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雑愚乱考 002:異端児アルバムとか浮いてるアルバムとか

そもそもどういう話かというと・・・

それなりにキャリアを積んだ有名なロック・グループが、なぜかそれまでのキャリアとは隔絶したアルバムをふっと残すことがある。

何か新しいことにチャレンジしてみたが、評判が思わしくなくそのまま放棄された路線となることもあるだろう。または、それなりに知名度も上がってきたので、今こそ本当にやりたかったことを!、とチャレンジしたら結果が伴わなかった、とか。

本当の理由はなかなか分からないけれども、事実としてあるミュージシャンのディスコグラフィーを辿ると、いわゆる「浮いてるアルバム」があったりする。

こうした「浮いてるアルバム」は、たいていの場合既存のファンには評判が悪い。そりゃそうだ。それまでの人気を築いてきた路線とは毛色が違うのだから。

そうした実例に出くわすにつれ、既存のファンには評判が悪いとしても、別ジャンルのファンなら楽しめるのでは?、というアルバムもあることに徐々に気づいた。

実例を集めていけば、なにかしら見解をまとめられるのではと考え続けて10余年、今ひとつ考えがまとまらないし、実例はそうそう簡単に増えないしで、それなりに諦めがついてきた。そこでこれまでの材料などをまとめておいて、さらに寝かせて起きつつ読者諸兄からの情報提供を請うてみよう、というのが今回の趣旨である。

「浮いているアルバム」実例集

最初に「浮いているアルバム」を認識し始めたのは、プログレッシブ・ロックを探求していた頃であった。プログレっぽさを求めて買ったら期待外れだった、という経験がきっかけである。

多いのは、「プログレを期待したのにポップスだった」というパターン。その時はがっかりしたり怒ったりしつつ、レコード棚にしまい込まれることになるのだが、人間恐ろしいもので、10年とか20年経つと大分違った受け止め方が出来たりするのだ。

その20年の間には、こちらもそれまで聞いたことがなかったジャンルや過去の音源に対する知識が増えているし、名前を知るアーティスト数も増えている。必然的に、発表当時「浮いているアルバム」だったレコードの聞こえ方も変わってくるのだ。

Guru Guru - Tango Fango (1976) ~ 優れた出来映えのフュージョンポップ

初期のカオスに満ちあふれたサウンドから徐々に普通のロックっぽくなっていったGuru Guruというドイツのバンド、8枚目のアルバム。何かが吹っ切れてしまったのか、ファンキーで明るいアルバム。
続くアルバムにも軽さ、明るさは引き継がれてはいるのだが、やや揺り戻しがあり、「Tango Fango」ほどプログレ、ジャーマンロックというイメージ皆無のアルバムはないように思う。

何しろ初期Guru Guruのイメージと言えばこんな感じだったのだから。
2ndアルバム「HInten(尻)」のオープニング「Electric Junk」をちらっと聞いてみて欲しい。これでも1stアルバム「UFO」よりはずっとロックっぽい。

さてこの「Tango Fango」というアルバム、先入観無しに聞けば、タンゴやらボサノヴァといった、その後ワールド・ミュージックなるジャンルとして再認識されるような、非ヨーロッパ圏の伝統音楽要素を取り入れた、フュージョン・ポップアルバムとして楽しめるように思う。そんなジャンルのアルバムだ、と分類してしまえば、このジャンルのアルバムとしてはかなり優秀な出来映えである。

ポップスファンが探すようなグループ、アルバムではないので、この音を気に入るだろうリスナーには届きにくいのではないかと思えるのが残念である。

Kiss – (Music From) The Elder (1981)

現在も現役を続けているアメリカのハードロックバンド、キッス9枚目のアルバム。中止に終わった映画制作プロジェクトのための曲をグループとして制作したものだったが、ファンの反応は全く芳しくなく、グループにとっても苦い思い出となってしまったコンセプトアルバム。

既存の路線とは異なるタイプの楽曲、またジャケットイメージに日本のレコード会社も苦慮したのだろう。日本盤はメンバー写真が印刷されたシートを前面に置いて発売されていた。

このアルバムのことを考えると、「ファンって何なんだろうな」と改めて思う。自分の好みの音楽を作って演奏して楽しませてくれるアーティスト。じゃあその人が違うタイプの音楽をやったらどう思う?

レコードを商品として考えるなら、「期待したような楽しみが得られない」商品は欠陥品だと思えるかも知れない。でも音楽ってそういうものだっけ?

もしアーティスト自身のファンで、その人のことを応援していきたいと考えているなら、アーティストが違うことにチャレンジしたときにも暖かく受け止めるべき? それとも間違った方向に進んでいると思って止めるべき?

