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あはき教育における臨床実習のあり方を考えてみたら、こうなった話

いきなり「あはき」と言われても何?という方がほとんどでしょう。
あはき=あん摩・マッサージ・指圧、はり、きゅうのこと。あはき教育とは、鍼灸マッサージの専門学校(または大学)で行われている専門教育のことです。

さて今回は、臨床実習を担当していて接した学生の声をもとに感じたこと、私自身の経験に紐づいて考えたことを記します。


徒手療法教育の原点と限界

これまでに、鍼灸・あん摩マッサージ指圧師の養成機関で指圧やマッサージの授業を受け持ったり、一般向けの講習会では助産師や看護師さん、一般の方で健康や体のことに興味ある方を対象に骨格調整などを教えてきました。

マッサージの臨床実習を担当するようになり数年が経ちます。

ある日、学生と話をしていて
「授業ではあん摩やマッサージの手順しか習わないのに、3年生の臨床実習でいきなり徒手で治療と言われてもできない」
「どうしても慰安的なマッサージで終わってしまう」と言われたことが、このnoteを書く発端です。

このように話す学生がいて、確かにその通りだなと感じました。
鍼もきゅうもマッサージも(ほかに療術と呼ばれるものも)昭和の終わり頃までは、落語界のように徒弟制度が中心でした。いわゆる師匠に弟子入りするということです。

それが免許制度になり、国家資格になり、教育機関で教えるという形態に様変わりしたことで得られたもの、失ったものがそれぞれにあると感じます。
事実、私が専門学校に在学していた1990年の終わりでも「弟子入りしている」かたちで働きながら通っているクラスメイトがいたことを覚えています。

あはき教育の臨床実習はどうなっているのか

さて、あはきの臨床実習がどのように行われているかというと…

①学校の臨床実習施設で学生が施術をする
②学外の治療院に行き、現場を見学する

大きくこの2つに分かれます。
そこから先、割り当てられているのは一定の時間数(単位数)であって、具体的な指導内容は各学校に一任されています。

学内実習の一例として、
・3年生になると近隣の住民の方を対象に施術します
・2年生は次年度の準備として3年生が行っている臨床実習を見学します
・教員は臨床実習の現場に立ち会い、学生にアドバイスを行います
…このような流れで、一人の学生が卒業するまでの間に数人~十数人に施術を行うケースがあります。

もちろん、ほかの医療従事者と同様に1年生、2年生のうちに解剖学や生理学の基礎医学を学びますし、基本的な実技(はり、きゅう、マッサージなど)の授業を通して施術の型を身に着けます。

そして、2年次の終わりまたは3年次のはじめに【医療面接】を行います。
医師が問診をしたり、理学療法士が検査法を行ったりするのに準じる形で、所見を取り、徒手で検査を行い、相手の体の状態を理解するよう努めます。
そして、患者さんの状態に応じて症状の緩和、改善を目的にはり、きゅう、マッサージの施術を行います。

4月、5月の頃には覚束なかった患者さんへの立ち振る舞いも、秋風が吹く頃にはすらすらと習った言葉が出くるようになり、そつなく立ち回りができるようになってきます。

なかには「いや~腰がすごく楽になったよ、ありがとう」と言われることもあり、学生は患者さんの言葉に一喜一憂しつつ自分の施術を振り返る材料にしています。
もちろん習得度は学生によって個人差があるため、そこから先は教員の指導力に委ねられています。

そこで出てくるのが前出の会話、
「授業ではあん摩やマッサージの手順しか習わないのに、3年生の臨床実習でいきなり徒手で治療と言われてもできない」
「どうしても慰安的なマッサージで終わってしまう」
という前向きな課題です。

言い換えると、胸を張って【はり、きゅう、マッサージで症状を改善できた】と言えるまでになっていない…ということになります。
それは、学生のうちは仕方ないのでしょうか。もしそうだとしたら、学生のうちに何をどこまでできるようになって卒業していけばいいのでしょうか。

私自身を振り返っても、徒手療法はまずは手順通りに覚えることから始まりました。

一定の手順を覚えて、その先は型を繰り返すことで上達する

この旧態依然とした、弓道や茶道にみられる極めて日本的な【型の稽古】からどうやって脱却すればよいのでしょうか。

ほかの医療従事者はどうなっているのか

厚生労働省認定の国家資格に限って話を進めます。
ヒトの健康に関わる職種として、医師、歯科医師、看護師、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、柔道整復師…などがあります。
そして、はり師、きゅう師、あん摩マッサージ指圧師。

それぞれに学ぶ知識の量や深さは異なりますし、範囲も違うためひとまとめに扱ってしまうと雑になったり、齟齬が生じたりするのはのはお含みおきください。

上記の医療従事者(厚労省認可の免許者)のうち、医師と歯科医師、柔道整復師、あはき師には独立開業権があります。
つまり自分で開業して仕事ができる、ということです。それ以外の看護師、療法士にはその免許に紐づく開業権はなく、医療機関(病院)に所属して医師の指示のものと業務にあたることになります。
そのような背景もあるため、職種として柔道整復師はあはき師と同様の立ち位置にいると考えていいでしょう。

あはき師(柔道整復師も含む)とほかの医療従事者を分ける違いを考えたとき、それは【業務の再現性、普遍性】に尽きると私は考えます。

病院で行われるものは問診や検査、採血や薬の処方など、誰がやっても同じ結果が出ることが求められます。
一般的にこの症状なら、この処方と決まっています。エビデンスがあり、再現性があるからこそ、セーフティネットとしての医療が存在しています。

