【FF14】まだ蒼天に入っていないが主題考察と今後の予想

まだ新生だが。

来てしまった例の男が。

ということで、私を知る先輩ヒカセンが100人いればそのうちの100人が「お前の推しは絶対こいつ」と言われたアイメリクに遭遇した。

まだ新生だが?

それより隣のショートヘアべっぴんさんを早いところ紹介してほしいが??お姉さん私とお茶に行きませんか???

ということで、メインストーリーのきな臭さはさらに倍増。
ミンフィリアがかなり危険そうな匂いもぷんぷんするが、立ち止まっている場合ではない。

本格的にストーリーがイシュガルドに突入してきたので、ああ、新生がいよいよ終わるんだなという実感がある。
終わるのに、なんとも気味の悪い感じだ。

エオルゼアはようやく一時の落ち着きを見せた……はずだったが、国内問題は全くそんなことはない。
共通の敵がいなければ、人間は結束を固めるのは難しいものなのかもしれないが、次の共通の敵は誰になるだろう?一番簡単なのは、暁とクリスタルヴレイヴを敵にすることだ。
それは彼らがエオルゼア3国それぞれの思惑から、違う正義を抱える側になってしまったからだ。違う正義を抱える集団をエオルゼアでは迫害するのがルールだ。だから次に迫害されるのは我々になる。とても簡単で分かりやすいルールだと思う。

第七星暦ストーリーの結末予想

ということで結末を予想してみる。なぜこの考えに至ったのかは下に書いていくので、まずは結論から。

  1. ナナモ・ウル・ナモが自らの権力の低さを悲観し、王位を放棄するなり王政の廃止を決定する。とにかく女王をやめる。

  2. その結果、ナナモを支持する王党派メンバーが暴走を始める。恐らくここで暴走するのは、ユウギリたちドマの民を支援した王党派のララフェルであるテレジ・アデレジである。

  3. テレジ・アデレジは、アルフィノが「出資を依頼した砂蠍衆」のメンバーであり、ナナモ・ウル・ナモを実質動かし利権を得ていた存在である。そのためテレジ・アデレジのララフェルは新たな傀儡を探し、ナナモ・ウル・ナモに変えて国王に据えることにする。

  4. そのたくらみがバレた結果、テレジ・アデレジが失脚。また彼が支援していた組織であるという理由から暁・クリスタルヴレイヴが迫害を受けることとなる(本来政治的活動には組しないはずが、参加しているとみなされたため)。

  5. 懇意にしていたオルシュファンを頼り、直前に会談したアイメリクを経由してイシュガルドへ向かうことになる

大体こんな流れじゃないかな、と予想している。

【FF14の主題予想】人々は分かりあえるのか?

ようやく新生が終わりかけた段階で、これまでこうかな?と予想していた物語の主題がはっきりと姿を見せた。すごくわかりやすい主題だ。
ユウギリも「人にはそれぞれの正義がある」と言っていたように、正義のぶつかり合いがこのFF14という世界の物語全てにおける重要なキーワードになっている。
ここでいう「正義」とは「それぞれの個人にとって、都合のいい考え方」を指している。行いが倫理的に正しいかどうかはどうでもいい。

考えてみれば「人にはそれぞれの正義がある」というのは、新生でずっと言われてきたことだ。
悪の親玉感がありすぎてそんな風には見えなかったが、ガイウス・ヴァン・バエサルが目指したのも彼なりの正義だったし、彼の死んだ部下であるリウィアやリットアティンも、彼らなりの正義(というか目的)があったからこそガイウスと一緒にいた。

ようするに人々の願いは皆ただひとつ「平和に安定して、安心して暮らしたい」ということであり、それこそが「FF14世界の正義」だ。
これは部族も、国も、何もかもを超越した願いである。
ところが(これは当然のことだが)立場が変わるとその基準が変わり、またすでに安定して暮らしている人々は、その先を求める。
それが表面化しているのがウルダハの砂蠍衆や、コボルド族の地域を侵す結果となったリムサ・ロミンサだ。

対してまずは己の地位の安定を願うナナモは、クリスタルヴレイヴ設立に奔走するアルフィノを見て「好きではない(警戒している)」と口にする。これも当たり前の話で、ナナモが求めている正義と、アルフィノが目指す正義が全く違うものになったから口をついて出たのだ。 ナナモは「先鋭化された武力を持った存在ができたこと」だけでなく、「そもそも暁が自分と違う正義を持ったこと」、つまり「暁が自分の先に進んでしまったこと」に対しても嫌悪感を抱いているのだと思う。 (もちろん彼女の地位を脅かしそうだという点でも気に食わないはずだ)

彼女が言う通り「人は砂漠の砂のように移ろいゆくもの」だが、それは当然の話であり、いつまでも変化がない方がおかしい。
しかしナナモにとっての正義はずっと変わらず自分が安定した地位に立つことだ。新しい目標を手に入れた人々は「移ろってしまった」人であり、彼女の経験からしてそうなった人は「敵」になるのだろう。
変わらぬはずと信じていた組織が、新たな一歩を踏み出す。それが恐らく変化することのできない彼女にとってはかなり辛い出来事となっただろう。自分は置いて行かれるのに、皆先に進んでしまうことは恐怖であり、その改革を進めるアルフィノは敵になる。