「浮いているアルバム」を評価しようと思うと、そのアーティストに対する思い入れが邪魔をすることも多い。まあキッスのメンバー自身も「キッスがやる必要はない音楽だった」みたいな後悔があるようだし。ただそのことと、音楽自体の出来映えがどうか、というのは別の問題。

今聴き直しても、キッスが演奏しているとは感じられないくらい、他のアルバムとは隔絶している。それでもジャンルとしてはロック、ややハードロック寄りのロック。ロックオペラと言われても違和感はないし、シンフォニック要素のあるハードプログレと言われても頷ける。

Alan White – Ramshackled (1976)

1975年から76年にかけて、イギリスのプログレバンド、イエスのメンバーはそれぞれにソロアルバムを制作した。これはドラマーのアラン・ホワイトがリリースしたソロアルバム。

イエス参加以前のアラン・ホワイトといえば、John LennonのPlastic Ono Bandのドラマーとしてが一番有名ではないだろうか。他にも数々のアルバムにセッション・ドラマーとして参加している。

その既存参加アルバムからしても、またイエスメンバーのソロアルバムとしても、この「Ramshackled」は浮いている。

まずプログレではない。また一般的なロックでもない。
ソウルフルでフュージョン感覚に溢れたファンキーなアルバムである。

イエスのファンが欲しがる内容ではないだろうし、ジョン・レノンのファンとも縁が遠そうだ。正直、なぜこの時期のアラン・ホワイトがこのような路線のアルバムを制作したのか分からない。

ただこのアルバムを単体で聞いて率直に評価するなら、エキサイティングで面白いアルバムだ、ということになる。イギリスのジャズロック、その中でもソウル色、ファンク色が強めのアルバムだ、というくらいの気持ちで受け止めると楽しみやすいと思う。

これも聞いて気に入るだろうリスナーと、この盤が置かれるであろう売り場が乖離している1枚だと思う。「イエスメンバーのソロアルバム」というレッテルが邪魔にしかなっていないという皮肉な状態だ。

Can - Out Of Reach (1978)

60年代から活躍していたドイツのバンド、カン。
この78年のアルバムは、長らくメンバー自身からも「失敗作」「駄作」とされ、公式ディスコグラフィーからも削除されていたという悲しい歴史を持っている。

確かに最初このアルバムを聴いたときには、「あ、これなんか違う・・・」という違和感があって、やはりカンのアルバムとしては駄目だなあ・・・、という感想を抱いたのだが、ある日「・・・あれ??? そう悪くないんじゃ・・・」と感じ始めた。

確かに、ベーシストが前作を最後に脱退、ドラマーもグループに関心を失い、ほとんどの演奏をゲストメンバーに丸投げ、キーボードも曲によっては演奏拒否したのでゲストが担当・・・、などなど、メンバーのやる気のなさが際立ったアルバムなので、駄作であっても不思議はないのだが・・・。

後期のアルバム中心に何度も聴き返している内に、このアルバムと他のアルバムの共通点、そして違和感の原因となった相違点が明確になってきたように思う。

思うに、違和感の最大原因はヴォーカルにある。

初代ヴォーカルのマルコム・ムーニーと言えばこんな感じ。

2代目ダモ鈴木(日本人)はこんな感じ。

ダモ鈴木脱退後は、残ったメンバーが交代でヴォーカルを担当したが、大体こんな感じ。

これらとの差異がはっきりするのが、Out Of Reachにおけるヴォーカル担当のロスコー・ジーだ。

つまりは、カンの歴史上初めて「ちゃんとした歌声」が曲に乗って流れてくるのがどうしようもない違和感となって伝わって来ていたのだ!

ちなみにキーボードのイルミン・シュミットが演奏拒否したと言われているのが次の曲。

このアルバムで感じる最大の違和感は、「ちゃんと歌っている」ことにあったのだ、と私は納得した。ちゃんと歌うとグループのキャリア上浮いたアルバムが出来てしまうというのも凄い話だ。

そういう意味ではグループのオリジナリティは最底辺に下降したアルバムではあるのだが、前後のアルバム「Saw Delight」および「Can」と合わせて聴き返すと、「Out Of Reach」は一番リラックス出来るアルバムでもある。

ここでカンというグループのアルバムにリラックスを求めるのか?、という大問題が生じる訳だが(笑)、アーティストに関係なく、音を聞いて気に入ったリスナーにとってはどうでもいいことかも知れない。

ただそうしたリスナーであっても、出来ればグループが本領発揮している初期アルバムも楽しめるようになってくれることを願うばかりである。

最後に

「浮いているアルバム」はありそうでいてなかなか見つからない。
もっといくつも見つけた記憶がおぼろげにあるのだが、いざ思い出そうとすると出てこない。

多くの場合、「らしくない」として既存ファンからは冷遇されているはずである。

また思い出したら続きを書いていきたい。
そしてその先に、出来れば「浮いているアルバム」に関する考察を深めていきたい。

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