。と思った。ご近所さんにお伝えにいくつもり。何かできないだろうか?と。

今は関係者の方が落ち着いた日々に戻るまで、今までの感謝を綴るしかないとは思う。

そんなことを考えてから、仕事のやりとりのあと、twitterをみてて、寺尾紗穂さんが「半蔵門で20時からライブします。プールもあるよ!」と書いてた。

写真をすぐにプールの写真をみたら、ナイトプールみたいな印象。部屋の中にプールがあるみたいだ。
水に浸りながらの寺尾紗穂さんの音楽が染み込むのね。と思うと、行こうか迷ってしまった。水着もないのに。

あ、明日の詩の会のために詩を選ばないといけない。本も読みたい。また自分の特性について調べて資料にしたり、

絵も描きたい。扁桃腺がすごく腫れる。扁桃腺が昔から腫れやすくて、多分熱が出るかな。


まだ元気なうちに今日の夢を脳みそのトランクへ

寝ながら詰めてる。

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