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吐息のように

日々、短歌をつくり、主に日経歌壇に、時々NHK短歌に投稿して、数年が経つ。
たまに採ってもらえると嬉しいし、評をもらえると、舞い上がる。

数年続けてみて思うことは、力をこめて作った思い入れのある歌は、大抵採られない、ということ。
これまで採ってもらえたのは、朝起きて、ぼーっと白湯を飲みながらふっと浮かんだものや、川沿いをぶらぶら散歩しながら、なんとなく思い付いた歌がほとんどだ。

やはり、無駄な力が入っていると、よくないのだろうなあ。
能の仕舞も、習いはじめて一年になるけれど、お稽古の模様を撮った映像を見返すたびに、やたら力が入っているのがわかる。
扇も強く握りすぎて、うまく扱えていない。
かといって、脱力すればいいというものではなくて、入れるべきところに適切な力を入れる、それが難しい。

歌作りも、完全に脱力したらいい歌ができるかというと、そうでもないような気がする。
ああでもないこうでもないとこねくりまわした挙げ句、あきらめて寝たり歩いたりして、ふっと息をついたとき、素直な気持ちが歌に出るのかもしれない。

焼きそばの匂いと碁石を打つ音といくらでも眠れた日々のこと
(2024.4.13日経歌壇・穂村弘選)

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