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奢るのを止めて、自分のために使う。

一年前とかは全くそうではなかったのに、最近奢り癖がついた。
人前で「いいよ、私出すよ」のパターンではなく、「プレゼント」として奢ってしまうのである。
例えば、私だけお菓子を買ってくるのは悪いから、他の人の分も買ってあげようとか。
今日、友達の機嫌が少し良くないみたいだから、おいしいものを食べて元気を出してもらおうとか。
こうやって見ると食べ物ばかりだが……。
とにかく、プレゼントというと和らげた言葉になるが、度が行き過ぎると奢りになる。
最近、自分で気づいたのである。
あれ、自分、また奢ってない……?
それも、相手は大体同じ人たちだ。
そこで、私はこうも思ってしまった。
こんなに奢っているのに、奢り返してもらってなくない?と。
というのも、同じ食べ物を買う機会があり、前回は私が、自分と相手の分も払っていた。
そこで、何故か私は奢ってもらえるんじゃ、と考えていた。
だから、はい、とそのまま食べ物を渡された際、あれ?と思ったのだ。
口ではありがとうと言い、自分のお財布を出す。相手の手に硬貨が渡り、それが仕舞われるまで、私は「いいよ、お金。奢るよ」と言われるのを待っていた。
その後、私は一度奢るのを止めようと思った。さすがに最近、払いすぎている。
しかし、また何週間後に、私はまた友達に食べ物を奢っていた。
何で奢ってしまうのだろう。自分に、お金の余裕はない。
それに、見返りを求めている時点で、後に奢ったことを後悔している時点で、「キレイな奢り」とはいえない。
何故だか罪悪感さえ募ってきてしまった。行動しているのは私なのに。
そこで私は、ネットで検索することを思いついた。
検索すると、様々な考えられる原因が提示された。
もちろん、貧乏なのに奢ってしまう、いわゆる「見栄を張る」という気持ちもあったかもしれない。
しかし、私が調べた中で、一番腑に落ちたのは「人間関係をつなぎとめたいから」である。
コミュニケーションはそこまで苦手ではない、むしろ人と話すことは好きな方だ。
ただ、私は特定の人と話す際、「この人には嫌われたくない」と考えていたようだ。
自分の話していることに自信がない。このままでは、この関係は終わってしまう。好かれたい。良い人だと思われたい。
だから、奢る。貸しを作る。この人は奢ってくれる良い人だと思ってもらえるように。優しい人だと感じてもらえるように。
が、このように文章にすると分かる通り、かなり惨めな考え方だと自分で思う。
お金でつながった関係など、良好とはいえない。
それに、私はそんなに好かれたいと思っていたのか?嫌われたくなかったのか?
結局、奢っても返しがないように、他人の行動をコントロールすることはできない。
当然、「あ、奢ってくれる良い人だな」の一言で終わってしまう可能性もある。
奢る行為は万能ではない。人間関係の維持に使うには、あまりにも脆く、自己犠牲が過ぎるのである。
それでも奢り過ぎていると、自分のお金はなくなる一方だし、ただただ奢ってほしいと考える人しか周りに残らなくなるかもしれない。
そんな一か八かのギャンブルに賭けるくらいなら、そのお金は自分に使うべきだ。
他人を潤す前に、まずは自分を潤す。
自分が満たされてもいないのに、他人を満たそうとするのは、自分がかわいそうだ。
ネットで検索したことから、私はしばらく奢ることを止めようと決意した。
実際に、食べ物を買おうと思ったとき、「あれ、また奢ろうとしている」と気づいた。
私はそのまま、そのお金を自分が食べたいと思ったものに使った。
すると、心が軽やかになった。今、私は自分のためにお金を使った。自分が買いたいと思ったものを買った。気づかなければ、他人のために使っていたお金で。
こんな簡単なことだったのだと、今更感じた。
ときには奢ることも大切な行動である。
しかし、それ以上に、自分のために使うことが、お金の本来の使い道である。

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