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日本のDXと清の洋務運動

2021年のデジタル庁設立をはじめ、ここ数年で日本は官民ともにDX推進の機運が高まっている。人材不足に陥っている日本企業にとって、DX化は急務ではあるがDXの本質を理解している企業は多くない。海外でDXと言えば、作業の自動化はもちろんのこと業務フローの作り替え、更には組織の変革も伴うものと認識されている。しかし、日本企業はDXを技術としてしか認識しておらず、業務改善の一点張りである。

こうした技術のみに着目して失敗した事例の代表例に19世紀後半、清で行われた洋務運動が挙げられる。清は歴代の中華王朝の例に漏れず、中華こそが世界の中心で最先端の国家であるという中華思想に染まっていた。しかしながら、19世紀に入りアヘン戦争やアロー戦争を経て西洋文明の力を認めざるを得ない状況となった。

そこで、李鴻章をはじめとした開明派は西洋文明の導入を積極的に行い、工業化を推し進め近代的な武器や軍艦を揃えた。一方、法律や制度、軍隊の指揮系統や政府の体制は旧態依然としており、導入したのは西洋文明の技術のみであった。これが後に大きな仇となった。

清の洋務運動と比較されるのが日本の明治維新だ。明治維新は洋務運動と同様に西洋文明の導入を行ったが、その内容は別物と言っていいレベルである。まず、従来の幕藩・封建体制を破壊し西洋式の政府を作った。更に、法律、制度や文化等を西洋式に改めた。その結果、西洋と同等の近代国家を作り上げた。

そして、1894年の日清戦争で前述した清と日本の近代化政策の答えが出る。清は日本より物量に勝り、海軍も日本のそれを上回るものだった。しかし、いくら優れた武器を持っていても中世の戦い方をする清軍は、近代化した指揮系統を持つ日本軍に惨敗を続け翌年に敗戦、数十年続けてきた洋務運動の失敗を認めざるを得なかった。

現在、DX化を進める日本だがその内容は清の洋務運動の二の舞になる可能性が濃厚だ。日本人は組織を大事にする文化があり、それは老舗企業の多さにも表れている。経営者達は、DXで明治維新をもう一度と意気揚々と叫んでいるが本当にそのような改革を実現するならば、彼らが大事にしている企業を作り替え、更には自らもその過程で辞職を迫られる可能性を考慮しているのだろうか。その覚悟がなければDX化は中途半端に終わるだろう。


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