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【この世の中はクレイジー】⑤

備忘録 従姉妹編〜その5〜

従姉妹とその母親について考えていた

「おもちゃの世界の住人たち」の巻

前回、R子を取り囲む借り物家族を垣間見た話を書いた。
私はR子が産まれた頃から時々会ってはかわいがっていたのですっかり姉気取りでいただけで、R子の暮らしを共有していたわけではない。

おばとおばの姉やその嫁の「あっちの家族」を見て、R子が大学時代から私に取ってきた蔑むような言動の理由がわかったような気がした。

おばは会社員とはいえまあまあエリートなおじを夫に持ち、実家は病院経営で
今で言う「太い」バックグラウンドで、結婚後も独自に不動産収入を得て家計収入とは別にお小遣いがあったとR子から聞いていた。だからR子は母親とよく百貨店に買い物に行っていた。私の母じゃあり得ないので羨ましかったものだ。

一緒に住んでいた時、おばはR子に定期的にいろんなものを送って来てくれる。
「knotちゃんには何もないんでしょう?」
とおばが気の毒そうに話していたよとR子は時々私に伝えるので惨めな気持ちになった。実母の名誉のために書いておくが、実家は会社経営で母は番頭だった。おばのように降って湧いた収入はないので余裕がなかった。

しかし私も結婚生活ウン10年と人生も熟してくると、そんな家庭が大体どんなふうになるか頭の中に浮かぶものがある。

夫が稼いでくれる収入と別の降って湧いた経済が母子の世界を輝かせている。
夫とは別に母子は楽しみ質の良い服を着て美味しいものを食べる。
母子は楽しいが夫は孤独になっていくだろう。
おじが時折憤怒してトラブルになっていたのはおじの性格のせいだけではなかったのだと後々わかって来ていた。R子が亡くなったずっと後だけれど。


R子は父親の性格的な問題や母親との不和についてよく愚痴をこぼしていた。
100%以上に母親の味方で、母親を大好きだった。私は実母と関係はあまり良くなく反抗していたので当時は真逆だった。私はR子の友達のような絆の強い母子関係がその当時は羨ましくて仕方なかった。

母親に褒められ大切にされセンスの良い洋服を一緒に買いに行けて一緒に素敵なレストランで食事をとる。私も子供ができたらこんな親子関係になろうと憧れていた。今思えば私も若かった。そんな憧れは間違いだった。

なぜ間違いと思ったのか、それには辛さ苦しさ、恥、悲しみ、幸せ、愛情、家族を通して経験するあらゆる感情や心理について考え、乗り越え、時に専門家に相談し、家族の形を長い時間をかけて追求して出来上がってきた私の観点があった。

私はR子とその母親は異常な親子の形と認識し始めていた。


おばは町医者の末娘だったが、病院がどんどん大きくなり、結婚してからもその病院経営は波に乗っていた。私が小学生の頃、おばとR子に誘ってもらい、R子の祖母と出かけたことがある。毛皮を着て宝石のついた大きなメガネをかけ、長いタバコを指に引っ掛けていた。ド派手。

おばは小さくておしゃれで美人で性格は朗らかで怒ったりするような感じはなかった。誰にでも好かれて敵を作らない、優しいふんわりした無害な雰囲気の人だった。

R子は何かと母親の料理は町内会でも有名なほど美味しいとか、母親の運転がこれまで乗った中でも群を抜いて上手いとか、思い出せないけどありとあらゆる褒め言葉を私に聞かせた。
羨ましいけど町内会で一番美味しいとか、運転手さんでもないのにそんなに上手いのかとか、なんだかおもちゃの世界に迷い込んで感覚が麻痺したところにその気にさせられようとした感じだったのを思い出す。


18歳から20代後半のR子の世界は、母親とその実家の家族に取り囲まれていた。
極端に言うとそれ以外はなかったんじゃないだろうか。本人は幸せだったと思うし
そういう認識はなかった思うが、今、R子とその母親について懐古すると
彼女たちはその狭いおもちゃの世界の住人だったことは間違いないと確信している。


その6に続く。

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