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自己紹介 フリーランスの通訳案内士がnoteをはじめた理由

こんにちは。東京で通訳案内士をしている、いかけんです。

フリーランスの英語通訳案内士として、「自分のウェブサイトを立ち上げ、訪日外国人客向けの観光ツアーを購入してもらい、実際にガイドする」という仕事をしています。

もう少しくわしくお伝えすると、

  • 訪日予定のお客さまに、連絡フォームを記入してもらう

  • お客さまの興味関心やスケジュールを考慮して、ツアープランを提案する

  • プランに合意したら代金をいただき、当日ガイドとしてご案内する

という流れになります。
 
旅行会社や派遣会社には一切お世話になっていません。オンライン上で直接お客さまと繋がり、一人一人と直接対話しながら進めていくため、お客さまとの距離がぐっと近づきます。
 
また仕事をする日としない日を、完全に自分で決められます。平日ゴルフをしたり、混雑を避けて気ままに旅行したりと、自分の自由な時間を楽しんでいます。
 
ツアー当日に実際にお客さんに付き添ってガイドの仕事をする以外は、全てオンラインで業務をしています。PCさえ持参していれば、世界中どこにいても仕事ができるのです。
 
2023年は、コロナ明けということもあって旅行業界はとても忙しく、私も年間150日以上ガイドをしました。中間搾取されることのない、お客さんとの直接契約なので、時給も平均より高く、経済的な不満はありません。日数的にもちょうど良いです。
 
なにより時間の使い方を自分自身で決められる自由と、人からあれこれ指示を受けずにすべてを自分で判断できる自由は、何ものにも代えがたい魅力です。
 
一人でも多くのガイドの方に、私と同じスタイルでガイドの仕事を楽しんでもらいたいと考え、ここで情報発信をすることにしました。やりがいと同時に、より多くの収入と自由な時間とを手に入れるお手伝いができたら、大変嬉しいです。
 
また、最近では事業を法人化し、自分のためだけでなく、多くのガイド仲間にお客さまを紹介するため、旅行業の登録を行いました。他の旅行会社とは一線を画する、ガイドによる、ガイドのことを第一に考えている旅行会社です。
 
旅行会社を作ることはいろいろとメリットがあります。あまり知られていないこうした情報も、積極的に伝えていきたいと思います。
 
私もつい10年前は、普通の会社員でした。どのような経緯でフリーランスのガイドとなり、今のスタイルに至ったのかを、お話しします。
 

大組織での勤務


私は今から35年以上前、大学卒業と同時に大手商社に入社しました。海外とのビジネスに携わりたかったので、希望通りの進路でした。自由な社風であったこともあり、若いうちは好きなことをやらせてもらえたと思います。仕事で海外も30か国以上出張させてもらいました。
 
やりがいある毎日を過ごしていたのですが、入社10年目位のある日、ある異変に気付きました。入社したての頃に憧れていた優秀な先輩達が、出世して課長職になった頃から、皆言うことが保守的に変わり始めるのです。
 
最初は個人の資質のせいかとも思いました。しかし尊敬する先輩が次々と同じように変わっていくのを見て、これは個人の問題ではなく、何かとてつもない見えない力が働いているのだ、と考えるようになりました。同時に、自分はそうなりたくない、でも本当に大丈夫だろうか?と心配になったことを今でも覚えています。
 
今考えると、これが組織で働き続けることへの最初の疑問だったのかもしれません。
 
とはいえ、社内異動で新しい部署に着任すると、また新たな経験ができるのは楽しいことでした。未経験だった消費者ビジネスや、ITビジネスで得た知見が、現在の自分に繋がっているのは間違いなく、こうしてどんどん時が過ぎていきました。
 
一方、社内での立場がすこしずつ上がっていくにつれ、若い時のように何でも好きなことができる訳ではなくなりました。コンプライアンスが強化され、仕事の規模も以前とは桁違いに大きくなり、社内のプロセスも複雑になりました。
 
