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本来のプラトニック・ラブ(ディオティマ)

ソクラテス: みなさん、今日は美について考えるべく集まりました。今宵はマンティネイアの巫女、ディオティマさんをお迎えしています。ディオティマさんはプラトンの『饗宴』の登場人物で、かつて私に愛の理論を説いた女性として描かれている方です。ディオティマさん、あなたは美への愛についてどのように考えていますか?

ディオティマ:ソクラテスさん、美は目に見えるものにかぎられません。美は、精神によって捉えられる真理や善の形をとるものでもあります。ですから、美への愛は、単なる形や外見に惹かれることではなく、その本質を理解し、魂を高めようとする探究心をもたらすのです。

ソクラテス:それは興味深い見方ですね。しかし、ディオティマさん、なぜ私たちは美を求めるのでしょうか? 美への愛が私たちに何をもたらすのですか? 

ディオティマ:美への愛は、私たちを真実や善へと導く力を持っています。美を通じて、私たちは高い理想に目覚め、精神の成長を促されるのです。美を愛することで、魂はより高みを目指す力を得ると私は考えます。

ソクラテス:ディオティマさん、あなたの説明はとても魅力的です。しかし、私たちが日常で経験する美と、あなたが言及するような高い理想の美とはどのように関連しているのでしょうか?

ディオティマ:日常で遭遇する美は、より高い理想へと私たちを導く入り口であると言えます。たとえば、自然の美しさに感動することで、私たちは自然界の秩序や調和に思いを馳せ、それが次第に精神的な探究へとつながります。

ソクラテス:なるほど、美は私たちを内省と探究へと誘うのですね。では、ディオティマさん、美を愛することの最終的な目的は何だとお考えですか?

ディオティマ:美を愛することの究極の目的は、魂の完成と精神の完全な覚醒にあります。美を通じて私たちは真実を見出し、善に到達し、そうすることで魂を完全なものにすることができるのです。

ソクラテス:非常に啓蒙的な議論ですね。しかし、私たちが現実に直面する多くの美が、真実や善とは必ずしも結びつかないこともあります。この矛盾はどのように解決すべきでしょうか。

ディオティマ:ソクラテスさんのおっしゃる通り、現実にある美と真実や善との間には、しばしば乖離が存在します。しかし、その乖離こそが、私たちに内省と探究を促す動機を与えるのです。美しいものすべてが直接的に真実や善を象徴しているわけではありませんが、それらを通じて、より深い理解に到達することができるのです。

ソクラテス:確かに、その乖離があるからこそ、探究の旅が始まるのですね。しかし、ディオティマさん、美への愛はすべての人にとって同じように意義深いものですか? それとも、特定の人々にのみその価値があるのでしょうか?

ディオティマ:美への愛は、すべての人に開かれている普遍的な価値です。しかし、その深みを理解し、真実への探究に生かすことができるかは、個々人の内省と探求心にかかっています。美を深く理解し愛することができる人は、それによって自己の魂を高め、より豊かな人生を送ることができるでしょう。

ソクラテス:なるほど、美への愛は、それを通じて自己と世界を深く理解するための手段となるのですね。ディオティマさん、私たちが美をどのように体験し、理解するかは、個々の魂の成長と直接的に関連していると。それでは、美を真に理解するためには、どのような心構えが必要でしょうか?

ディオティマ:美を真に理解するためには、外見だけでなく、物事の本質を見極める洞察力が必要です。また、自分自身と深く向き合い、内面の声に耳を傾けることで、真実の美に近づくことができるでしょう。真の美は、表面的な魅力ではなく、存在の核心に関わるものですから。

ソクラテス:ディオティマさんとの対話から、美への愛が私たちの魂を育て、真の理解へと導く旅であることが明らかになりました。ですが、この旅は容易なものではなく、自己と真実を深く探求することを要求されます。ディオティマさん、今日はこの深い議論をしていただき、本当にありがとうございました。私たちの理解はまだ完全ではなく、この話題にはまだまだ多くの探求が必要だと感じています。美とその愛についてさらに深く考え、理解を深めていく必要がありそうですね。

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