薬の処方でA医師とB医師で見解が異なることもありますが、それはセカンドオピニオンとしての意見の相違であって、この薬を用いると体調がどう変化するかは予測できるものであり、再現性に変わりはないはずです。
薬を何種類、どれくらいの量を飲んだかという、数字で記録を残せるものであればチームとしての情報共有も可能です。

それでは、マッサージを60分受けたら体はどう変化するでしょうか。
そして、その変化をどのように他者と情報共有すればいいでしょうか。押した強さを体重計で測るわけにはいきません。徒手療法は【属人的な業務】であることが、それを困難にしています。

最初の問いに立ち返ってはり、きゅうと比較する

やっと本題に帰ってきました。
徒手療法(マッサージや指圧)では、習得段階として一定の手順を覚えるところから始まります。
手技の基本の型ができていることは大前提です。その先にどんな要素があれば、有資格者として自信をもって施術できるようになるでしょうか。

いったん遠回りして、はり、きゅうと比較してみます。
私の知る限りですが、気軽に「はりを打ちに行く」というわけにはいきません。だって、痛そうだから…。
はりを打つ=注射と同じように痛いもの、という通念があります。そのため、日本国内の鍼の受療率は5%という現状があります。
もちろん、痛くないはりをしている先生方もいますので、そこは申し添えておきます。

「ちょっとマッサージを受けに行く」
これはありそうです。だって気持ちいいし、楽になりそうだから。

…根深い問題のひとつがここにあります。

徒手療法を習得する、教授する過程では「心地よいこと」「しっかり押せること」が掲げられています。
痛くなく、心地よい刺激を与えられること。手技の習得段階の初期には必須の考え方です。もちろん、症状を悪化させないことも。

しかし、その先にしっかり押せる=強く押せる、に基準がすり替わってしまうことがあります。
冗談のような話ですが、体重計を用意して「◯◯kgで押しなさい」という授業していた旧知の講師がいました。もちろん、そのような授業は学生にとって無益であり、不評です。

手技による影響を体調の変化ではなく、受け手の満足度=強く押されるという基準に委ねてしまうのは、百害あって一利なし。ただ痛いだけで揉み返しを起こす原因になります。そして、施術者が刺激をコントロールできるものではなくなり、主導権をお客さんに明け渡すことになります。

一方で鍼は痛い、灸は熱い…
この前提があるからこそ、鍼灸師には鍼を打つ前に脈を診たり、舌を見たり、お腹に触れて圧痛を確かめたり、という所見を取る段階が存在します。
専門的には四診(ししん)といい、望、聞、問、切という確かめる行為があります。

参考までに…
望診:目で見てわかる所見。顔色や皮膚の色、舌の形やいろなど
聞診:臭いをかいだり音を聞いたりしてわかる所見
問診:いわゆるカウンセリング。これまでの病歴や生活習慣など
切診:手でふれてわかる所見。硬さや弾力性、冷えや熱感など

このように体の状態を確認することで鍼を打つツボが決まります。
素問、霊枢、難行という中国古来の文献には「このような反応のある腰痛はこのツボに鍼を打つ」というのがハッキリと記されています。これがはり、きゅうが成り立つエビデンスです。

私見・具体的なカリキュラム編成

ひるがえって、マッサージなどの徒手療法はどうでしょうか。

鍼灸だけを生業にしている先生に言わせると「マッサージは潰しがきく」のだそうです。どういうことかと言うと、症状が改善しなくてもその場は気持ちいいからそれでお客さんが満足してしまう、という意味です。

閑話休題。
そんなことを言われなくて済むには、どのように徒手療法を伝えていけばよいのでしょうか。私自身を振り返って、思うところを記します。

徒手療法がきわめて属人的であることは否めません。おなじことを伝えても学んだ人の数だけ解釈があるとも言えます。
それを踏まえても、最大公約数として身につけるべきことがあるはずです。徒手療法=手を動かすだけではなく、症状を改善させるために【どう考えるか】を伝える指導が必要と感じます。

徒手療法を習得する、または伝える過程を3つの段階に分けて記します。

まず基本の段階・第一段階として
・手技の手順(一定の型)を覚えること
・手技を行うための体の使い方を身につけること
・筋肉、骨格の名前と働きを覚えること

次に臨床に出る前の段階・第二段階として
・お客様から必要な情報を聞き出せること
・自分の目と手を使って所見を得られること
・パターン化された症状別のアプローチを覚えること

そして臨床現場に出てから・第三段階
・症状に応じて施術を組み立てられること
・患者さんに十分な説明ができること
・患者さんとおなじ景色を共有できること

このような過程を経て、一人前の徒手療法家になっていくものと考えています。

私の知る範囲ですが、現行のあはき教育は第一段階までに留まっている印象があります。その理由として、鍼灸マッサージの専門学校では、はり、きゅう、マッサージの3つの資格を取ることができるため、それは裏を返すと実技の授業時間数が圧倒的に少ないことを意味しています。

徒手療法(マッサージや指圧)に関して言えば、専門学校を卒業するまでに第二段階の内容を身に着けてほしいと考えていますし、今後はそのような教授法を取っていく予定です。
具体的には2年生の実技の段階で、医療面接と症状別のアプローチができるための指導をしたいと考えています。

令和の時代、知らない(習ってない)ことはできない、という学生に非はないと思います。
社会に期待されるはり師、きゅう師、マッサージ師を育てるためにも、できることをひとつひとつ形にしていくことを最後に記して、まとめにしたいと思います。
かたい話を最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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physical, mental, spiritual and social well-beingに生きるお手伝いをしています。2020.3に独立開業しました。家族を大切にし、一人ひとりが生き生きと人生を楽しめる社会が訪れるといいなと思いながら綴っています。