思うように仕事が進まないことが増え、そろそろ潮時かなと感じ始めました。また以前のように、個人で新しい世界に挑戦してみたくなっていました。
 
新しいことに挑戦するには少しでも早いほうが良いと考えていた私は、元々50才で会社を辞めるつもりでした。しかし、50才の時には海外転勤をしていて退職できず、結局辞めたのは帰国後の55才の時、定年の5年前でした。

経験を活かし、ガイドビジネスへ

 
会社を辞める数年前から、辞めた後に何をしようかいろいろと思案していました。自分には特別なスキルなどなく、仕事で使っていた英語力(会社でTOEICを受験させられていました)と、外国人とのコミュニケーション能力を生かせる仕事として、通訳案内士に目をつけ、退職一年前に資格を取得していました。
 
本当にこれで食っていけるのかという不安はありましたが、組織に所属しないで仕事をしたかった私には、フリーランスという働き方は新鮮で、それ自体がエキサイティングだったのです。
 
こうして会社を辞めた翌年の2019年1月1日に、区切り良くガイドとして個人事業の開業届を提出しました。コンセプトは、自分でウェブサイトを制作・運用して、海外の個人客を直接集客すること。他の人があまりやっていない方法です。
 
自分のウェブサイトのデザインや文言、あるいはサービス内容を考えることは、一種の創作活動です。さらに集客拡大のためのネット広告手法など、新たな学びを通じて、私は会社を辞めた自由を実感していました。
 
開業後最初の受注は、当時米国にいた友人からの、知り合いのご夫妻の紹介案件でした。また最初の仕事は、桜の季節に5名ほどのグループを千鳥ヶ淵にご案内するものでした。この時はSUICAカードを回収し忘れ、慌ててホテルに返却を求めに行ったことをよく覚えています。
 
私のウェブサイトはゼロからのスタートでしたので、反応が出てくるまでには多少の時間がかかりました。4月までの4か月間の問合せは、たったの2件でした。それでも5月以降は月平均10件以上の問合せが入るようになり、軌道に乗ることができました。
 
結局、初年度は受注35件、活動日数で50日以上という結果でした。年の後半は問合せ数も安定し、このペースでいけば翌年以降、仕事は順調に立ち上がるだろうと、たかをくくっていました。しかし、この予想は大きくくつがえされます。

コロナ禍を契機に、旅行会社を設立

 
2020年は、普通にスタートしました。1月はオフシーズンにもかかわらず、3件の仕事があり、前年からの成長を感じました。ところが、異変は2月にやってきました。
 
横浜のクルーズ船で謎の感染症が発生、多くの死者がでる事態となったのです。不安はまたたく間に世界中に拡がり、各地でロックダウンが行われ、国際間の移動は完全にストップしてしまいました。2月末のお客さんを最後に、仕事は全くなくなってしまったのです。
 
全ての予約がキャンセルとなり、2020年の仕事はわずか5件、翌年はオリンピックの年であったにもかかわらず、わずか1件でした。オリンピックは、観光業やガイド業が大いに盛り上がるイベントと言われていたのに…
 
ちなみに、私はコロナの間にもずっと広告を出し続けていたため、お客さんから私のウェブサイトへのアクセスや問合せは続いていました。しかしせっかく受注しても、来日できないのでキャンセル、ということの繰り返しでした。
 
2年半の間のキャンセル件数は60件以上になります。しかし、こうしたお客さんは、後のコロナ後の業務再開時に、当社にとって大きな力となってくれたのです。
 
一方、コロナの間に多くの友人ガイドが、業界を離れていきました。仕事がゼロなのですから仕方ありません。フリーランスは誰も守ってくれないのです。大手旅行会社は政府からBPO業務を受注し救済されていましたが、多くのガイドが生きるために転職の道を選びました。
 
こうした状況を目の当たりにして、私は「ネット時代に合った」「ガイドのための」旅行会社を設立することを決意しました。集客や業務処理にはデジタル技術を活用し、お客さまと接するガイドが大切にされ、十分な報酬を得られる仕事を提供したいという思いです。

奏功したコロナ明けの状況 


こうして2021年12月に、個人会社を設立しました。社員は私一人ですので、実質的にフリーランスと変わりありません。そして4か月後に、旅行業登録を完了しました。このことが、その後の業績回復に大きく寄与することになります。
 