そんなナナモにとって一番危ないのは「彼女の正義が変わったとき」だと思う。彼女の正義について選択肢は二つしかない。

ひとつは今のまま、安定した権力を王家が取り戻し傀儡から脱出するのを目指すこと。
もうひとつは諦めて、自らが王権を手放し共和制へ移行すること。
この二つ目を選んだとき、彼女の一番身近にいる人たちが彼女に牙をむきかねない。もっと言ってしまえば、ここで彼女に牙をむくのは砂蠍衆の中でも王党派の人物であり、恐らくクリスタルヴレイヴに出資している人物じゃなかろうか。
…となると一人しか想像できるひとがいないのだが、ラウバーンはその辺尊重しそうなので却下。

ここでなぜ王党派のララフェルが裏切ると思ったのか?というと「ナナモ・ウル・ナモは傀儡である」とかなり明確に書かれているシーンが多いからだ。

パッと見た感じではナナモは共和派に操られている印象が強いが、それはウルダハの政治の話であって「ナナモが共和派の傀儡である」とはどこにも書かれていない。共和派はナナモに対して強権な姿勢を見せてはいるものの、彼女を背後で操っているわけではない。(ややこしいが)

であれば、王党派の傀儡であると考えるのが普通だし、彼女は女王なのだからそもそも王党派なのだ。
ナナモの考えを尊重することの多いラウバーンが背後にいるとは考えにくい。となると残る王党派はララフェルのテレジ・アデレジとなる。

彼がなぜ王党派に属しているか、それは何か彼にとって利権があるからに違いない。その利権をみすみす逃すようなことをウルダハの商人はしないだろう。
その行為は、ひいては己の命にかかわる可能性だってあり得るし。

これが私が「ナナモが王位を放棄、またはそれに準ずる行為をした結果、誰かが暴走するんじゃないか」と思った理由だ。
だからこそ今、ウルダハの話が大きくフォーカスされているのが意味深に思える。
いずれにせよ、このあと大きな選択を彼女がすることになり、そのことがきっかけとなって暁、クリスタルヴレイヴ、そして光の戦士に試練が訪れることになるだろう。(やたら「英雄」ともてはやされているのも、そのための布石だと思っている。持ち上げられ過ぎ。)

しかし、表立ってエピソードが語られたのがナナモというだけで、ナナモの抱くクリスタルヴレイヴへの不信感は、大小はあれどグランドカンパニーの盟主が皆抱えている気持ちでもあると思う。この不信感の正体こそ「正義」だ。
各種族の抱える「正義」とは「自分に都合のいい考え」であり、だからこそヤ・シュトラとメルウィブは「この都合のいい考えを信じ続けるしかない」と話し、己に言い聞かせる。
このセリフは、こっそり聞いていたユウギリだけでなく、光の戦士となったプレイヤーにも向けられている。

蒼天のイシュガルドへと至る第七星暦ストーリーは、単なる幕間ではない。
正義(目標)が変わることで立場や周囲の評価が変わってしまう流れを、結構丁寧に追いかけている。
だからFF14全体の主題が「人々は分かり合えるのか?」であるならば、新生は「正義とはなにか」だし、蒼天のテーマは恐らく「立場ごとの正義」になってくるんだと思う。

今後の展望:立場ごとの正義が行き着く先

こんなところで野原ひろしの名言(実際には言っていないらしい)が頭をよぎるけれど、手を変え品を変え、ずっとFF14はストーリーの中で「人々は分かり合えるのか?」という話をし続けている。多分今後も続くだろう。

「蛮族を含めた人間たちはその立場、考え、出身、身分によって正義が変わり、そのために戦いが尽きることはない」という世界の状況には、恐らくアシエンたちも含まれているはずだ。
もちろん、今のところ目的が見えず干渉回数が減ってきたハイデリンも例外ではない。

ところで、光の戦士である主人公の「超える力」は、その正義が生まれる前提となるありとあらゆる壁を取り払う力であると定義されている。
そして、この「超える力」とは究極の壁である肉体すらも超越し、魂だけの存在となることのできる能力者のことを指しているということまで明言された。

なので、アシエンたちとミンフィリア、主人公は、極端な言い方をすれば同類であるという見方も可能だろう。
だが彼らアシエンとミンフィリアたちは、正義を同一にしない。
それは彼らの持つバックボーンが異なるからであり、まさに蛮族たちと相いれないヒトの構図と同じになっている。

FF14という物語は、こんな風に入れ子式にずっと同じ問題を追い続けている物語だ。
だから最終的に、一体なぜアシエンはエオルゼアに災厄を振りまくのか?エオルゼアの人々とアシエンは分かり合えるのか?という方向に着地していくと思う。
恐らくそういう方向に行くから友好部族クエストがあり、それぞれの友好部族は最終的に各都市と歩み寄りを見せるだろう。
この辺をすべて回収していくのが、恐らく「暁月のフィナーレ」なんだと思っている。

「フィナーレ」で人々はようやく相互理解のための一歩を踏み出す。
そうして、次世代へとその歩み寄りを残していくから「レガシー(遺志)」に繋がっていくんじゃないかな…というのが個人的な予想だ。


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