2022年に入ると、コロナ変異株の猛威も少しずつ弱まってきましたが、外国人の入国にはまだまだ抵抗感が強く、訪日客はほぼゼロでした。そこで政府は、全ての入国者に入国ビザの事前取得と、国内で添乗員の付添いを義務付けたうえで、国境を開いていくことに舵を切ったのです。
 
入国ビザを取得するには、旅行会社が証明書を発行する必要がありました。私は既に旅行会社を設立していたので、この証明書を発行することができました。また、もともとガイド業ですから、国内での付添いは、自分自身がやればいいだけの話です。
 
お客さまのビザ取得を手伝い、日本到着後に案内業務をするというやり方で、他のガイドの方々よりも先に仕事が戻ってくることとなりました。この制度に関しては、業界内で様々な不正が横行していましたが、当社はルールにのっとり正しく業務を行ったという自負があります。
 
この頃から、コロナ期間中にキャンセルとなったお客さんから、「やっと日本に行けるようになったけど、ガイドしてもらえる?」という問合せが入るようになりました。これも旅行会社を通さず、個人間のつながりで仕事をしてきたからだと思います。
 
こうして2022年後半には30件以上、50日以上のガイド業務を得ることができ、初年度から業績を(ほんのわずかですが)黒字化することができました。
 
国境が完全に開放された2023年には、年間300件以上の問合せと、150日以上の稼働日を達成しました。また、これまでに50件を超えるお客さんを、他のガイドさんに紹介することができています。
 
全て自分のウェブサイトから集客したお客さんです。旅行会社に頼らず、インターネットで個人集客するやり方で仕事をし続けてきて、本当に良かったと思います。
 

自由なスタイルでガイドをする

 
私は、

  • 毎月の仕事量は、自分で決めたい

  • 自分のサービスの内容と価格は、自分で決めたい

  • お客さんと直接対話して要望を知り、親しい友人の様に案内したい

という自分勝手な希望をかなえるため、自分のウェブサイトで個人のお客さんと直接つながる方法を選びました。また、旅行業登録をして活動しています。
 
なぜなら、現在の法律の下では、これが一番良いサービスを提供できる方法だと信じているからです。
 
そしてその具体的方法や、経験談をnoteで発信しています。
 
現在の旅行業界では、問題が噴出しています。時代遅れの法律、いっこうに進まないデジタル化、なれあいの古い業界体質など、新陳代謝が起こりません。ここに大きな期待をかけることは時間の無駄でしょう。
 
ですから、何かを変えるには古い世界とは一定の距離を置き、自ら変化を起こしていくしかありません。実際、旅行業界の現場では、若い世代が自由な発想で新しい世界を創り始めています。むしろチャンスなのです。
 
私がおすすめしている仕事のスタイルも、古い世界にいる人たちからは、奇異の目で見られるかもしれません。
 
ですが、定年後に会社を離れ余裕を持って働きたいシニアの方や、もっと時間の自由がきく働き方をしたい方、自分の成長に合わせてしっかりと収入を増やしていきたい若手の方にも、最適なスタイルだと思います。

  • 他人からつまらない指示を受けず、努力次第で十分な報酬が得られる仕事

  • 幸福なお客さんと過ごすことで、幸せのおすそ分けを得られる仕事

  • 自分の時間を自分で管理し、空いた時間を趣味や家族との時間に使える仕事

通訳案内士の仕事は、本来人を幸せにする楽しい仕事ですが、自分が経済的に不満を感じたり、時間的に追いつめられたりしているのでは、うまくいかないでしょう。人を幸せにするには、先ず自分が幸福感を感じている必要があります。
 
そのためにも、先ずは今の自分の仕事が本当に幸せか、もっと自由な生活がしたいと感じていないか、経済的に不満はないか、正直に自問自答してみてください。
 
もし一つでも「疑問」を感じるのであれば、現状を変えていくことを考えてみてはいかがでしょうか。そのお手伝いができればと心より願っています。
 
それでは、note記事の中でお会いできることを楽しみにしています。最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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